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影守の令嬢は悪役令嬢と呼ばれる  作者: 高梨しいな
アシュフォード領

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領地の外れ


リリアーナはアデルとともに、領地の外れへ馬車で向かっていた。


「本当にこちらで合っているの?」


「はい。昨日、マルタさんに教えていただいた道です」


屋敷を離れるにつれて、建物は少なくなっていった。

整えられた庭や畑も次第に減り、代わりに木々が増えていく。


「この辺りまで来るのは久しぶりだわ」


「私もあまり来たことがありません」



やがて馬車が止まった。


「ここからは歩いたほうがよさそうです」


アデルが先に降りると、リリアーナも続いて馬車を降りた。

目の前には、細い道が森の中へ続いている。


「この先に家があるそうです」


「行ってみましょう」


二人は並んで歩き始めた。


しばらくすると、木々の向こうに小さな家が見えてきた。


「……あれかしら」


「そのようですね」


古びた家だった。

庭には薪が積まれ、壁にはいくつかの古い道具が立てかけられている。


リリアーナは扉の前で立ち止まった。


「誰かいらっしゃいますか?」


返事はない。


もう一度、少し大きな声で呼びかける。


「こんにちは」


しばらくすると、家の中から足音が聞こえて、ゆっくりと扉が開く。


「……誰だ?」


出てきたのは、白髪の老人だった。

老人はリリアーナを見ると、ほんの一瞬だけ目を細めた。


「……お嬢様か」


「え?」


リリアーナは目を瞬いた。


「私をご存じなの?」


「アシュフォード家のお嬢様だろう?」


「ええ……そうだけど」


「そうか」


老人はそれ以上何も言わなかった。

リリアーナは少し不思議に思ったが、気にせず続ける。


「マルタさんから、こちらに昔の領地について詳しい方がいると聞いてきました」


「マルタか」


老人は懐かしそうに呟いた。


「まだ屋敷で働いているのか」


「はい」


「そうか。あの子も長くなったな。…それで、何を聞きたい?」


リリアーナは少し考えた。影守について知りたいが、それは口に出せない。


「昔のアシュフォード家について知りたいんです」


「昔のアシュフォード家?」


「ええ。書庫で古い記録を読んでいるんですが、本だけでは分からないことも多くて」


「……書庫か」


老人が小さく呟いた。


「何か?」


「いや」


老人はリリアーナを見た。


「本に書かれていることだけが、昔のすべてだと思わないことだ」


「……どういう意味?」


「古い記録というものは、残したいことだけが残っている」


老人はそれ以上説明しなかった。


「まあ、立ち話もなんだ。入るか?」


「よろしいんですか?」


「わざわざここまで来たんだろう」


「ありがとうございます」


二人は家の中へ入った。


室内は質素だったが、壁際には古い道具や本がいくつも置かれていた。

棚の上には、見たことのない古い紋章が描かれた小さな箱もある。


リリアーナが目を向けると、老人がその視線に気づいた。


「それが気になるか?」


「ええ。見たことのない紋章だったから」


「昔のものだ」


「アシュフォード家のもの?」


「……違う」


老人は少し間を置いて答えた。


「だが、この土地とは関係がある」


「この土地に?」


「ああ」


老人はそれ以上話さなかった。


「座りなさい」


「はい」


リリアーナとアデルが椅子に座る。


老人は向かいの椅子に腰を下ろした。


「何から話そうか」


「昔の領地のことを聞きたいです」


「昔と言っても長いぞ」


「どのくらいですか?」


「俺が知っているだけでも、百年以上前の話はある」


「百年以上……」


「もっと古い話も、聞いたことはある」


「もっと古い?」


「ああ」


老人は窓の外へ目を向けた。


「この土地は、今のアシュフォード家が治めるより前から、人が暮らしていた場所だからな」


「……そうなんですか?」


「土地の歴史は、家の歴史より古い」


その言葉に、リリアーナは少し考え込んだ。


書庫で見つけた年代記には、アシュフォード家の歴史が千年以上にわたって記されていた。


それよりもさらに前。

そんな時代のことを、この老人は知っているのだろうか。


「昨日、古い地図で森の中に道を見つけたんです」


「まだそんな古い地図が残っていたのか…。昔は、今より森が広かったから、道もたくさんあった」


「今も残っている道はありますか?」


「ああ、あるぞ」


「その道は、どこへ続いているの?」


「…昔はいろんな場所へ繋がっていたな」


「今は?」


「今は、行けない場所もある」


「どうして?」


「道がなくなったからだ」


それだけだった。

リリアーナは少し考えたが、別のことを尋ねることにした。


「昔のアシュフォード家の当主についても、ご存じなんですか?」


「何人かはな」


「どんな方だったんでしょう」


「いろんな人がいた」


老人は少し笑った。


「真面目な者もいれば、頑固な者もいた。変わり者もいたな」


「今の当主は?」


「……似ているところはある」


「ふふっ」


リリアーナは思わず笑った。


「父も変わり者なの?」


「さてな」


老人は答えを濁した。


その後も、昔の領地についていくつか話を聞いた。


今はなくなった村。

昔の祭り。

森で暮らしていた人々。

古い道。

書庫の記録には詳しく残されていない話ばかりだった。


それでも老人は、まるで昨日のことのように話していた。


「……すごいですね」


「何がだ?」


「そんな昔のことまで、よく覚えていますね」


老人は少し黙った。


「覚えているんじゃない」


「え?」


「聞いてきたんだ」


「誰から?」


老人は答えなかった。

ただ、古い棚へ目を向ける。


「昔のことは、次の人間に伝えなければ消えてしまう」


「……」


「だから、残しておくのさ」


その言葉が、リリアーナの胸に残った。


夕方が近づき、リリアーナは立ち上がった。


「今日はありがとうございました」


「ああ」


「また、いろいろ聞かせてもらってもいいですか?」


「構わん」


老人は頷いた。


「知りたいことがあるなら、また来なさい」


「はい」


リリアーナが扉へ向かう。

そのときだった。


「……お嬢様」


「はい?」


振り返ると、老人は先ほどまでとは少し違う表情でリリアーナを見ていた。


「一つだけ覚えておきなさい」


「何ですか?」


「聖女が現れたらーー」


老人は一度言葉を切った。


「もう一度、ここへ来なさい」


「……聖女?」


リリアーナは目を瞬いた。


「どうして、聖女のことを?」


老人は答えない。

ただ、静かにリリアーナを見つめている。


「それは……どういう意味ですか?」


「その時になれば分かる」


「でもーー」


「今日はもう遅い。気をつけて帰りなさい」


それだけ言うと、老人は扉を開けた。


リリアーナは何か言おうとしたが、結局何も言えなかった。


「……失礼します」


外へ出ると、リリアーナは家を振り返った。


さっきまでの話を思い返す。


古い道。

アシュフォード家よりも古い土地の歴史。

そして、誰かから受け継いだという昔の話。


それだけでも不思議だった。


けれど、一番気になるのは最後の言葉だった。


ーー聖女が現れたら、もう一度ここへ来なさい。


なぜ、この老人が聖女のことを知っているのだろう。


「……変な人ね」


そう呟いて、リリアーナは歩き出した。


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