受け継ぐ記憶
セドリックが国王に呼び出されていた、ちょうどその頃。
アシュフォード家にも、神殿からの影が訪れていた。
応接室に通された影は、父と母、そして同席したリリアーナに向かって静かに頭を下げた。
「本日は、聖女に関するご報告に参りました」
その言葉に、リリアーナの指先がわずかに動いた。
「先日の出来事を受け、王宮と神殿で協議を重ねた結果、フィオナ嬢を聖女と認定することが正式に決まりました。近日中に、聖女の任命式を執り行う予定です」
予想していた知らせだった。
それでも、正式に告げられると、胸の奥に小さな波紋が広がった。
「任命式までの間、フィオナ嬢の身柄については王宮と神殿で協議のうえ、適切に対応することとなっております。詳細につきましては、本人とご家族にも追って説明がなされるでしょう」
「承知しました」
父が代表して答える。
使者はそれ以上の説明をすることなく、再び一礼して応接室を後にした。
扉が閉まると、室内には静けさが戻った。
ーーセドリックが国王陛下から呼ばれたのも、この件に関係しているのだろう。
リリアーナは向かいに座る両親へと視線を向けた。
「お父様、お母様。少し、お聞きしたいことがあります」
「どうしたんだい?」
「聖女が現れた今、わたしは影守候補として、何をすればよいのでしょうか」
父と母は、すぐには答えなかった。互いに視線を交わし、やがて父がゆっくりと口を開く。
「……正直に言おう。私たちにも、分からないことが多い」
「分からない、のですか」
父は言葉を選ぶように、少し間を置いた。
「家には古い記録が残されている。だが、長い年月の間に失われたものも多い。記録に書かれていることは伝えられても、実際に何が行われていたのかまでは、分からないのだ」
リリアーナは黙って耳を傾けた。
「影守とは、聖女を守り、導き、その力を見守る者。そして、必要ならば聖女自身を止める者だと説明しただろう。また、聖女の力とは世界の力を借りて奇跡を起こす事だ。」
リリアーナは頷いた。
「アシュフォード家は代々、影守の役目を担ってきた。最後に影守が任命されたのは、何世代も前のことだ。我々が知っているのは、古い記録に残された役目の概要と、聖女の力についてのわずかな言い伝えだけなのだよ」
母も申し訳なさそうに目を伏せた。
「あなたに伝えられることが、もっとあればよかったのだけれど……」
その声に、リリアーナは小さく首を振った。
両親が何かを隠しているわけではない。本当に、知らないのだ。
「影守の任命式についてはーー」
父は、古い記録を思い返すように言った。
「聖女の任命式とは違い、影守の任命式は公には行われない。影守の存在を知る者だけが立ち会い、内密に執り行われるそうだ」
「存在を知る者だけ……」
リリアーナは、その言葉を繰り返した。
聖女は人々にその存在を知られ、祝福される。
一方で、影守はその存在さえ知られることなく、役目を果たす。
同じ時代に必要とされる二つの役目が、なぜこれほど違う形で受け継がれてきたのだろう。
「誰が立ち会うのか、どのような手順で任命されるのか。そこまでは、記録にもほとんど残っていない」
父の声には、悔しさが滲んでいた。
「お前が候補となった以上、私たちもできる限りのことを教えてやりたい。だが、知らないことを知っているとは言えないのだ」
「……そうだったのですね」
母が、心配そうにリリアーナを見つめた。
「あなたに十分なことを伝えられなくて、ごめんなさいね」
「いいえ。お母様が謝ることではありません」
リリアーナは微笑んでみせた。
知らないことが多いのなら、これから調べていけばいい。そう思おうとした。
けれど、胸の奥には、ひとつの疑問が残っていた。
ーーあの人なら、何か知っているのではないだろうか。
夏の休暇に領地を訪れた際、マルタに教えられて足を運んだ、あの古い家。
そこに暮らす老人は、アシュフォード家の記録にも残っていない歴史を知っていた。
そして別れ際、確かにこう告げたのだ。
『聖女が現れたら、もう一度ここへ来なさい』
彼は、聖女が現れた後に、何かが起こることを知っているのかもしれない。
では、なぜ知っているのだろう。
何世代も前の影守について、アシュフォード家でさえ詳しく伝えられていないことを、どうして彼は知っているのか。
考えれば考えるほど、疑問は増えていった。
「リア?」
母に呼ばれ、リリアーナは我に返った。
「ごめんなさい。少し考え事をしていました」
「無理はしなくていいのよ。急にいろいろなことが動き始めたのだから」
「ありがとう、お母様。でも、大丈夫です」
そう答えながらも、リリアーナの心はすでに、領地の外れにあるあの家へと向かっていた。
すぐにでも、もう一度訪ねてみたい。
けれど、今はまだ王都を離れるわけにはいかなかった。フィオナが聖女としてどのように扱われるのか、確認しなくては。
聖女の誕生によって、止まっていた何かが動き始めた気がする。そして、自分もまた、その流れの中にいる。
影守候補として何をすべきなのか。
その答えは、まだ見えない。
それでも、誰かが残した記録だけを頼りにするのではなく、自分の目で確かめ、自分の頭で考えなければならない。
次に領地へ戻ったとき、彼に尋ねよう。
彼が知っていることを。
そして、アシュフォード家にも伝わっていない、古い歴史の続きを。
そう決めたリリアーナの胸には、答えを求める確かな思いが芽生えていた。




