コシュルの我儘
僕らはプラティカムの最前線へ向かって走った。
先頭を行くティナートの隣を、コシュルも懸命に走っていた。
「はぁ……っ、はぁ……!」
こんな状況で走り続けることに、コシュルが慣れているはずもない。
呼吸は乱れ、足取りも少しずつ重くなっていく。
それでも遅れまいと前を見ていたが、やがてティナートとの距離がわずかに開いた。
僕は速度を緩め、手を差し出した。
「コシュルさん」
呼びかけると、彼女はすぐに細い指でその手を掴んだ。
「……ありがとうございます」
格好はつけたものの、正直僕もかなりきつい。
足は止めていないが、余裕があるように見せるだけで精一杯だった。
そんな見栄を、ティナートはすぐ見抜く。
「……無茶してんなァ」
ティナートは減速し、僕らの身体が持ち上がる。
「うわっ……!?」
「きゃ……!」
ティナートは僕を軽々と抱え上げ、コシュルを背に担ぎ、そのまま走り続けた。
「戦いの前にへばんなよォ!」
その背中は、やはり大きかった。
ティナートに揺られるうち、街を囲う壁がみるみる目前へ迫ってくる。
「ティナ!後ろ!」
「私がやります!」
コシュルが手を向けると、伸びた氷が禍異を包み、凍りつかせた。
「なんだよォ、コシュルちゃん。ちゃんと戦えんじゃねえか」
「こんなふうに魔法が味方にいてくれるの、初めてだから……すごく心強いよ」
コシュルは少し照れたように笑った。
「今までは、人前で披露することにしか使ってきませんでしたけど……
こうして誰かの力になれて、うれしいです」
「ここまで使えるようになるまで、相当頑張ったんだろォ?
披露するためだけで、そこまで魔法を磨こうと思ったのかァ?」
ティナートにそう問われると、コシュルはすぐには答えなかった。
照れたような笑みは薄れ、やがて小さくうつむく。
「……家族を支えるためです」
「……家族?」
ティナートの服をきゅっと掴み、ぽつりと語り始めた。
「父が病でずっと寝込んでいて……兄も心を病んでしまって。
外へ出て働けるのが、今は私しかいないんです」
「でも、私の稼ぎだけじゃ暮らしを回すのが苦しくなってきて……」
「知り合いから聞いたんです。魔法が使えるようになれば、帝国から奨励金が出るって」
「その制度に縋るしかなくて……働いて、空いた時間はずっと勉強に使ってきました」
「辛いですけど……家族を守るには、私が何とかするしかないって思ったんです」
魔法は誰もが使えるものではない。
その力を持つ者は希少で、帝国も支援の対象にしている。
学び続け、より使いこなせるようになれば、その額も上がっていく。
施療院にいたのも、家族の様子を見に行っていたからなのだろう。
寝坊した理由も、勉強の積み重ねによる疲れだったのだろう。
自分も苦しいはずなのに、人のために力を求めた。
その優しさに、僕はただ目を奪われた。
「あっ……すみません、また空気を暗くしちゃいましたね」
謝る必要なんてどこにもないのに。
その時、横からしゃくり上げるような声と、鼻をすする音が聞こえた。
視線を向けると、ティナートが顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。
「コシュルちゃん……なんて……なんて優しい子なんだよォ……!」
コシュルの話は、ティナートの情をまともに揺さぶったのだろう。
「あわわ……こんなところで泣いてたら危ないですよ!」
目元を拭ったが、涙はまだ収まりきっていなかった。
「よし!コシュルちゃん!俺らの前じゃいくらでも我儘言ってくれェ!
