チャプター56 ― 霧が街を包む前の、特別な出会い……
俺たちは通りを歩いていた。
エンジェル、エリー、エスター、ヴァイオレット、ブランシュ……そして、フードの女。
彼女は俺の隣を歩いていたが、ほとんど口を開かなかった。
ただ、ときおり淡いラベンダー色の瞳で俺を見つめ、何かを読み取ろうとしているかのようだった。
「ねえ、どうして私のことを……『フードの女』って呼ぶの?」
少し戸惑ったように、彼女が尋ねる。
「だって……フード被ってるだろ?」
俺は子どもっぽい調子で肩をすくめた。
彼女はぱちりと瞬きをし、どこか可笑しそうな、微妙な笑みを浮かべる。
「それだけ? もう少し……ひねりはないの?」
「いや……何て呼べばいいか分からなかったんだよ」
俺はさらに大げさに肩をすくめた。
後ろでエリーがくすっと笑う。
「いかにもエンジェルだな。相変わらずストレート」
ヴァイオレットが首を振りながら、楽しそうに俺を見る。
「エンジェルって……たまに本当に“そのまんま”だよね。でも、そこが可愛いと思う」
これまで黙っていたブランシュが、フードの女を一瞬だけ見つめてから言った。
「あなたに悪意は感じない。ただ……観察しているだけ」
フードの女は少し身をかがめ、俺のほうへ顔を近づける。
ラベンダー色の瞳が、不思議な光を帯びていた。
「ふぅん……エンジェル、ね。悪くない名前」
その言葉に、俺は眉をひそめる。
「え……知ってたの?」
「うん。なんとなく」
彼女はいたずらっぽく微笑む。
「面白い人だね。初対面の相手にも、こんなに素直で」
俺は少し照れて肩をすくめる。
後ろでエリーが笑いながら首を振っていた。
「エンジェル、そのままでいろよ。唯一無二なんだから」
「唯一無二、ね……」
俺は小さくつぶやき、前方の道を見る。
この“フードの女”が、本当にただの通りすがりなのか――それとも、もっと厄介な存在なのか。そんなことを考えながら。
風が通り抜け、彼女のフードがわずかに揺れる。
ラベンダー色の瞳は、相変わらず静かに、しかし強く俺を捉えていた。
きっと、長く話すことになる。だが、それは今じゃない。
今はただ、歩く――俺は俺のままで。
そのとき、俺は彼女を見た。
燃えるような赤髪を背中の下まで垂らし、赤と黒の王族のような装いで、まるでこの広場を支配しているかのように歩く女。
心臓が、少し早く打つ。
近づきたい。話したい。彼女が何者なのか、知りたい。
「エンジェル……行かないほうがいい」
ブランシュが氷のような声で言い、俺を射抜くように見つめる。
「大丈夫だって……」
俺は小さく息を吐き、警告を無視した。
「ちょっと話しかけるだけだ」
ブランシュはため息をつく。
「分かってない。危険よ。私でも、彼女が冷静でいられるか保証できない」
「それでも」
俺はきっぱり言った。
「知りたいんだ」
後ろでヴァイオレットとエスターが不安そうに視線を交わす。
フードの女は黙ったまま、状況を見守っていた。
「エンジェル……」
エリーが小さく呼びかける。
「好きにすればいい。でも、気をつけろ」
俺はうなずき、赤髪の女だけを見つめる。
周囲の音が、遠のいていく。
「すみません……赤い髪の方」
少しだけ、ためらいが混じった声で呼びかけた。
彼女は優雅に――そしてどこか危険なほど美しく――振り返る。
赤髪がふわりと揺れた。
「はい? 何か――」
そう言いかけて、言葉を止める。
頬が一気に赤く染まり、目をわずかに見開いた。
「……あ」
息を呑むように。
「天使……?」
その声には、驚きと、はっきりとした憧れが混じっていた。
俺は思わず視線を落とす。顔が熱い。
「え、えっと……ありがとう……その……」
彼女は軽く首を振り、平静を取り戻そうとする。
だが、頬の赤みは消えきらない。
「ご用件は?」
柔らかいが、芯のある声。
「いえ……」
俺は少し迷ってから言った。
「ただ……ご挨拶を」
彼女は澄んだ笑い声を上げる。
「ふふ……可愛らしい方ですね」
赤い瞳が楽しげに輝く。
「とても面白い」
俺はさらに赤くなり、何も返せなくなる。
ブランシュは腕を組み、警戒を緩めない。
ヴァイオレットとエスターは一歩近づき、エリーは少し離れて様子を見ていた。
「落ち着いて」
フードの女が穏やかに言う。
ラベンダー色の瞳が、周囲をなぞる。
だが、赤髪の女は敵意を一切見せなかった。
むしろ、朗らかに微笑んでいる。
「心配いりません」
温かい声で。
