王太子の役目
学園から帰ったセドリックは夕食を終えると、父の待つ執務室へ向かった。
「来たか」
国王は机の上に置かれた書類から顔を上げた。
「座りなさい。学園から報告のあった件について話そう」
促され、セドリックは向かいの椅子に腰を下ろした。
「神殿とは、すでに話し合いを終えている」
国王は一枚の書類に目を落とした。
「聖女の泉の反応。そして、森で発現した力。神殿による調査の結果も踏まえ、フィオナを聖女と認定することが決まった」
「……正式に、ですか」
「ああ」
セドリックは、すぐには言葉を返せなかった。
フィオナが聖女である可能性は考えていた。
だが、可能性と正式な認定では意味が違う。
これからは、彼女自身の意思とは関係なく、聖女という立場がついて回ることになる。
「本人には、まだ知らせていないのですね」
「正式な発表は任命式に合わせて行う。それまでは王宮か自宅で待機させる方針だ。学園への登校も控えさせる」
「……突然、学園へ通えなくなるのですか」
「聖女の身に何が起きるか分からぬ以上、保護を優先する必要がある。任命式を終えた後は、白銀舎へ移すことになるだろう」
セドリックは眉を寄せた。
フィオナが青葉舎から白銀舎へ移る。そうなれば、リリアーナと同じ校舎で過ごすことになる。
けれど、それは二人が望んでいた形とは違うのかもしれない。
聖女として保護され、特別な教育を受ける。
そのために生活の場所まで変えられるのだ。
「フィオナ本人の気持ちは、どうなるのでしょうか」
「必要な説明は行う。だが、聖女の務めは本人の希望だけで決められるものではない」
国王の声に、迷いはなかった。
セドリックは唇を引き結んだ。
父の言葉が間違っているとは言い切れない。
国を治める者には、個人の感情だけでは決められないことがある。
それは、王太子として育てられてきた自分が、誰よりも理解しているつもりだった。
「それから、もう一つ伝えておくことがある」
国王は書類を置き、まっすぐにセドリックを見た。
「王家には、代々受け継がれてきた慣習がある」
セドリックは姿勢を正した。
「聖女が誕生した時、王家はその聖女を妃として迎える」
一瞬、父の言葉の意味を理解できなかった。
「……聖女を、妃に?」
「そうだ」
国王は当然のことを告げるように続けた。
「今回の場合はフィオナだ。お前が彼女を妃として迎える。それが王太子であるお前の役目となる」
セドリックの脳裏に、フィオナの笑顔が浮かんだ。
屈託なく笑い、困っている人がいれば迷わず手を差し伸べる。
友人として、彼女のことは大切に思っている。
だからこそ、突然そんな話を告げられても、すぐに受け入れることはできなかった。
そして。
彼の脳裏には、もう一人の姿が浮かんでいた。
リリアーナ。
何気ない会話の中で見せる表情。
自分の言葉に笑ってくれること。
彼女が困っていれば力になりたいと思い、笑顔を見れば安堵する。
いつからだっただろう。
彼女が隣にいることを、当たり前のように望むようになったのは。
その想いを、まだ本人に伝えたことはない。
伝えることができずにいた。
王太子である自分が、誰かを好きになったからといって、その相手を妃に迎えられるとは限らない。
そんなことは、とうに分かっていたはずだった。
それでも。
「……少し、考える時間をいただけませんか」
セドリックは、ようやくそう口にした。
国王の目がわずかに細められる。
「何を考える必要がある」
「フィオナは、私の友人です。本人も、自分が聖女だとはまだ理解していないでしょう。そのような状況で、婚姻まで決めてしまうことには……」
「聖女との婚姻は、お前一人の意思で決める話ではない」
静かな声だった。
だからこそ、その言葉の重みは大きかった。
「王家と神殿の間で確認されてきた慣習だ。王太子である以上、お前には果たすべき役目がある」
「……承知しております」
「ならば、答えは分かっているはずだ」
セドリックは目を伏せた。
分かっている。
王家の一員として生まれ、王太子として育てられた。
自分の望みだけで、国の決定を覆すことなどできない。
父の命令に背けば、王家だけでなく、神殿との関係にも影響が及ぶだろう。
それでも。
リリアーナへの想いを抱えたまま、別の女性を妃に迎えると、今すぐ答えることはできなかった。
「父上」
セドリックは顔を上げた。
「私は、フィオナを大切な友人だと思っています。彼女が聖女として務めを果たすことになれば、できる限り支えたいとも思います」
「ならば、なおさら問題はないだろう」
「ですが、それと婚姻は別の話です」
言ってから、セドリックは自分の言葉の重さを自覚した。
国王の表情がわずかに険しくなる。
「何が言いたい」
「……いえ」
ここで、自分の気持ちを告げることはできなかった。
リリアーナを想っている。
その一言で、何かが変わるわけではない。
むしろ、彼女を余計な問題に巻き込むことになるかもしれない。
セドリックは息を整えた。
「今すぐに返答することは、できません。少しだけ、お時間をください」
国王はしばらく息子を見つめていた。
やがて、短く息を吐く。
「よい。だが、いつまでも待つつもりはない。自分の立場を忘れるな」
「……はい」
それ以上、セドリックは何も言えなかった。
執務室を出た後も、父の言葉が頭から離れなかった。
聖女との婚姻。
王太子としての役目。
従わなければならない命令。
どれも、簡単に無視できるものではない。それでも、心のどこかでは納得できずにいた。
フィオナは、友達を助けたかっただけだ。
その結果、聖女と認められ、学園を離れ、これから先の人生まで決められようとしている。
彼女は、それを望んでいるのだろうか。
そして、自分は。
リリアーナへの想いを胸にしまい込んだまま、王太子としての役目を果たすことができるのだろうか。
答えは出なかった。
ただ、リリアーナとの約束だけは覚えていた。
フィオナに関わる話なら、できる限り詳しく教える。
そう約束したのだ。
婚姻の話まで伝えるべきなのか、迷いはあった。
リリアーナはフィオナを大切に思っている。
この話を知れば、きっと彼女のことを心配するだろう。
次に彼女と会った時、何を話せばいいのだろう。
王太子として、従わなければならない命令。
一人の人間として、簡単には受け入れられない未来。
そして、誰にも告げられない想い。
そのすべてを抱えたまま、セドリックは再び廊下を歩き始めた。




