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『天使と紫の炎』  作者: Bro_Be_Like_83
第4部 — 優しきヴォルタ王国および氷霜のエーテル王国における数多の戦闘。
69/73

チャプター59.1 ― 緊張が極限まで高まる激戦。

夕暮れの空気は冷たく、ほとんど音がなかった。

宿の前庭に灯された松明が、湿った石畳に揺らめく光を落としている。風がそっと吹き抜け、向かい合う二人の女の髪をやわらかく揺らした。


ブランシュは真っ直ぐに立ち、気品を纏いながら、蒼みを帯びたレイピアを構えている。その瞳は氷のように澄み、そして鋭かった。

対するアンジェリーナは、穏やかな微笑みを浮かべ、片手を開いて掌を地へ向けている。


その掌から、黒く粘ついた物質が滲み出た。まるで液体の影のように蠢くそれは、数秒のうちに形を成していく――細く長い一振りの刃へと。深い黒に染まったその刀身には、紫と金の紋様が脈打つように浮かび上がり、まるで生きているかのように淡く鼓動していた。


やがてその物質は、かすかな擦れる音とともに完全に固まる。

アンジェリーナは軽く手首を返し、その刃を空中でひらりと踊らせた。空気を裂く音が、静寂に細く響く。


「少し緊張しているみたいね、姫様?」


ブランシュは視線を逸らさぬまま、レイピアの柄を強く握り直す。

「緊張しているわけじゃない。ただ集中しているだけよ」


「へえ?」と、アンジェリーナは愉しげに目を細めた。

「じゃあ、始めてもいい?」


「好きにしなさい」


一瞬の静寂。

次の瞬間、鋼の閃光が空気を切り裂いた。


甲高い金属音が弾ける。

ブランシュは一歩横へ流れるように動き、正確無比な動作でそれを受け流した。アンジェリーナはすぐさま素早いフェイントで応じ、黒い刃をブランシュのそれへ滑らせる。甲高い擦過音が響いた。


