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『天使と紫の炎』  作者: Bro_Be_Like_83
第4部 — 優しきヴォルタ王国および氷霜のエーテル王国における数多の戦闘。
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チャプター61 ― 二人だけの時間

夜はゆっくりとヴォルタの街に降りていった。

街灯がともり、濡れた石畳を柔らかく照らし出す。その光はどこか温かく、静かに揺れていた。


俺は壁にもたれ、腕を組んだまま――目の前に立つアンジェリーナを見つめていた。

黒いドレスは彼女の体の線を美しくなぞり、紫の瞳は、目を逸らせなくなるほど強い輝きを宿している。


「エンジェル……」


彼女が囁く。低く、甘く、心の奥に直接触れてくるような声だった。


「……ん?」


それだけで、心臓が速くなるのが分かる。


アンジェリーナはゆっくりと歩み寄る。

一歩一歩が計算されているようで、それでいて自然で――ただ、目を奪われる。


「ねえ……初めてあなたに会った日から……」

「あなたが私を救ってくれたあの日から……ずっと、あなたのことを考えていたの」


不意を突かれ、言葉が詰まる。

「アンジェリーナ……」


彼女は少しだけいたずらっぽく、でも真剣な笑みを浮かべた。


「守りたいの、エンジェル」

「あなたを傷つけるもの全部から……私が取り除いてあげたい」

「毎日でも、ずっとでも……あなたのそばにいたいの。あなたが望まなくても」


俺が一歩踏み出すより早く、彼女の手が胸に触れた。


「しー……」

「何も言わなくていいわ。感じて」


静かな声。けれど、逃げ場はなかった。


「あなたはね……私に“生きる意味”をくれた人なの」

「だから今度は、私があなたの“天使”になりたいの……私なりに」


彼女が少し身を乗り出す。

甘く、柔らかな香りが近づく。


「いい匂い……いつも通り」

「ねえ……その鼓動……まだ私のために鳴ってるんでしょう?」


答えられない。

ただ、見つめられるまま、立ち尽くしていた。


「エンジェル……」

今度は、どこか願うような声だった。

「もしできるなら……あなたをこの世界から連れ出したい」

「痛みも、戦いも、全部ない場所へ」


指先が腕をなぞる。優しく、確かめるように。


「大事にする……愛する……私のやり方で」


「アンジェリーナ……俺は……」


小さく笑う声。

甘く、でもどこか危うい。


額が触れそうな距離まで近づく。


「ねえ、エンジェル……言葉なんていらないわ」

「ただ……受け取って」


肩に手が置かれ、まっすぐ見つめられる。


「あなたがどれだけ特別か……分かってる?」

「私にとって、あなたは闇を貫いた光なの」

「全部ほしい……あなたの全部を。秘密も、傷も」


胸の奥が揺れる。


「それにね――」

彼女は微笑む。熱を帯びた、確かな想い。


「私は怖くないの」

「あなたを愛してるって言うことも」

「これから先も、ずっと……この想いが強くなるってことも」


頬に指が触れる。やわらかく、名残惜しそうに。


「……私の天使」


心臓が大きく跳ねる。

でも、不思議と――逃げたいとは思わなかった。


「アンジェリーナ……」


言いかけた言葉は、彼女の指で止められる。


「しー……もういいの」


街灯の下で、紫の瞳が揺れている。

その輝きは、あまりにも強くて――


(……本当に、眩しいな)


彼女はさらに顔を近づける。

息が触れるほどの距離。


「エンジェル……愛してる」


静かに告げられる言葉。


「アンジェリーナ……落ち着け」

俺はできるだけ穏やかに言う。

「少し……急ぎすぎだ」


彼女はわずかに眉を寄せる。

「急ぎすぎ……?」


その声は少しだけ揺れていた。


「だって私は……ただ、感じてることをそのまま……」


さらに近づく。

唇が触れそうになる、その瞬間――


俺はわずかに顔をずらした。


触れない、ぎりぎりの距離で。


彼女の目が見開かれる。

頬がほんの少し赤く染まる。


「……どうして?」


小さく、でも確かに混じる感情。


「拒んでるの……?」


俺は首を横に振る。

「違う。ただ……こういうのは、その……」


言葉を探す。


「ちゃんとしたいんだ」


アンジェリーナは唇を軽く噛む。

ほんの少し、不満げに。


「でも……エンジェル……私は……ただ近くにいたいだけなのに」


「分かってる」

俺は小さく頷く。

「でも……線は守りたい」


彼女は小さく息を吐き、そして――くすっと笑った。


手が胸に触れる。


「それでも……分かるわ」

「あなたの心臓、すごく速い」


「アンジェリーナ……ほんとお前……」


思わず苦笑する。


彼女は楽しそうに笑った。

「あら? 誰のせいかしら、エンジェル?」


もう一歩近づく。

また唇が迫る。


俺はまた、ほんの少しだけ距離をずらす。


彼女の眉がぴくりと動く。


(どうして……まだ拒むの?)


