夏の帰郷
第3学年の夏休みーー。
リリアーナは王都を離れ、アシュフォード領へと戻ることになった。
フィオナやセドリックに会いたい気持ちもあったが、早々に領地に向かいたい気持ちの方が強かった。
王都の整えられた街並みから、緑の多い田園風景へ。
見慣れた景色が広がると、リリアーナは小さく息を吐いた。
「……帰ってきたのね」
以前とは少し違う。
去年までは、夏休みに領地へ帰ることをただ楽しみにしていた。
でも今のリリアーナには、ひとつの言葉が頭から離れなかった。
ーー影守。
父から聞かされた、自分の知らなかったアシュフォード家の役目。
私が次代の影守となる可能性は高いのだという。
まだ決まったわけではない。
それでもーー。
「……私が、影守に」
ぽつりと呟いたところで、馬車がゆっくりと速度を落とした。
アシュフォード家の領館が見えてきた。
古くからこの地を治めてきたアシュフォード家の館。
王都の屋敷よりも大きく、そしてどこか静かな佇まいをしている。
馬車が止まると、使用人たちが出迎えに並んだ。
「お帰りなさいませ、旦那様、奥様。リリアーナお嬢様」
「ただいま」
いつものように挨拶を交わす。
その中に、見慣れた初老の男がいた。アシュフォード家に長く仕える執事だ。
彼はリリアーナに深く一礼すると、ほんの一瞬だけ視線を止めた。
だが、それ以上は何も言わなかった。
その反応に、リリアーナは気づいていた。
この人は知っている。
自分が影守候補であることを。
そして神殿で聖女の泉が光ったことも。
アシュフォード家の中でも、影守の存在を知る者はごく限られている。
代々仕えてきた執事や、一部の古参の者。
それ以外の使用人たちは、何も知らない。
だから、館の中で不用意に影守について口にしてはいけない。
王都を出発前に父からそう念を押されていた。
「お嬢様」
執事が声をかける。
「長旅、お疲れでございましょう。お部屋へご案内いたします」
「ありがとう」
それだけだった。
けれど、リリアーナにはそれで十分だった。
自分がまだ正式な影守ではないからこそ、彼も余計なことを口にしないのだろう。
部屋へ向かう途中、リリアーナは廊下の奥へ目を向けた。
そこには、ほとんど使われていない古い棟へ続く扉がある。
子供の頃から何度も見ていた扉だった。
けれど、その先に何があるのかを気にしたことはなかった。
「……あの奥は?」
「古い書庫でございます」
執事が答えた。
「現在はほとんど使われておりません」
「書庫……」
リリアーナは足を止めた。
その言葉に、胸の奥がわずかに反応する。
影守について知りたい。
父から教えられたことだけでは、まだ何も分からない。
なぜアシュフォード家が影守を担ってきたのか。
影守とは何をする存在なのか。
そしてーー。
なぜ自分が、その候補に選ばれたのか。
「……少し、調べてみようかしら」
リリアーナが呟くと、執事は一瞬だけ目を細めた。
「古い資料ばかりでございますが、お役に立つものもあるかもしれません」
「見てもいいの?」
「もちろんでございます」
そう答えたあと、執事はほんの少しだけ言葉を選ぶように間を置いた。
「ただし……古い記録には、今では語られていないこともございます」
「今では、語られていないこと?」
「……失礼いたしました」
執事はそれ以上、何も言わなかった。
今の言葉は、ただの言い間違いだったのだろうか。
それともーー。
その夜。
自室の窓から月を眺めながら、リリアーナは思いを巡らす。
聖女の泉が光った。
フィオナの中に、聖女の力が目覚める日が近づいている。
そして自分は、その聖女と対になる存在ーー影守の候補。
まだ何も決まっていない。
それでも、何かが動き始めている。
「……知らなくちゃ」
リリアーナは静かに呟いた。
「私が何になるのかを知るためにも」
翌朝。
リリアーナは、古い書庫へ向かう。
アシュフォード家に眠る、長い歴史を紐解くために。