二人はすぐに間合いを取り直す。互いのマナの奔流が風となり、髪を大きく揺らした。


「悪くないわね」と、アンジェリーナは構えを整えながら呟く。

「思っていたより速い」


ブランシュは答えない。

ただ静かに構え直し、レイピアをわずかに傾け、手首を柔らかく保つ。


「その反応、さすが姫様ってところかしら」

「あなたの挑発は、子供じみているわね」ブランシュは冷ややかに言い返した。


アンジェリーナはくすりと笑う。

「一本取られたわ」


再び、二人は同時に踏み込んだ。

石畳を打つ足音は速く、正確で、刃の衝突はまるで旋律のように響く。


縦の一撃――防がれる。

横のフェイント――躱される。

鋭い突き――刃で弾かれる。


周囲の空気が、二人の戦いの圧に震えていた。


俺は少し離れた場所から、それを見つめていた。息を呑む。

その連携は、恐ろしいほどに完璧だった。まるで昔から互いを知り尽くしているかのようだ。


アンジェリーナが軽く跳んで距離を取る。瞳には愉悦の光。

「強いわね、姫様。あんなに静かなのに」


ブランシュは一歩踏み出し、切っ先を向ける。

「あなたは不安定すぎるわ。その自信にしてはね」


「不安定?」アンジェリーナは楽しげに首を傾げる。

「ねえ、ブランシュ様。不安定だからこそ、人生は面白いのよ?」


「違うわ。それは、ただ危険なだけよ」


「だったら……私はその危険が好きなのかもね。さあ、どうかしら?」


次に動いたのはブランシュだった。

蒼い閃光が夜を裂く――外科的なまでに正確な一撃。


アンジェリーナは間一髪でそれを受け止める。刃先が頬をかすめた。

それでも彼女は笑っていた。


「顔を狙うなんて、容赦ないわね」


「当てられる場所を狙っているだけよ」


アンジェリーナは澄んだ笑い声をあげた。

「気に入ったわ、ブランシュ姫様」


再び、二人の刃が激しくぶつかり合った。

先ほどよりもはるかに重く、荒々しい衝突。

衝撃とともにマナの波動が広がり、砂塵を巻き上げ、枯れ葉を宙へと舞い上がらせる。


もはや言葉はなかった。

語るのはただ、その動きのみ――流麗で、迅速で、そして正確無比。

互いを読み、互いの限界を探り合う。


そして、時が止まったかのような一瞬。

二人の女は至近距離で刃を交えたまま、顔が触れ合いそうなほどに近づく。

視線がぶつかる――氷と炎。


アンジェリーナが低く囁いた。

「……で、何を“確かめたい”の?」


ブランシュは圧を緩めることなく、静かに答える。

「私が見たものが……本当かどうかよ」


「何を見たのかしら?」


ブランシュは息を吸い、わずかに唇を震わせた。

「あなたの瞳の奥にある……人間じゃない“何か”」


短い沈黙。

やがてアンジェリーナは、ゆっくりと、謎めいた笑みを浮かべる。

「ふふ……間違ってないわね」


次の瞬間、彼女は荒々しくブランシュを押し返した。

黒い刃が震え、紫の衝撃が地面を走る。石畳が裂ける音が響いた。ブランシュは軽やかに跳び退く。


俺は一歩踏み出した。

「やめろ! 全部壊れるぞ!」


だが、二人の耳には届かない。


アンジェリーナは刃を掲げる。闇のオーラが濃さを増し、周囲の空気が重く沈んでいく。

一方のブランシュは、レイピアに蒼い輝きを宿した。霜のような淡い光が、細く尾を引く。


――正面からぶつかる。


アンジェリーナが囁く。

「耐えられるかしら、姫様」


ブランシュは氷のように応じた。

「あなたの力、見せてもらうわ」


次の瞬間、二人の声が重なり――刃が最後に激突する。

激しい閃光。

白と紫の衝撃波が、中庭全体を薙ぎ払った。


戦いは、新たな段階へと突入した。

松明の炎はマナの奔流に揺らめき、衝突のたびに地面が微かに震える。

つい先ほどまで静まり返っていた夜が、息を潜めて見守っているかのようだった。


最初に動いたのはアンジェリーナ。

一瞬の踏み込み――しなやかで、美しい。

その全身が、まるで舞うように動き出す。


黒い刃が風を裂き、鋭く正確な軌跡を描く。

そこから迸る紫の閃光が、断続的に彼女の横顔を照らし出す。

その瞳は、どこか神々しさすら帯びていた。


「見事だな」アーリャが腕を組み、無表情のまま呟く。

その隣で、エリーは口をわずかに開き、目で追い続けていた。

俺はただ立ち尽くし、その速さに息を呑む。


ブランシュは、その猛攻を前にしても一歩も引かない。

すべてを受け流す――一切の迷いなく。

彼女のレイピアは、細く厳密な軌道を描き、すべての動作が機械のように正確だった。


一歩の移動。手首の捻り。足の滑り。

無駄は、ひとつもない。


「すべての軌道を読んでいるな」とアーリャ。

「ああ……」俺は小さく応じる。

「まるで死と踊ってるみたいだ」


アンジェリーナが再び仕掛ける。

三連撃、そして低く抉るような四撃目――フェイント。


ブランシュは一撃目を逸らし、二撃目を受け止め、三撃目を優雅な回転で躱す。

そして――黒い刃を、手袋越しの二本の指で挟み取った。


甲高い振動音が響く。

アンジェリーナが片眉を上げた。

「へえ……素手で私の刃に触れるなんて」


「触れているのは刃じゃないわ」ブランシュは静かに言う。

「あなたの傲慢よ」


アンジェリーナの口元に、愉しげな笑みが浮かぶ。

「なるほど……それを確かめたかったのね?」


「さあ、どうかしら」


彼女は荒々しく刃を引き抜いた。低い風切り音。

ブランシュは後方へ下がり、再び構える。


少し離れた場所で、ヴァイオレット、エスター、アンバー、そしてフードの女がその戦いを見つめていた。

王族の決闘にも慣れているヴァイオレットでさえ、思わず囁く。


「……あの二人、戦ってるんじゃない。測り合ってるのよ」


エスターが小さく頷く。

「互いを“理解してる”みたい」


アンバーは腕を組み、低く呟いた。

「それとも……理由もなく憎み合ってる、とかね」


フードの女は何も言わない。

淡いラベンダー色の瞳が、ただアンジェリーナを見つめている。そこには複雑な感情が揺れていた。


アンジェリーナはゆっくりと一歩踏み出す。

刃を地面に引きずり、石に焼けるような軌跡を刻みながら。


「ねえ、ブランシュ……私はね、戦うとき――勝つために戦ってるわけじゃないの」


「そう。じゃあ、何のために?」


「誰が私を震わせられるのか……それを知るためよ」


ブランシュはレイピアの柄を強く握る。

「それで?」


「今のところ……あなたは、まだね」


ブランシュの唇に、冷たい笑みが浮かんだ。

「なら――よく見ていなさい」


彼女は一気に踏み込む。

その姿が速度に溶け、輪郭がぶれる。


レイピアの先から蒼い閃光が迸り――衝撃が地面を震わせた。


アンジェリーナは跳び退き、すぐさま体を捻って反撃する。

完璧な弧を描く一閃。


刃と刃が激突し、紫と蒼の火花が散る。


キィン!

キィン!

キィン!