そんな感情が、一瞬だけ表に出た。


「……俺の我慢、試してるのか?」


少しだけ意地悪く言う。


「え?」彼女は目を丸くしてから、ふっと笑う。

「それ、私の台詞よ?」


俺は首を振る。

「違う。俺はただ……大事にしたいだけだ」


言葉は自然に出ていた。


「お前のこと、ちゃんと――」


そこまで言って、止まる。


アンジェリーナは少しだけ黙り、そして小さくため息をついた。


「……分かったわ」


少しだけ拗ねた声。

でも、瞳の奥の熱は消えていない。


「でもね……」


彼女はまっすぐ見つめてくる。


「簡単に諦めると思わないで?」


俺は何も言わない。ただ見返す。


彼女は唇を噛み、そして――


「エンジェル……いつか、きっと」


その声は、どこか確信に満ちていた。


「私を受け入れる日が来るわ」


「……いつか、な」


俺も小さく返す。


彼女は微笑む。

優しくて、でもどこか挑むような笑み。


一歩下がり――そして、またすぐに距離を詰める。


「いいわ、私の天使」

「待ってあげる」


囁き。


「でも覚えておいて」

「私の愛は……止まらない」


吐息がかかる距離。

触れそうで触れない、その境界。


拒んでいるはずなのに――

そこには、確かな温もりがあった。


揺れているのは、きっと――俺の方だった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


アンジェリーナはわずかに身を引き、両手はそのまま俺の胸に置いたまま、いたずらっぽい笑みを浮かべた。


「ねえ……」

紫の瞳を見上げながら、彼女は囁く。

「夜の散歩、しない? 二人きりで」


思わず小さく笑みが漏れる。少し気の抜けた、でも悪くない提案だった。

「夜の散歩か……俺とお前で?」


「そう!」

彼女は軽く力を込めて、俺が離れないようにする。

「絶対に楽しいわよ。それに……いろんな話をしてあげる」

「あなたがまだ聞いたことのない話」


俺は片眉を上げた。

「へえ……“いろんな話”ね」


アンジェリーナは小さく頷き、どこか意味ありげに微笑む。

「ええ……それに、あなたも話してくれるかもしれないでしょう?」

「その気があるなら、ね」


俺はため息をつきながら、肩をすくめた。

半分は呆れ、半分は楽しんでいる。


「……分かったよ。ただし、今日はあまり話す気分じゃないぞ」


「いいのよ、私の天使」

彼女は柔らかく笑い、少し身を寄せる。

「手を繋いで、隣を歩けるだけで……それで十分だから」


その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。


「……じゃあ、案内は任せる」


「ふふ……後悔しないでね?」


くすっと透き通るような笑い声。

彼女の手が、ほんの少しだけ強く胸を押した。


やがて俺たちは歩き出す。

夜の街は静かで、足音と遠くのざわめきだけが響いていた。

アンジェリーナは迷いなく道を選び、その後ろ姿を見ているだけで、なぜか安心する。


「月の下を歩くの、好き?」

しばらくして、彼女が振り返りながら尋ねた。


「まあな……」

俺は軽く答える。

「でも――お前と一緒なら、もっといい」


アンジェリーナの目がぱっと輝く。

「聞いた? エンジェルが正直に言ったわ」


そのまま、彼女は俺の手を軽く引き寄せた。


夜の中、並んで歩く。

互いの存在が、静かに伝わってくる。

落ち着くのに、どこか胸が高鳴る――そんな距離。


しばらくして。

アンジェリーナがふいに足を止めた。


「……どうした?」


振り返ると、彼女は小さく微笑みながら一歩近づいてくる。

気づけば、もう数センチの距離だった。


紫の瞳が、まっすぐ俺を捉える。


「エンジェル……」

柔らかな声。

「このドレス、どう思う?」


「ドレス?」


彼女は黒い布を指先でつまみ、ゆっくりと揺らす。

光がその輪郭をなぞり、体のラインが浮かび上がる。


「さっきから見てるくせに、何も言わないんだもの」

「どう? 似合ってる?」


一瞬、視線を逸らしてから――

正直に答える。


