一枚の報告書
翌日。
王宮の一室に、一通の報告書が届いていた。
神殿の紋章が刻まれた封蝋。
それを見た国王は、差出人を確認すると静かに封を切った。
「聖女の泉について、か」
報告書に目を通していく。
聖女の泉。
神殿の奥にあるその泉は、長い歴史の中で幾度か不思議な現象を起こしてきた。
中でも、淡い光を帯びる現象は極めて珍しい。
今回、第3学年の生徒たちが神殿を訪れた際、その泉が光ったという。
国王は最後まで読み終えると、しばらく黙っていた。
「……聖女とは、まだ断定できないか」
「はい」
傍らに控えていた文官が答える。
「二度目に同じ少女に泉を覗かせた際には、発光しなかったとのことです。神殿も、現時点では可能性を記録したに留めています」
「そうか」
国王は報告書へ視線を落とす。
もし本当に聖女が現れる兆しだとすれば、国にとって重大な出来事になる。
だが、今の段階で騒ぎ立てる必要はない。
「神殿には、引き続き慎重に調査するよう伝えよ。少女の名が外部へ漏れぬよう、関係者にも口止めを」
「承知しました」
「ただし、王宮としても把握しておく必要がある」
国王は少し考えた。
「王立学園の生徒なのだな」
「はい。青葉舎の第3学年です」
国王は少し考えた。
王立学園には、王族や貴族だけではなく、平民の子供たちも通っている。
聖女がどのような身分から現れるのか、それは誰にも分からない。
「ならば、セドリックにも伝えておこう」
「殿下に、ですか?」
「ああ。同じ学園に通う生徒なのだ。それに、王太子として知っておくべきことでもある」
そうして、セドリックが呼ばれることになった。
「父上、お呼びでしょうか」
しばらくして、セドリックが入ってきた。
第4学年へ進級したばかりの彼は、学園から戻ったところだった。
「来たか。そこへ座りなさい」
「はい」
セドリックが向かいの椅子へ腰を下ろす。その後ろには、護衛を兼ねてアルベルトも控えていた。
アルベルトはセドリックの幼馴染であり、王宮内でも彼の側近として扱われている。
普段ならば、国王とセドリックの私的な会話に同席することは少ない。
だが、今回の話が学園に関わるものだと聞き、国王は彼にも残るよう命じていた。
国王は手元の報告書を見ながら口を開いた。
「少し、お前に伝えておきたいことがある」
「何でしょうか」
「今朝、神殿から報告が届いた」
その言葉に、セドリックがわずかに眉を動かす。
「神殿から?」
「ああ。聖女の泉についてだ」
セドリックは黙って父の言葉を待った。
「王立学園の第3学年が神殿を訪れた際、聖女の泉が淡く光ったそうだ」
「……泉が?」
「そうだ。そして、その時に泉を覗いていた少女がいる」
国王は報告書へ目を落とした。
「少女の名はーーフィオナ」
「……フィオナ?」
セドリックの表情が変わった。
聞き間違えるはずがない。
その名前を、ーー友人の名を彼は何度も呼んできた。
「知っているのか?」
「……はい」
少し間を置いて、セドリックは答えた。
「幼い頃からの友人です」
「そうか」
国王は意外そうにセドリックを見る。
「お前の友人だったとはな」
「はい。青葉舎の生徒なら、間違いなく彼女です」
セドリックは続けられた説明を聞きながら、胸の奥が落ち着かなくなるのを感じていた。
泉が光った。
その場にいたのがフィオナだった。ただ、それだけの話なのかもしれない。
けれど、聖女の泉という言葉が持つ意味を考えれば、簡単には受け流せなかった。
「本人は、このことを知っているのですか?」
セドリックが尋ねる。
「まだだ」
国王は首を横に振った。
「神殿も聖女とは断定していない。今は余計な混乱を招かぬよう、慎重に調べる段階だ」
「……そうですか」
セドリックは少しだけ息を吐いた。
フィオナなら、きっと困惑する。
自分が何か特別な存在だと言われても、簡単には信じないだろう。
そんな彼女の姿が目に浮かんだ。
そして、もう一人。
「……リアは」
思わず声に出しかけて、セドリックは言葉を止めた。
国王が怪訝そうに見る。
「どうした?」
「いえ……」
セドリックは首を振った。
リリアーナも、神殿でこの出来事を見ているはずだ。
セドリックは小さく息を吐いた。
「フィオナ嬢のことは、しばらくこちらでも慎重に見ておく」
国王がそう言った。
「そして、もう一つある」
「もう一つ?」
セドリックが顔を上げる。
国王は静かに報告書を閉じた。
「アシュフォード公爵夫妻を、王宮へ呼ぶ」
「……アシュフォード公爵夫妻を?」
思わず聞き返した。
フィオナの話と、リリアーナの家。
その二つがどう繋がるのか、セドリックには分からない。
「なぜ、アシュフォード家を?」
「それについては、まだお前に話す必要はない」
「……はい」
セドリックは納得できないまま頷いた。
「父上」
セドリックは、部屋を出る前に振り返った。
「フィオナのことは、私が何か確認してもよいのでしょうか」
「ならぬ」
国王の返答は早かった。
「本人に直接尋ねることも、周囲に探りを入れることも許さない。今は、何も知らないままの方がよい」
「ですが……」
「セドリック」
静かな声だった。
けれど、王としての強い意志が込められている。
「聖女という言葉は、人の人生を簡単に変えてしまう。確証のない段階で、彼女を特別な存在として扱ってはならない」
セドリックは唇を結んだ。
父の言うことは正しい。フィオナを守りたいと思うなら、余計なことをしない方がいい。
「……承知しました」
セドリックは一礼した。
アルベルトも続いて頭を下げる。
二人が退室すると、廊下に足音が響いた。
「殿下」
アルベルトが声をかける。
「フィオナ嬢のことを、どうなさるおつもりですか」
「どうもしない。父上の命令通り、今は何もするべきではない」
セドリックは窓の外へ視線を向けた。
「ただ、彼女が困っているなら、友人として助ける。それだけだ。王太子として動けば、余計に注目される。だから、今まで通りにする」
「今まで通り、ですか」
「ああ」
フィオナが聖女であっても、そうでなくても、彼女が一人で不安を抱えることだけは避けたい。
その頃、王宮から一通の召喚状がアシュフォード公爵家へ届けられていた。