今まで我慢してきた分、俺らが叶えてやるよォ!」
「ええっ……!私はもう、連れてきてもらえただけで十分ありがたいですけど……」
コシュルは困ったような顔をしたあと、微笑みながら言った。
「……なら……皆さん誰一人欠けることなく、この戦いを無事に終えたいですね!」
「よっしゃァ!シル助、聞いたかァ!」
「……うん、僕もそう思う」
風が強くなった。
ティナートはさらに速度を上げた。
地を蹴る足音が響く。
きっと、この足音は希望へ続いているのだと思った。
~~~~~~~~~~
プラティカム、戦場と化した街を闇の斬光が走った。
フェルキールは一人、前線を駆け、禍異を処理し続けていた。
仕留めた解呪禍異は溶けるように崩れ、風へ散っていく。
その静寂を踏み潰すように、兵たちの足音が近づいてきた。
「見事な戦いぶりだ」
「貴様らは……プラティカムの討伐隊か。このあたりの戦闘はすでに終わっている」
プラティカムの治安維持部隊の一つ、討伐隊。
禍異被害への対処に特化した専門部隊だ。
「尽力に感謝する。では、失礼」
部隊はフェルキールが来た方角へ向かおうとしていた。
だがその道の先には、禍異の気配はない。
「待て、そっちへ行っても無駄だ。片はついている」
「我々は街の外で沈没した天装艇の回収支援に向かう」
「何?もう禍異の対処は済んだというのか」
「いや……人員に余裕があるのだ。上から命が下っている。では」
そう言うと、部隊は足早に去っていった。
「……この都市の規模なら、戦力にもまだ余りがあるということか……厄介な帝国だ」
この一帯は静まり返っていたが、風に混じって遠くの戦いの音はまだ届いていた。
フェルキールは帝国の底知れなさを噛みしめながら、再び戦場へ駆け出した。
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プラティカムの最前線へ辿り着いた僕たちは、散発的に現れる禍異を倒していった。
だが、その数は異様なほど少なかった。数えてみれば、片手で収まってしまうほどだ。
「禍異は少ねェし、兵士もいねェ……この辺の戦いはもう終わったのかァ……」
「フェルさんの言った通りだ……あれだけ壁を這ってた禍異が、幻だったみたいに静かだ」
「討伐隊がもう動いてくれていたんですね……」
前線と呼ぶにはあまりに静かで、この短い時間で付近の戦いは終わったのだと、その光景が物語っていた。
「見た限り、救助が必要な人もいませんね……」
「向こうから戦闘の音がする……行ってみよう」
僕はその方角を指さし、走り出そうとした──その時。
向こうから、黒い影がこちらへ飛んできた。
人影に見えたが、人間にしてはあまりにも小さく、歪だった。
それは僕らの目の前へ落ち、ぐしゃりと生々しい音を立てて潰れた。
「なんだァ……?禍異の残骸が飛んできたぞォ……」
禍異の下半身だった。
黒い脚が切り離され、僕らの元へ。
一見すれば、向こうの戦闘の衝撃で弾き飛ばされてきた残骸だ。
もう形も保てないほど損壊していて、敵として警戒するような代物ではなかった。
「誰かが倒した後かァ……まァ、放っとこうぜェ。行くぞォ」
なのに、妙な違和感が消えない。
禍異は脚だけになってなお、地面を掻くように動き、まだ起き上がろうとしていた。
そのおぞましい執着を見た瞬間、心臓が嫌な音を立てた。
「ティナ……」
「どうしたシル助ェ!」
僕が指さした先へ、全員の視線が集まる。
「この禍異……まだ死んでない」
「あァ……?」
悪寒が全身を駆け抜けた。
その場の全員に緊張が走った。
迫る殺意に反応したのだ。
「伏せろォ!」
転がっていた禍異の下半身、その切断面から灰色の炎が噴き上がった。
花開くように広がった火は、周囲を焼き尽くしながら僕らへ襲いかかる。
ティナートは僕とコシュルを地面へねじ伏せ、自分の身体を盾にした。
その身が焼かれるより早く、コシュルが動いた。
"魔封の薄氷"
薄い氷の盾が目の前へ展開され、灰色の炎と激突した。
薄氷は打撃に弱い。
だが、魔法に対しては別だ。
ぶつかった炎は薄氷に触れた瞬間、まるで空へ溶けるように効力を失った。
「ティナートさん!大丈夫ですか!?」
「ああ……助かった……なんだ、ありゃァ……」
禍異の身体が再生を始めた。
頭部は燃え上がる炎のように揺れ続け、腕は異様に細い。
脚は剣を思わせるほど鋭く尖り、全身の造りは歪だった。
「嫌な匂いだ……他の禍異とは違う、邪悪な──」
禍異が魔法を放つ。
ひび割れた空間の奥で灰色の炎が凝縮され、灰の残光を引きながら撃ち出された。
ドズッ……
肉を抉る音。
「──ッ!?」
火線は、ティナートの足を貫いていた。




