夏の終わり
あの老人を訪ねた日から、数日が過ぎた。
もう一度、あの老人に会いたい。
そう思っていたリリアーナだったが、翌日から何度か足を運んだものの、老人に会うことはできなかった。
「今日もお留守のようですね」
「ええ」
家の扉は閉ざされたままだった。
庭に積まれた薪も、あの日からほとんど動いていない。
結局、リリアーナはそれ以上訪ねることをしなかった。
けれど、老人の言葉だけは、妙に心に残っていた。
ーー聖女が現れたら、もう一度ここへ来なさい。
「……聖女、ね」
小さく呟いて、リリアーナは森の奥へ目を向けた。
なぜ、あの老人が聖女のことを知っていたのだろう。
そして、それ以上調べることもできないまま、今年の夏も領民の子どもたちに勉強を教える日々が続いた。
「リリアーナ様、ここ分かりません!」
「どこかしら?」
「ここです!」
「ここはねーー」
机を囲んだ子どもたちに、文字の書き方や簡単な計算を教える。間違えて落ち込む子がいれば励まし、正解すれば一緒に喜ぶ。
「できた!」
「よくできたわね」
「もう一回やっていい?」
「もちろん」
そんなやり取りを繰り返しているうちに、気がつけば夕方になっていることも多かった。
「お嬢様、今年も子どもたちに人気でしたね」
帰り道、アデルが笑う。
「そうかしら?」
「はい。みんな、お嬢様が来る日を楽しみにしていましたよ」
「それならよかったわ」
リリアーナも笑った。
領地で過ごす時間は、王都とは違って穏やかだった。
書庫で古い記録を読み返したり、地図を眺め、何か手がかりがないか探したりもした。
けれど、あの老人が知っているようなことは、どこにも書かれていなかった。
誰があの老人に昔の話を伝えたのか。
あの古い紋章は何だったのか。
そして、なぜ聖女のことを知っていたのか。
どれも答えは見つからない。
「……また来ればいいわ」
そう呟いて、本を閉じた。
やがて夏休みの終わりが近づき、王都へ戻ってきた。
数日後の夏休みの最後の日、リリアーナはカフェ・ミモザにいた。
「久しぶりだね、リア」
「ええ。セドリック様も元気そうね」
「もちろん」
向かいにはセドリック。
そして、その隣にはフィオナが座っていた。
「リア様、お久しぶりです」
「フィオナも元気そうね」
「はい!」
三人で顔を合わせるのは久しぶりだった。
カフェでは、夏休みの出来事や学園の話をしながら、穏やかな時間が過ぎていった。
リリアーナは、フィオナが神殿での出来事について何も話さないことに、内心ほっとしていた。
フィオナはまだ、自分が聖女候補となったことを知らない。
だからこそ、リリアーナから話すわけにはいかなかった。
セドリックも同じ考えなのだろう。彼もまた、聖女という言葉を一度も口にしなかった。
三人は何も知らないふりをするように、いつも通り笑い合った。
今はまだ、この時間を壊したくなかった。
穏やかな時間を過ごした三人は、カフェ・ミモザを後にした。
ーー聖女が現れたら、もう一度ここへ来なさい。
ふと、老人の声が蘇る。
リリアーナは一瞬だけフィオナを見たけれど、すぐに視線を前へ戻した。
「……まだ、何も起きていないもの」
自分自身に言い聞かせるように、小さく呟く。
そして夏休みは終わり、また明日から学園での日々が始まる。