「争うつもりはありません。ただ……あなたのような方に会えて、嬉しいだけ」
その態度に、空気は自然と和らいでいく。
ヴァイオレットも表情を緩め、エスターは小さく笑った。
エリーは肩をすくめる。
「……まあ、大丈夫そうだな」
赤髪の女はにこりと笑い、首を傾けて言った。
「あなたたち……みんな、クールですね」
「赤い髪の女性……?あなたは誰ですか?」
思わず好奇心に駆られて、俺は尋ねた。
彼女は微笑む。柔らかく、しかし自信に満ちた笑み。
「私の名前はアンバーです」
「アンバー……」
エリーが少し眉をひそめながら繰り返すが、その後は黙っている。
アンバーはうなずき、肩のあたりで赤い髪が軽く揺れた。
「私はパイラ王国の王女です……燃え盛る灰の王国」
落ち着いた声で説明するが、王国がどこにあるかは詳しく語らない。
「ここ、ヴォルタに来たのは少し休息をとるため……そして、ある人を探すためです。結婚したい相手を」
俺は眉を上げ、わずかに皮肉っぽく微笑む。
「……当ててみようか……紫色の瞳を持つエルフ、かな?」
アンバーは瞬きをし、その視線が燃えるように熱く、ほとばしる情熱で満ちる。
「ええ。まさにその通りです」
その一言に、彼女の言葉の重みを感じずにはいられなかった。
声も、態度も、視線も――すべてが揺るぎない決意を語っている。
隣のブランシュは静かに観察している。表情は変わらないが、目は注意深い。
ヴァイオレットはわずかに眉をひそめ、興味深げに見つめる。
エスターとフードの女は慎重に距離を保つ。
エリーは俺に向かって、まるで「だから言っただろう」とでもいうように、少し笑った。
アンバーは言葉を続ける。赤い唇に浮かぶわずかな微笑み。
「分かりますよね?これは私だけの話じゃありません……約束なのです。必ず見つけなければならない人。どこにいようとも」
その言葉の重みが、俺の頭の中に浸透する。
彼女の決意には抗えない何かがある。
「なるほど……君は、彼のためなら何でもする覚悟があるんだな」
俺は小声でつぶやく。
アンバーは静かにうなずき、燃えるような青い瞳で数秒間俺を見つめた後、付け加える。
「ええ! 何でもします! そして必ず見つけます。どんな道を通ってでも」
驚きと不思議な好奇心が混ざった感覚が、胸に広がる。
この女性は単に王族であるだけじゃない。力も、迫力も……何かが、並外れていた。
「それじゃ……まあ、頑張ってね」
最後に、少し笑みを浮かべて言った。
アンバーは澄んだ、小さくて美しい笑い声を上げる。
「ありがとう、天使。きっと、私たちはうまくやっていけるわ」
こうして、二人の関係の輪郭が、静かに、しかしはっきりと形をとり始めた。
青の塔は、まるでガラスと鋼でできた巨人のように街を見下ろしていた。
朝の光を反射する無数の窓。その頂上には、一人の男が立っていた。
フードを深く被り、吹き荒れる風の中でもなお、圧倒的な存在感を放つ影。
その周囲には、黒装束の暗殺者たちが数名。
息を殺し、ほとんど超自然的とも言える集中力で、眼下の通りを見下ろしていた。
「……あそこだ。」
男が低く呟き、下方の一つの影を指差す。
「――あれが、エンジェルだ。」
暗殺者たちはわずかに身を乗り出し、少年の動きを観察する。
仲間と共に歩く仕草、無防備にも見える立ち居振る舞い。
男は続ける。
その声は冷たく、鋼のように硬い。
「回収する。無駄口は不要。失敗も許されない。手段は問わん。」
若い暗殺者の一人が、眉をひそめた。
「ですが、ボス……囲まれています。人が多すぎる…」
「問題ない。」
男は視線を動かさずに言い放つ。
「混乱は我々の味方だ。抵抗するなら……障害はすべて排除しろ。」
合図とともに、暗殺者たちは準備を始めた。
短剣を取り出す者、鋼製のロープとフックを点検する者、肩に静音式のクロスボウを装着する者。
その動きは洗練され、軍事的とも言える精度を誇っていた。
フードの男はしばらく沈黙し、下のエンジェルを見つめ続ける。
すべてを分析する冷たい眼差し。
「忘れるな……」
やがて、低く囁く。
「彼はただの子供ではない。お前たちが侮れる存在ではない力を持つ。だが――必ず、我々の手中に収める。何としてもだ。」
重苦しい沈黙がテラスを支配した。
風が塔を鳴らし、遠くから街のざわめき――人々の声、車輪の音、生活の気配が運ばれてくる。
暗殺者たちは互いに視線を交わし、この任務の重みを理解していた。
「準備しろ。」
フードの男が告げる。
