古い書庫
朝。
カーテンの隙間から差し込む光に、リリアーナはゆっくりと目を開けた。
「……ん……」
王都の屋敷とは違う、静かな朝だった。
鳥の声が聞こえる。窓の外からは、風に揺れる木々の音も聞こえてくる。
しばらくぼんやりと天井を眺めていたリリアーナは、ふと思い出した。
ーーそうだ。
昨日、領地へ戻ってきたのだ。
そして今日は、古い書庫へ行く予定だ。
そのとき、控えめなノックの音が響いた。
「お嬢様、起きていらっしゃいますか?」
「ええ。どうぞ」
扉が開き、アデルが入ってくる。
「おはようございます、お嬢様」
「おはよう、アデル」
アデルはいつものように手際よくカーテンを開け、朝の光を部屋いっぱいに取り込んだ。
「よく眠れましたか?」
「うん。久しぶりに静かなところで眠った気がするわ」
「それはよかったです。王都では毎日お忙しかったので」
アデルはリリアーナの髪を整えながら、ふっと笑った。
「本日は、何かご予定がおありですか?」
「朝食のあと、少し付き合ってくれる?」
「もちろんです。どちらへ?」
「昨日話していた書庫へ行きたいの」
「古い書庫ですか?」
「ええ」
アデルは少し考えるような顔をした。
「何かお探しですか?」
「アシュフォード家の昔の記録を見たいの」
「歴史のお勉強ですか?」
「そんなところ」
リリアーナは曖昧に答えた。
本当の目的を話すわけにはいかない。
影守について調べたい。
そう簡単に口にできることではないからだ。
「でも、古い書庫ってかなり埃っぽいんじゃない?」
「それは……そうかもしれません」
「アデル、嫌?」
「まさか」
アデルは少し笑った。
「お嬢様がお一人で行かれるほうが心配です」
「私、そんなに頼りない?」
「そういう意味ではございません」
「ふふっ」
リリアーナも笑った。
「じゃあ、一緒に来て」
「かしこまりました」
身支度を終え、二人は朝食を取るため食堂へ向かった。
朝食を終えると、リリアーナは昨日見た古い廊下へ向かった。
その後ろをアデルがついてくる。
「それにしても、お嬢様が領地に戻られてから、随分と張り切っていらっしゃいますね」
「そう?」
「はい。昨日もお戻りになったばかりなのに、すぐに書庫のお話をされていましたし」
「……少し気になることがあるの」
「気になること?」
「昔のアシュフォード家について」
リリアーナは歩きながら答える。
「お父様から、私の家には長い歴史があると聞いたでしょう?」
「はい」
「だったら、その歴史をちゃんと知っておきたいと思って」
完全な嘘ではない。
ただ、それだけではない。
自分が影守候補であること。
聖女の泉が光ったこと。
そして、これから自分に何が起こるのか。
その答えを探したい。
それをアデルに話すことはできなかった。
「こちらです」
廊下の突き当たりで、アデルが足を止めた。
昨日見た、古い扉だ。
「……あら?」
扉には鍵が掛かっていた。
「普段は使われていないので、施錠されているようですね」
「そうなのね」
「鍵をお借りしてまいりましょうか?」
「お願いしてもいい?」
「もちろんです」
アデルは一礼すると、そのまま執事のもとへ向かった。
しばらくして戻ってきたアデルの手には、古びた一本の鍵があった。
「お借りしてきました」
「ありがとう」
アデルが鍵を差し込むと、かちゃり、と小さな音が響いた。
長い間動かされていなかった扉が、ゆっくりと開く。
「……わあ」
中には、天井近くまで届く本棚が並んでいた。
古い本。
革張りの帳簿。
何年も使われていないような箱。
窓から差し込む光の中で、細かな埃が舞っている。
「本当に古いわね……」
「お嬢様、くれぐれも無理はなさらないでくださいね」
「分かっているわ」
「それと、こちらの棚はかなり高いのでーー」
「アデル」
「はい?」
「私はもう子供じゃないわ」
「存じております」
アデルはにっこり笑った。
「ですが、お嬢様が椅子の上に立って本を取ろうとなさる姿は、容易に想像できます」
「……しないわよ」
「本当ですか?」
「本当」
思わず二人で笑う。
少し緊張していたリリアーナの肩から、力が抜けた。
「じゃあ、始めましょう」
「はい」
リリアーナは一番手前の棚から、本を一冊取り出した。
アシュフォード家の歴史。
表紙には古い紋章が刻まれている。
ページをめくる。
そこには、歴代当主の名前や領地の出来事が細かく記されていた。
さらに次の本。
また次の本。
けれど、なかなか目当てのものは見つからない。
「……やっぱり、簡単には見つからないわね」
「何をお探しなのですか?」
「まだ分からない」
「分からない?」
「ええ」
リリアーナは本棚を見上げた。
「だから、探しているの」
その言葉に、アデルは不思議そうに首を傾げた。
リリアーナは答えず、もう一冊の古い本へ手を伸ばした。
その本の背表紙には、かすれた文字でこう記されていた。
ーーアシュフォード家年代記。
リリアーナは、静かにそれを取り出した。
ずしりと重い。
表紙には、今よりも古いアシュフォード家の紋章が刻まれている。
「これは……」
リリアーナが呟く。
「随分と古そうですね」
アデルも隣から覗き込む。
「ええ」
リリアーナは本を抱え、近くの机へ運んだ。
埃を払い、表紙を開く。
最初のページには、古い文字で初代当主の名前が記されていた。
「年代記みたいね」
「最初から読まれますか?」
「そうね。時間もあるし」
リリアーナは椅子に腰掛け、本を机の上に置いた。
「アデルも何か気になるものがあったら教えて」
「かしこまりました」
二人は並んで古い年代記を読み始めた。
静かな書庫には、紙をめくる音だけが響いていた。