「……綺麗だ」


アンジェリーナは目を少し見開き、すぐに顔を輝かせた。

「ほんとに?」


「本当だ」

俺は彼女を見つめる。

「……すごく似合ってる」


彼女はくすっと笑い、頬をわずかに染めた。

「お世辞じゃない?」


「そんなこと言う性格に見えるか?」


「ふふ……」

彼女は胸に手を当て、大げさに息をつく。

「私の天使の言葉は、蜂蜜より甘いわ」


「相変わらずだな」


「いいのよ」

少し顎を上げて、誇らしげに笑う。

「それだけ嬉しいってことだから」


そして――

ふと、声が柔らかくなった。


「このドレスね……あなたに見てほしくて選んだの」


俺は少し眉をひそめる。

「俺に?」


彼女はゆっくり頷く。

その瞳には、飾りのない感情が宿っていた。


「あなたが“綺麗だ”って思ってくれると……」

「ちゃんと存在できてる気がするの」


その言葉に、一瞬、言葉を失う。


「……ドレスなんて関係ない」

俺は静かに言った。

「お前は何もなくても……十分に輝いてる」


アンジェリーナの唇が、わずかに震える。

そして、小さく笑った。


「……ねえ、エンジェル」

「そんなこと言われたら……溶けちゃうわよ?」


「それは困るな」


「困らないくせに」


彼女は楽しそうに笑い、くるりと背を向ける。


「ほら、行きましょ」

「これ以上変なこと言わせる前に」


肩越しに振り返るその表情は、どこか照れていた。


俺は小さく笑いながら、その後を追う。


再び、静かな路地へ。

夜は銀色のヴェールのように街を包み、星が屋根の上で瞬いていた。


アンジェリーナは両手を背中で組み、穏やかな表情で歩いている。


「ねえ、エンジェル……」

夢を見るような声。


「こういう時間、好きなの」

「ただ……一緒に歩くだけの時間」


「俺と?」


「ええ」

彼女は少し顎を上げる。

「戦いも、魔法も、任務もいらない」

「ただ、あなたと私だけ」


俺は小さく笑う。

「お前にしては、ずいぶん静かだな」


「それ、どういう意味?」


「普段はもっと……騒がしい」


アンジェリーナは吹き出した。

「それって遠回しに“疲れる”って言ってない?」


「言ってない」


じっと見つめてくる視線。

そして――笑う。


「ほんと、可愛いわね。真面目な顔してるとき」


「お前は変わらないな」


「だって――」

少し近づく。

甘い香りがふわりと漂う。


「あなたの反応を見るの、好きなんだもの」

「いつも落ち着いてるから……少し崩れると、嬉しくて」


「勝ちたいだけだろ」


「もちろん」

いたずらっぽく笑う。


でも、すぐに声が柔らかくなる。


「でもね……あなた相手だと、勝たなくてもいいの」

「ただ……ここにいられれば」


その言葉は、静かに夜に溶けていく。


俺は少しの間、彼女を見て――


「……俺も、嫌いじゃない」


アンジェリーナは足を止めた。

瞳が、優しくほどける。


「それ、すごく嬉しいわ」


「大げさだな」


「そうかも」

彼女はまた歩き出す。

「でもね……」


振り向かずに、続けた。


「このままでいられるなら……」

「ずっとこのままでいいって思えるの」


その声は静かで、けれど確かだった。


彼女はくすっと笑う。

俺は何も言わず、その隣を歩き続ける。


夜は穏やかで――

ただ静かに、俺たちを包んでいた。


やがて、俺たちはヴォルタの中央広場へと辿り着いた。

夕方の霧はすっかり晴れ、月の光が滑らかな石畳に静かに映り込んでいる。


広場の中心には、この国でも名高い噴水が堂々とそびえ立っていた。

白い大理石で造られたそれは、翼を持つ女性の像を頂き、透き通る水瓶から水を注いでいる。

淡い蒼の光に照らされた水流は、美しい弧を描き――まるで魔法そのものが空気の中で舞っているかのようだった。


アンジェリーナは足を止め、目を輝かせると、そっと俺の袖を引いた。


「見て、エンジェル……綺麗でしょう?」


「ああ……」

俺は頷く。

「……本当に、見事だな」


彼女はそのまま数歩進み、水面のすぐそばへ。

