チャプター60 ― どうして彼女と、ここまで似ている……?
戦いの緊張はようやく解け、空気にはなおも電気と霜が混ざり合った余韻が漂っていた。
だが、誰かが言葉を発するよりも先に――陽気で、どこか間延びした声が静寂を切り裂いた。
「アンジーーーーーーーちゃぁぁぁぁぁんっ!!! どうだったの〜っ!?」
一斉に視線が声の方へ向く。
角を曲がって現れたのはルナ。腰に手を当て、いたずらっぽい笑みを浮かべている。長い銀髪が風に揺れ、その飄々とした雰囲気は、先ほどまでの張り詰めた空気とはまるで別世界だった。
アンジェリーナは息を整えながらも、どこか誇らしげに両腕を広げる。まるで子供のように。
「最高だったわよ〜! 新しいお友達ができたの!」
ブランシュはわずかに眉を上げて驚いたが、やがて普段の無表情をやわらげるように、かすかに微笑んだ。
「ええ……こちらも同じよ」
二人は自然と歩み寄る。
アンジェリーナは迷いなく手を差し出し、ブランシュはしっかりとそれを握り返した。
その瞬間、ブランシュはある違和感に気づき、動きを止める。
アンジェリーナの白銀の髪の下に隠れる、細く長い耳――それは紛れもなくエルフの特徴だった。
視線をルナへ移す。そこにも同じような耳が見える。やや短いが、明確にそれと分かるものだった。
「待って……」ブランシュは小さく呟く。
青い瞳がわずかに見開かれた。
「あなたたち……エルフなの?」
彼女は戸惑いながら二人を見比べる。
短い沈黙のあと、アンジェリーナとルナは視線を交わし、揃って頷いた。
「ええ」とアンジェリーナは微笑む。
「そうよ〜」
ルナも軽くウィンクしながら続ける。
「正解。私たち、同じ血筋。詳しく言えば――同じ国から来てるの」
彼女は胸を張るように言った。
「――エルフの国の大王国からね」
俺は思わず目を見開いた。
「は……? え?」
声がわずかに震える。混乱が正直に表に出る。
アンジェリーナとルナを交互に見て、そして視線を逸らした。
アーリャは堪えきれず吹き出す。
「ふっ……さすがだな、エンジェル。エルフばかり引き寄せてる」
エリーも笑いながら言う。
「このままいくと“エンジェル親衛エルフ団”でも作れそうだね、エンジェルさん!」
俺は天を仰ぐ。
「はいはい……もういいよ」
少し離れた場所では、ヴァイオレット、エスター、アンバーが楽しげに視線を交わしていた。
その表情は、緊張とは無縁の柔らかいものへと変わっている。
だが――ただ一人、笑っていない者がいた。
フードの女だ。
彼女は依然として沈黙したまま、アンジェリーナとルナを観察している。
その視線は冷静で、分析的で、どこか鋭い光を帯びていた。
不意に、彼女は一歩前へと進み出る。靴音が石畳に響いた瞬間、周囲の会話がぴたりと止まる。
俺は眉をひそめ、一歩前に出た。
「それ以上はやめろ」
声は静かだが、明確な拒絶を含んでいた。
「もう刃を交えるのはなしだ」
女は足を止める。
張り詰めた空気が一瞬だけ戻る。
しかし次の瞬間――フードの奥から、小さな笑い声が漏れた。
くす、と軽やかで、どこかいたずらめいた響き。
「まあまあ……若いの」彼女は穏やかに呟く。
フードを少し持ち上げ、柔らかな微笑みを覗かせた。
「今回は戦う気はない。安心していいわ」
俺は疑いの目を向ける。
「前も同じこと言ってたよな」
「ふふ、それは否定しないわ」彼女は肩をすくめる。
「でも今回は、本当にただの興味よ」
視線が再びアンジェリーナとルナへ向けられる。
その眼差しは、何かを見極めようとする研究者のようだった。
「これほどのエルフの気配……そう簡単に出会えるものではないから」
ルナは臆する様子もなく、首を傾げてにやりと笑う。
「ねえ、フードのお姉さん。人をじっと見るのはマナー違反だよ? せっかくだし、フード取って顔見せたら?」
軽い挑発。だが場の空気は重くならず、むしろ微かな笑いが広がる。
ブランシュでさえ、わずかに口元を緩めていた。
フードの女は小さく首を振る。
「いつかは見せるかもしれないけれど……今夜はやめておくわ」
その声音には、どこか余裕と余韻があった。
アンバーが腕を組みながらヴァイオレットに囁く。
「なんかさ……貴族の水面下の駆け引きみたいじゃない?」
ヴァイオレットは微笑む。
「もし本気でぶつかれば、どちらが勝つかは分からないわね」
エスターも小さく頷いた。
「少なくとも……ただ者じゃないのは確か」
その間にも、女たちはそれぞれの距離感を保ちつつ、静かに空気を共有していた。
アンジェリーナはフードの女へ歩み寄り、穏やかに言う。
「心配しなくていいわ。私たちは争うつもりはないから」
女はしばらく彼女を見つめ、そして静かに頷いた。
「……分かっているわ」
そう言って、彼女は一歩下がり、アンバーたちの側へと戻る。
その瞬間――ルナが手を打った。
パンッ、と乾いた音が響く。
「よーし! じゃあご飯に行こうよ! お腹すいた!」
その一言で、場の空気が一気に緩む。
あちこちから笑い声がこぼれた。