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


一撃一撃が、圧縮されたマナの爆発だった。

アンジェリーナのエーテルが、ブランシュの純粋なマナと激しく拮抗する。

互いのオーラは反発し、絡み合い、そして光の渦となって溶け合っていく。


「……すごい」エリーが息を呑み、思わず漏らした。

「綺麗……」


「ああ……」俺は低く応じる。

「だが、危険すぎる」


アーリャは一瞬目を閉じ、流れるエネルギーを測るように意識を巡らせた。

「どちらかがもう一段階力を解放すれば、この宿は跡形もなくなる」


だが、アンジェリーナもブランシュも止まる気配はない。

攻撃はさらに激しさを増し、互いに応じ合うたび、その密度は高まっていく。


縦の一撃――防がれる。

横薙ぎ――躱される。

鋭い突き――弾き返される。


そして、不意に。

アンジェリーナが一歩引き、刃を天へ掲げた。


黒と金の糸のようなエネルギーが、彼女の腕に絡みついていく。


ブランシュは即座にそれを察し、構えを固めた。

アンジェリーナは、甘く囁くような声で言う。


「最後までいきましょう。見せてちょうだい、姫様――本当のあなたを」


ブランシュは歯を食いしばる。

「後悔するわよ」


最後に、視線が交差する。

重く震える空気が、二人の間を通り抜けた。


そして同時に踏み込む――

夜を裂く二つの閃光。

黒と金。蒼と銀。


衝突の瞬間、大地がひび割れた。

マナの衝撃波が広場を薙ぎ払い、誰もが思わず目を覆う。


光が消えたとき――

絶対的な静寂が訪れた。


二人は動かない。

刃を交えたまま。

顔が触れ合いそうな距離で。


呼吸が混ざり合う。

そして、ゆっくりとアンジェリーナが微笑んだ。


「……悪くないわね、姫様」


ブランシュは息を荒げながらも、気品を崩さず答える。

「あなたもね」


俺は一歩踏み出す。だが――

アーリャの手が肩を掴み、制止した。


「行くな。これは……俺たちのための戦いじゃない」


「じゃあ、誰のためだ?」


アーリャは静かに答える。

「――あいつのためだ。お前のためだ」


その言葉と同時に、空気が一変した。

張り詰めたマナが震え、場を満たす。


次の瞬間。

アンジェリーナが左手を掲げた。


指先が金色の電光に包まれる。

純粋な雷が凝縮され、一条の槍として形を成した。

無数の電弧が蛇のように絡みつき、激しく唸る。


そのマナの波動が、広場全体を駆け抜ける。


「アンジェリーナ、やめろ!」俺は叫んだ。

だが――届かない。


半ば閉じられた瞳。

そこに宿るのは、昂揚と確信。


「ごめんね、私のエンジェル……でも、見たいの。彼女がどこまでいけるのか」


次の瞬間。

槍は放たれた。


閃光。

空気を裂き、雷鳴が轟き、宿の窓が震える。


だが――ブランシュは動かない。


その瞳は氷のように静かで、揺らがない。

彼女の唇が、ほとんど聞こえないほど小さく動く。


「――クライオスタシス」


蒼いレイピアが、正確に地面を打った。


瞬間、冷気が爆発する。

結晶のような光を伴い、空間そのものが凍りついたかのように静止する。


空気が止まる。

湿気が瞬時に凝固し、透明な氷の球体が彼女を包み込む。


雷の槍がそれに触れ――停止した。


音が潰れる。

くぐもった響きの中で、雷は青い火花へと崩壊し、やがて完全に消え去った。


凍りつくような静寂。


空気すら、動くのを躊躇っているかのようだった。


アンジェリーナはその場に立ち尽くし、ゆっくりと腕を下ろす。

金色の瞳が、わずかに揺れる。


「……ありえない。雷を……止めた?」


ブランシュは静かに顔を上げる。

金の髪には、まだ氷の結晶が残っていた。


その声は穏やかで、だが鋭い。

「電気は空気がなければ伝わらない。流れを凍らせればいいだけよ」


一歩、前へ。

レイピアの先が、かすかに地をなぞる。


「その程度、分かっていると思っていたけれど?」


アンジェリーナはしばらく黙っていたが――やがて、ふっと笑った。

今度は、心から。


「……面白い」


黒い刃が消え、エーテルの残滓が紫の光となって散っていく。


「ただの姫様じゃないわね」


「あなたも、ただの執着女じゃないわ」ブランシュは瞬きもせずに返した。


俺は深くため息をつく。

「頼むからさ……そのうち“どっちのコーヒーが美味いか”で王都吹き飛ばすのはやめてくれよ」


エリーが思わず吹き出し、

アーリャは無表情のまま、わずかに口元を緩めた。


アンバーが小声でフードの女に囁く。

「そのうち、あの二人……殺し合うかもね」


「あるいは――友達になるか」フードの女は柔らかく答える。

ラベンダーの瞳は、なおも氷の軌跡を追っていた。


「……どちらも、あり得るわ」


ブランシュはレイピアを鞘に収める。

最後の冷気が、静かに消えていった。


アンジェリーナはしばらく彼女を見つめ――やがて、楽しげに息を吐く。


「いいわ。答えは出たみたいね」


そして――

決闘が始まって初めて。


二人の視線が、敵意ではなく――

ただの“敬意”として交わった。

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