年代記
紙をめくる音が、静かな書庫に響いていた。
リリアーナは机に向かい、古い年代記を読み進めていた。
「……すごいわね」
「何がですか?」
隣で別の本を読み始めていたアデルが顔を上げる。
「この年代記。最初の記録が、千年以上前よ」
「千年以上……ですか?」
「ええ」
リリアーナは開かれたページを指でなぞった。
古い文字で書かれた、初代当主の名前。
そこから何代もの当主の名前が続いている。
「アシュフォード家って、本当に古い家なのね」
「私も、ここまで古いとは知りませんでした」
「私もよ」
王都の別邸で暮らしていると、領地にいるときとは少し感覚が違う。
別邸は公務や社交のために使われる場所で、リリアーナにとっては、どちらかといえば別邸の方が日常の生活の場という印象が強かった。
けれど、この本邸には違う時間が流れている。
何代もの当主が、この場所で暮らし、この領地を治めてきた。
そう思うと、いつも見慣れていた屋敷まで少し違って見えた。
「お嬢様、こちらもアシュフォード家の記録でしょうか?」
アデルが棚から一冊の本を取り出した。
「見せて」
表紙には何も書かれていない。
リリアーナは慎重に開いた。
「……領地の記録みたい」
「何が書かれているんですか?」
「収穫量とか、税とか……あとは領地内の工事についてね」
「ずいぶん細かく記録されているんですね」
「昔の当主は几帳面だったのかしら」
リリアーナは少し笑った。
ページをめくっていく。
何十年、何百年と積み重ねられた記録。
そこには、大きな出来事だけではなく、日々の小さな変化まで残されていた。
豊作だった年。
長い雨が続いた年。
領地に新しい道が作られた年。
近隣の村で祭りが始まった年。
どれも影守とは関係がなさそうだった。
「……なかなか見つからないわね」
リリアーナは声を落とした。
二人は再び本棚へ向かった。
しばらくして、リリアーナは一冊の古い地図を見つけた。
「アデル、これ見て」
「地図ですか?」
「ええ」
机に広げる。
そこには現在とは少し違う形の領地が描かれていた。
「森が今よりずっと広いわ」
「本当ですね」
「この辺りには村もあったみたい」
地図にはいくつかの小さな印がついている。
現在は存在しない村の名前もあった。
「なくなってしまったんでしょうか」
「たぶん。ずっと昔のものだから」
リリアーナは地図の端まで目を走らせた。
そこには、手書きで小さな文字が残されていた。
「……これは何かしら」
「読めますか?」
「古い書き方ね。少し待って」
リリアーナは文字を追ってみた。
けれど、途中で首を傾げる。
「やっぱり分からないわ」
「私にもさっぱりです」
「お父様なら分かるかもしれないわね」
「後でお尋ねになってみてはいかがですか?」
「そうね」
リリアーナは地図を丁寧に畳んだ。
その後も、二人は年代記や古い記録を何冊も調べた。
けれど、影守については何も見つからない。
昼近くになったころには、机の上には本が何冊も積み上がっていた。
「少し休みましょうか、お嬢様」
「そうね。さすがに疲れたわ」
リリアーナは椅子から立ち上がり、肩を回した。
「こんなに本があるのに、探しているものは見つからないものね」
「古い家ですから、記録もたくさんありますもの」
「それもそうね」
リリアーナは棚を眺めた。
千年以上の歴史があるのなら、まだまだ見ていない記録はある。
今日だけで全部調べられるはずもない。
「今日はここまでにしましょう」
「はい」
アデルが本を片付け始める。
リリアーナも一冊ずつ元の場所へ戻していく。
その途中で、ふと一冊の薄い冊子が目に入った。
古びた革の表紙。
題名は書かれていない。
「これは……」
リリアーナが手に取る。
「何か気になりますか?」
「分からないけど、これはまだ読んでいないわ」
表紙を開く。
中には日付と短い文章が並んでいた。
誰かの日記のようにも見える。
「日記でしょうか?」
「たぶん」
数ページだけ目を通す。
けれど、内容は領地で起きた出来事についての簡単な記録だった。
「これも普通の記録ね」
「そうですね」
リリアーナは冊子を閉じた。
「これは明日にしましょう」
「明日もいらっしゃるのですか?」
「もちろん」
リリアーナは書庫を見回した。
「まだ全然見終わっていないもの」
「では、明日の分のお手伝いも必要ですね」
「お願いするわ」
「かしこまりました」
二人は書庫を出た。
アデルが鍵を掛ける。
かちゃり、と小さな音が廊下に響いた。
「お昼にしましょうか」
「ええ」
リリアーナはアデルと並んで歩きながら、ふと後ろを振り返った。
閉じられた古い扉。
その向こうには、まだたくさんの記録が眠っている。
「明日は、別の棚から探してみようかしら」
「よいと思います」
二人はそのまま食堂へ向かった。