青い光が黒いドレスに映り込み、月光に照らされた金の髪は、ほとんど白銀のように見えた。


彼女は目を閉じ、小さく息を吸い込む。


「この噴水を見るたびにね……夢の中にいるみたいな気がするの」

「変かしら?」


「いや、変じゃない」

俺は静かに答える。

「ヴォルタには、そういう空気がある。荘厳さと静けさが混ざり合った……独特のな」


アンジェリーナは微笑み、縁に腰を下ろすと、水に指先を触れさせた。


「あなたって、本当に落ち着いてるわね」

「何があっても動じなさそうで……安心する」


「外のものに執着しないようにしてるだけだ」


「人にも?」

彼女はそっと顔を向ける。


俺は少しの間、揺れる月の反射を見つめた。


「……そっちは、少し難しいな」


「ふふ……」

彼女は柔らかく笑う。

「それでも“少し”はあるのね」


彼女は隣を軽く叩いた。


「座って、エンジェル」


言われるままに腰を下ろすと、彼女は像を見上げながら呟いた。


「この噴水、“リリスの吐息”って呼ばれてるの」

「ここで願い事をすると、叶うって言われてるのよ」


「そういうの、信じるのか?」


「信じるわ」

迷いのない声。

「私が感じたものは、ちゃんと意味があるって思うから」


そう言うと、彼女は目を閉じ、そっと手を合わせた。


「お願い……この時間が、ずっと終わりませんように」


俺は少し笑ってしまう。


「……さすがに、それは無理だろ」


彼女は片目だけ開けて、いたずらっぽく笑った。


「じゃあ、明日も同じ願いをするわ」

「その次の日も、そのまた次の日も……ずっとね」


くすくすと笑うその声は、どこまでも無邪気だった。


そして――少しだけ、声が柔らかくなる。


「だって……」

「あなたと同じ月を見て、隣を歩いて、声を聞けるなら……それで十分だから」


俺は視線を逸らす。


「……変わってるな、お前」


「そうかもね」

彼女は静かに微笑む。

「でも、あなたにとっての“お気に入りの変わり者”でしょ?」


その言葉の意味を考える間もなく――


ばしゃっ。


冷たい水が顔にかかった。


「っ!?」


思わず後ずさる。

髪から水が滴り落ちた。


アンジェリーナは腹を抱えて笑っている。


「あははっ! エンジェル、すごい顔してる!」


俺はため息をつきながら顔を拭う。


「……子供か」


「失礼ねぇ」

彼女は胸を張って、わざとらしく言う。

「格式ある淑女の遊びよ?」


「仕返しされたいのか?」


「望むところよ、我が愛しき天使様?」


そのまま、彼女は楽しそうに身構えた。


俺は水をすくい、軽く投げる。


「――ほら」


「きゃっ!」


彼女は半分避け、半分わざと当たりながら笑った。

そのまま、わざとらしくバランスを崩す。


「えっ……ちょっと待って――」


俺は思わず一歩踏み出す。


「アンジェリーナ、危ない――」


次の瞬間。


ばしゃっ!


より激しい水しぶきが返ってきた。


「捕まえた♪」


俺はしばらくそのまま固まる。

水が顎から滴り落ちる。


「……戦争でも始める気か」


「戦いは大好きよ?」

彼女は一歩下がり、誇らしげに笑う。

「勝てると分かってるなら、なおさらね」


思わず、小さく笑いが漏れる。


「……いいだろう。相手になってやる」


ゆっくりと近づくと、彼女は両手を上げて大げさに震える。


「やめて! 顔はダメ! 髪もダメ!」


俺はそのまま水を投げる。


彼女は軽やかに避け、くるりと回る。

濡れた髪が月光を反射し、弧を描いた。


笑っている。

心から、自由に。


そして――本当に綺麗だった。


やがて、彼女は笑いながら息を整え、そっと俺の胸に手を置く。


「ねえ、エンジェル……」

優しい声。


「だから好きなの」

「あなたといる時間」


「水をかけられるのがか?」


「違うわ」

彼女は首を振る。


「あなたといると……全部忘れられるの」


その瞳はまっすぐで、嘘がなかった。


背後の噴水が、ひときわ強く輝いた気がした。

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