氷の世界の聖衣
「フェルちゃんは向こうへ行ったから……俺らは反対から回って合流だなァ」
ティナートが通りの先を睨みながら言った。
その時だった。
背後の物陰で、何かが動いた。
僕らの意識が前へ流れた隙を狙い澄ましていたのだろう。
低く身を沈め、音もなくこちらへ迫ってくる。禍異だ。
救助を終えたことで、気が逸れていたのかもしれない。
察するのが遅れ、間際で気配を捉えた。
「ティナ!禍異だ!」
「何っ……」
僕は背後を振り返ると同時に叫び、ティナートも即座に反応した。
だが、間に合わない。
一撃を受ける──そう身構えた刹那。
横から放たれた冷気が禍異へぶつかり、全身を一息に氷で覆い尽くす。
禍異は襲いかかろうとした姿勢のまま凍りつき、そのまま地面へ転がって動かなくなった。
助かった。
僕とティナートは思わず、氷の飛来した方へ目を向ける。
そこに立っていたのは、修道服を纏ったひとりの女性だった。
その衣が風を受けて揺れ、周囲には氷の魔法の余韻が煌めいていた。
「あっ……」
礼拝堂で出会った、あのシスター。
「コシュルさん!」
赤い髪を揺らしながら、彼女は僕らの方へ駆けてきた。
戦場の荒れ果てた通りの中で、その姿は鮮やかに目に映った。
「……こんなに早く、また会えるなんて思いませんでした」
コシュルは僕の姿を確かめるなり、どこか安心したように表情を和らげた。
「コシュルさん、ご無事でよかったです……」
「あァ?知り合いかァ?」
「うん……さっき礼拝堂で会ったんだ。シスターのコシュルさん」
僕の言葉を受けて、コシュルは控えめに会釈する。
「あっ……そういえば、まだお名前を聞いていませんでしたね」
「そうでしたっけ……僕はシルって言います」
「シル助の友達のティナートだ。よろしくなァ」
「まあ……すごくたくましい方なんですね」
コシュルは物珍しそうに手を伸ばし、ティナートの腕へそっと触れた。
「お、おお……そうだろォ」
禍異を相手に荒れ回っていた時の姿が嘘みたいに、ティナートの返事はしどろもどろだった。
頬にもわずかに赤みが差している。
自分から相手との距離を詰めることには慣れていても
こうして相手の方からためらいなく懐へ入ってこられると調子が狂うのかもしれない。
「コシュルさん……魔法、使えたんですね」
「はい……!適性があったみたいで……たくさん勉強してるんです!」
誇らしげに胸を張ると、コシュルはそっと地面へ手をかざした。
空間が割れ、淡い氷の粒がふわりと舞い上がる。
彼女の手が上がるにつれて、それに導かれるように無数の結晶が宙へ昇っていった。
透き通る欠片が散っていく様子は、砕けた宝石を空へ放ったようだった。
僕らを囲む景色が、別の世界へ塗り替わった。
「きれェだな……」
ティナートが隣で、思わず零したように呟いた。
その一言に、僕は思わずそちらを見る。
氷魔法へ目を奪われていたのか。
それとも、コシュル本人を見ていたのか。
たぶん、後者だ。
僕はそっとティナートへ顔を寄せ、小声で囁く。
(ティナ……もしかして、コシュルさんに惚れてる?)
(なっ!?そ、そんなことねェよ……!)
返しがあまりにも分かりやすい。
視線は泳ぎ、さっきまでのティナートとは思えないほど雰囲気の違う男だった。
ここまで露骨だと、いっそ見ていて気持ちいいくらいだった。
(露骨だな……照れて全然喋れてない。僕が話を広げてあげるよ)
そう言って息を吸い──
「い、いい魔法ですね」
(シル助も大概だろォ!?)
女の子と向かい合って話すのは、やっぱり苦手だった。
そんな僕たちのぎこちなさが可笑しかったのか、コシュルはくすっと笑った。
けれど、その笑みはすぐに薄れていく。
通りの奥から響く衝撃音へ意識を引かれたように、表情を引き締める。
「……これから、禍異の出ている方へ向かうんですか?」
声にはかすかに不安が混じっていた。
「あ……はい。少しでも、この街の力になりたくて」
「禍異を倒して、助けられるやつは助ける。それが今の俺たちの役目だァ」
気負いもなく返したその言葉に、コシュルは胸の前でそっと手を合わせる。
「まあ……!本当に、すごいです」
取り繕った色はなく、ただ本心から出た響きがあった。
それから彼女はほんの少し視線を落とし、意を決したようにもう一度僕らを見上げた。
「もしよければ……私も連れて行ってもらえませんか?」
「コシュルさんも前線に……?そんな、危険ですよ」
思わず、そう言葉が出ていた。
さっき氷魔法で助けてもらったとはいえ、前線は別だ。
禍異の数も、その先で何が起きるかもわからない。
けれど、コシュルは目を逸らさなかった。
「施療院で……たくさんの苦しみを見ました」
「私には魔法があります。少しでも、誰かを守る力になれるはずなんです」
「それなのにこのまま、何もしないまま待っているだけなんて……できません」
胸の前で、ぎゅっと手を握りしめた。
「大好きなこの街を……私も守りたいんです」
その声に揺らぎはなかった。
恐怖がないはずがない。
戦場の気配も、禍異の恐ろしさも、施療院に満ちていた混乱も、彼女は全部見てきたはずだ。
それでもなお、前へ出ると言い切った。
その眼差しは、こちらがたじろぐほど真っ直ぐだった。
「っ……!」
僕は、返す言葉を失った。
礼拝堂で交わした会話を思い出す。
コシュルがこの街を愛していて、そこで傷つく人たちを本気で案じていることを、僕はもう知っていた。
ただ言葉を並べているだけじゃない。
でも、それだけで危険な前線に同行を許すわけにはいかない。
その境目を軽くできるほど、僕はもう何も知らない頃のままじゃなかった。
「……こりゃ、とんでもねェ火種が舞い込んできやがったぜェ」
ティナートはコシュルを見つめ、頭を掻いた。
そして僕へ肩を寄せるようにして、小声で囁いた。
「シル助……あの目、本気だぜェ。ここで止めたって、たぶんついてくるぞォ」
「わかってる……だからこそ、止めたいんだ。夜叉の能力だって、知れたら……」
あまりにも危うい同行だった。
彼女の気持ちを抜きにして考えるなら、ここで止めるのがまっとうだ。
「安心しろよ、シル助……危ねェ橋、渡るしかねェなら……俺が守る」
「……!」
ティナートは僕らを見回し、拳を握りしめて言った。
「俺の後ろを離れんなよ……全員でプラティカムを守るぞォ……!」
「……!はいっ!」
「ティナ……!」
その言葉に、僕は戸惑った。
危険は分かっているはずだ。なのに、どうして頷くのだろう。
ティナートは僕にだけ聞こえる声で言った。
「夜叉のことが知れたら面倒じゃ済まねェのも分かってる」
「けど、ここで突っぱねて取り返しのつかねェことにでもなったら、たまったもんじゃねェだろォ」
考えた末に選んだ答えなのだろう。
だが、今の僕は戦力になれない。コシュルの力も未知数だ。
その状況で負担がティナートへ集中するのが、どうしても不安だった。