こうして、さきほどまでの冷たい刃の空気は完全に消え去り、
種族も立場も違う者たちが、ひとつの輪の中で穏やかに共にいる――そんな温もりへと変わっていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
宿へ戻る道にちょうど差しかかったところだった。
夕暮れの空気には雨と濡れた石の匂いが混じり、路地のランプが一つ、また一つと灯り始め、石畳に黄金色の反射を落としている。
少し離れた先では、アンジェリーナがルナやブランシュと笑い合っていた。
アーリャはアンバーの隣を歩き、エリーはヴァイオレットと楽しげに話している。
俺はただ、あの張り詰めた空気が完全に和らいだことに安堵していた。
だが、宿の扉をくぐろうとしたその瞬間――
エスターがそっと袖を掴んで俺を引き止めた。
「ねえ、エンジェル……」
振り返る。彼女の表情は真剣で、むしろ少し重すぎるくらいだった。
「なんだよ今度は。夕飯の一番乗りでも狙ってるのか?」
エスターは首を横に振る。
「違うわよ。あの子のことを聞きたいの」
「誰のことだ?」と、わざととぼける。
彼女は“分かってるくせに”と言いたげな視線を向けてくる。典型的なツンデレ王女のそれだ。
「紫の瞳の金髪の子よ。あの……色々と大きい子」
彼女はやや苛立った様子で、自分の胸のあたりを曖昧に示した。
俺は小さくため息をつきつつ、口元に笑みを浮かべる。
やっぱり気にしてるのか、その“とても豊かな体つき”が。
「アンジェリーナのことか? ああ、友達だよ。どうした?」
「……本当に、それだけ?」エスターはじっと俺を見る。
俺は少し面白がりながら、問い返した。
「どういう意味だよ?」
エスターは腕を組み、むすっとした顔で小さく呟く。
「違うとは思うけど……なんか、見覚えがあるのよ」
「見覚え、ねえ……」俺は肩をすくめる。
「美人だってことなら同意するけど、それ以上の話か?」
彼女は俺の言葉を無視するように眉をひそめた。
「歴史の授業、覚えてる?」
「歴史?……ああ、先生が自分の話で寝落ちしかけたやつか?」
「その前よ、バカ。リリスと七人の娘の戦いの話」
「ああ、あれか」俺は軽く頷く。
「そりゃ覚えてるよ」
少しだけ昔を思い出し、俺は苦笑した。
「お前が“私は王女だから窓側を譲りなさい”って言ってきたやつな」
エスターは頬を膨らませる。
「光が必要だったの! それに……誇張しすぎよ!」
俺は軽く笑う。
「いやいや、完全に僕を従者扱いしてただろ」
「教室中の前で私を恥ずかしめたのはあなたでしょ!」と彼女は睨み返す。
「ただ席の権利を主張しただけだよ、王女様」俺は肩をすくめる。
エスターはしばらく腕を組んで拗ねていたが、やがて落ち着いた声で続けた。
「……その授業でね、リリスの娘の一人について話してたのよ。覚えてる?」
「ああ」
「その一人の名前が――アンジェリーナだった」
俺は一瞬だけ言葉を止め、彼女を見る。
「……それで?」
エスターはゆっくりと息を吸い込み、まるで記憶をそのまま引き出すように語り始めた。
「その文献によると、アンジェリーナは大柄で、人間の男性平均身長ほどありました。絹のような金髪は膝まで届き、左右対称に分けられています。紫の瞳は…」
彼女はそこで一度区切り、まっすぐ俺を見る。
「…あのエルフと同じほど輝いていたのです」
さらに続ける。
「彼女の体は曲線美に富み、顔立ちは繊細で成熟しており、誰もが目を奪われる美しさだったと言われます」
そのまま、ほとんど一言一句違わぬ調子で説明を終えた。
正直、俺は少し眉を上げた。
――それは、完全にアンジェリーナそのものだった。
細部に至るまで一致している。
俺は彼女を見てから、少し離れた場所で笑っているアンジェリーナへ視線を向ける。
エリーの冗談に反応しながら、夕暮れの光を受けて揺れる金髪と、紫の瞳。
……一致している、と言っていいレベルだ。
だが――
「ふーん。なるほどな」とだけ俺は言った。
エスターは目を見開く。
「“なるほど”で済ませるの!? 普通もっと驚くでしょ!」
俺は肩をすくめる。
「じゃあ何だよ。遠い昔の先祖が蘇ったとか、神の転生体だとか、そういう話にでもしろってか?」
彼女は呆れたように息を吐く。
「少しくらい心配しなさいよ!」
「心配するのは、彼女が“未熟な子孫よ”とか言いながら隕石でも落としてきたときでいいだろ」
エスターは口をあんぐりと開け、しばらく固まったあと、顔を覆った。
「本当に……救いようがないわね」
「お前は相変わらず大げさだな」
エスターはぶつぶつ文句を言いながら歩き出す。
俺はポケットに手を入れ、少し後ろからついていく。
正直なところ、どうでもよかった。
アンジェリーナが何者であれ――
先祖だろうが、リリスの娘だろうが、そんなものは重要じゃない。
彼女は彼女だ。
何度も助けてくれた仲間であり、英雄や怪物としてではなく、対等な存在として接してくれる相手。
それだけで十分だった。
少なくとも、この瞬間の俺にとっては――それ以上の理由はいらなかった。