「十分後に降下する。誰一人として、彼を連れずに戻ることは許されん。」
張り詰めた空気。
塔の最下層にいる者でさえ感じ取れそうなほど、空気は帯電していた。
何かが起こる――決定的な何かが。
男は一度、空を仰ぎ、そして手を振る。
暗殺者たちは音もなく動き出し、影のように街へと降下していった。
赤い円盤が床に置かれた瞬間、テラスから光がわずかに失われた。
冷静な暗殺者が小型の機構を展開し、中央の黒い部分を押す。
乾いた、機械的な音。
足元が微かに震える。
最初は細い白い蒸気。
だが一呼吸の間に、それは綿のように濃く、冬の外套のように重たい白い霧となって噴き出した。
「アーティファクトです。」
起動した暗殺者が感情のない声で言う。
「十分後には霧が濃密化し、広場へと流れ込みます。センサーは無効化され、視界は遮断される。彼らは位置を把握できなくなる。」
巨体のボスは顎に手を当て、氷のような集中力で展開を見つめる。
街全体を見渡し、出口、侵入経路――大橋、路地、屋根を一つずつ分析する。
「十分……」
彼はその時間を刻み込むように繰り返す。
「霧が流れた瞬間が、我々の窓だ。降下し、訓練通りに実行しろ。迅速に、綺麗に、目立たずに。」
ロープ担当の暗殺者が頷き、結び目を再確認する。
その動きは機械的で、死に慣れた者たちの静かな舞踏のようだった。
「群衆がパニックになれば散らす。衛兵が来れば、回収後に陽動を。」
別の暗殺者が広場を見据えながら言う。
ボスは短く、苦い笑みを漏らす。
その声は、より硬く、私的で、どこか憎悪を孕んだものとなった。
「……ルドヴァーンのようにはならん…」
沈黙。
ルドヴァーン――その名は重かった。
公的失墜、致命的失敗、権力を剥ぎ取られた者の屈辱。
ボスは一瞬、目を閉じる。
狂信的な技術者が敗北し、捕らえられ、さらし者となった光景が脳裏をよぎったのだろう。
「奴は慢心した…」
歯を食いしばり、言う。
「機械がすべてをやると思い、勝利を確信した結果があれだ。捕縛、収監、嘲笑……栄光などない。あるのは無様な末路だけだ。」
若い暗殺者が慎重に応じる。
「同じ過ちは繰り返しません。カバーなしでアーティファクトは露出させない。痕跡も残さない。リスクを受け入れ、撤退します。」
「その通りだ。」
ボスの声が鋭くなる。
「対象と“物”を回収する。それだけだ。見世物は不要。名も血も路上に残すな。お前たちは、それができるから選ばれた。」
彼は若者を一瞥し、再び赤い円盤へ視線を戻す。
霧はすでに濃くなり、静かな脅威のように空へ立ち上っていた。
「青の塔の衛兵は北側を十分間閉鎖します。」
オペレーターがイヤーピース越しに報告する。
「換気トラブルだと信じるでしょう。我々は自由に動けます。」
小型スクリーンが展開され、地図が映し出される。
軌道、障害物、監視の死角。
白い霧に覆われた広場、その中に赤いアイコン――エンジェルとその一行。
「隊形は密集しています。」
暗殺者がカフェのテーブル、大橋、噴水を指す。
「中央の最も脆弱な者を押さえ、裏庭へ退避します。」
「アンバー王女、もしくは他の想定外が現れた場合に備えろ。」
ボスが言う。
「王族は常に事態を複雑にする。」
低いざわめきが走る。
予測不能な要素――危険であり、同時に機会でもある。
円盤が脈打つように震え、霧はさらに濃くなった。
一筋がすでに近くの建物の壁を這い、音もなく距離を呑み込んでいく。
「五分後、降下開始。」
オペレーターが時計を確認する。
「時間を誤るな。速度、静寂、撤退――忘れるな。」
影に覆われたボスの顔に、一瞬、約束のような歪んだ笑みが浮かぶ。
「今日、俺についてくる者は、明日、自由な人間として生きる。」
「失敗した者は……ルドヴァーンと同じ屈辱を味わうことになる。」
暗殺者たちは動き出す。
武器を最終確認し、フードを深く被り、無言の合図を交わす。
霧は低く、そして次第に厚くなり、欄干を越えて広場へと流れ落ちていった。
フードの男は、眼下の影を見つめる。
仲間に囲まれたエンジェル――まだ、この冷酷な機構が動き出したことを知らない。
ボスの唇が、残酷な笑みに歪む。
「……十分後だ……」
独り言のように、そして部下たちへ。
「広場は霧に沈む。我々は刃のようにそれを切り裂く。やるべきことは分かっているな。」
それ以上の言葉はなかった。
暗殺者たちは展開し、準備を整える。
その間も街は下で生き続けていた――
すぐそこまで迫った罠に、気づくこともなく。




