神殿での出来事
ーー春。
王立学園では、新しい学年が始まっていた。
リリアーナは第3学年へ進級し、白銀舎の教室で新しい教科書を開いていた。
「もう3年生なのね」
エミリアが机に並べた教科書を見ながら呟く。
「入学したばかりだと思っていたのに、早いものね」
クラリスも頷いた。
「あと三年で卒業ですもの」
「そう考えると、少し不思議な気持ちになるわ」
リリアーナは窓の外へ目を向けた。
校庭では、新入生らしい子どもたちが教師に案内されながら歩いている。
自分たちも、二年前はあの中にいた。
そんなことを考えていると、教室の前に教師が姿を見せた。
「皆さん、今日は午後から神殿へ向かいます」
教室が少しざわめく。
「神殿?」
「何をするんですか?」
「第3学年では、毎年この時期に神殿で特別授業を行います」
教師が説明する。
「神殿の歴史や、聖女について学ぶほか、聖女の泉や神聖石を見学します。神殿内では騒がず、神官の指示に従ってください」
リリアーナは「聖女の泉」という言葉を聞いて、ふと顔を上げた。
聖女の泉ーー以前、一度だけ見たことがある。
新年の祝賀祭の日、フィオナが泉を覗き込んだ時に水面が淡く光った。
あの時、それに気づいたのはリリアーナだけだった。
フィオナ自身も、セドリックや神官も気づいていなかった。
もしかしたら見間違いかもしれない。だからこそ、リリアーナは今まで誰にも話していなかった。
あれが何だったのか、自分にも分からなかったからだ。
午後になり、第3学年の生徒たちは、教師に引率されて神殿へ向かった。
合同授業ではあるものの、白銀舎と青葉舎はそれぞれ別の列に分かれて行動していた。
白銀舎の列から少し離れたところに、青葉舎の生徒たちが並んでいる。
その中に、フィオナの姿が見えた。
ちょうどフィオナもこちらに気づいたらしく、ぱっと顔を明るくする。
リリアーナが小さく手を振ると、フィオナも嬉しそうに手を振り返した。
距離があるため、声をかけ合うことはできないが、それだけで十分だった。
フィオナの隣には、ノアとエルナもいる。
「今日は神殿なんて、ちょっと緊張するな」
ノアが辺りを見回す。
「私は楽しみ!神殿って、普段はなかなか入れないもの」
エルナは興味津々といった様子だった。
「神殿内を見学するんだよね?」
フィオナが尋ねる。
「そうみたいだね」
ノアが答える。
「私は聖女の泉や神聖石が気になるわ」
エルナは神殿に向かう馬車に目を向けた。
リリアーナは少し離れた場所から、そんな三人の様子を見つめていた。
神殿に到着すると、神官が生徒たちを迎えた。
「本日はよくいらっしゃいました。これから神殿の中をご案内します」
生徒たちは、舎ごとに分かれて神官の後について歩いていく。
白い石で造られた廊下には、聖女の歴史を描いた壁画が並んでいた。
「聖女は、古くから人々を癒し、国を守る存在として語り継がれています」
神官が説明する。
「現在、聖女は存在していません。しかし、聖女にまつわる伝承は、今も神殿で大切に守られています」
リリアーナは白銀舎の列の中で、静かに話を聞いていた。
少し離れた青葉舎の列では、フィオナが壁画を見上げている。
やがて一行は、奥の広い部屋へ案内された。
中央には、円形の泉がある。
水は澄んでいて、底まで見えるほど透明だった。
「こちらが、聖女の泉です」
神官が説明する。
「この泉は、聖女が現れた時代から残されていると伝えられています」
生徒たちは泉の周りを歩きながら、順番に水面を覗き込んでいった。
「綺麗……」
青葉舎の列から、エルナの声が聞こえる。
その隣で、フィオナも泉のそばへ歩いていった。
白銀舎の生徒たちは反対側から泉を見ている。
リリアーナはフィオナから離れた場所にいたが、泉よりフィオナのことが気になっていた。
そして、フィオナが水面を覗き込んだその瞬間。
水の底から、淡い光が浮かび上がった。
「……!」
リリアーナは息を止めた。
以前と同じだ。見間違いではなかった。
淡い光が、水面を静かに揺らしている。
その光を、フィオナのすぐそばにいた神官も見ていた。
「……!」
神官は目を見開いた。
泉に浮かぶ淡い光。
そして、泉を覗き込むフィオナ。
神官は泉とフィオナを交互に見つめた。
「これは……」
光はしばらく水面を揺らしていたが、やがて静かに消えた。
フィオナは何が起きたのか分からない様子で、周囲を見回した。
「どうしたんですか?」
神官はすぐには答えなかった。
もう一度、泉を見る。
何事もなかったかのように、水面が静かに揺れている。
そして、再びフィオナへ視線を戻した。
「……先ほど、あなたが泉を覗き込んだ時に光りました」
「私が?」
フィオナが驚く。
「はい。私がはっきりと見てました」
「でも……私は何もしていません」
「分かっています」
神官は静かに答えた。
その表情には、先ほどまでの穏やかな笑みはなかった。
「少し確認させていただいてもよろしいでしょうか」
フィオナは戸惑いながら頷いた。
「もう一度、泉を覗いていただけますか?」
「はい」
フィオナが泉の前に立ちゆっくりと水面を覗き込む。
けれど、今度は何も起こらなかった。
泉は静かに揺れているだけだった。
「……」
神官は泉を見つめ、それからフィオナを見る。
しばらく考えたあと、もう一度尋ねた。
「もう一度、お願いできますか?」
フィオナが再び泉を覗き込むが、変化はない。
「……泉が光ること自体、非常に珍しい現象です。ただ、それだけで聖女と判断することはできません」
「聖女……?」
フィオナが小さく呟く。
神官の言葉に、周囲が静かになった。
「今のは、聖女と関係があるんですか?」
ノアが尋ねる。
「可能性の一つとして考えられる、というだけです」
神官は慎重に答えた。
「昔の記録にも、聖女が現れる前に泉が光ったという記述があります。しかし、確かなことは分かっていません」
フィオナは不安そうに泉を見つめた。
「私が原因なんでしょうか……」
「まだ何も分かっていません」
神官は穏やかに答えた。
「どうか気に病まないでください」
「……はい」
フィオナは小さく頷いた。
神官は泉を見つめたあと、別の神官へ目配せをした。
「本日の出来事については、記録を残しておきましょう」
「はい」
短い会話だった。
けれど、その声は白銀舎の列にいたリリアーナの耳にも届いていた。
見学を終えると、生徒たちは舎ごとに分かれて帰りの馬車へ向かった。
白銀舎の生徒たちは白銀舎用の馬車へ、青葉舎の生徒たちは青葉舎用の馬車へ乗り込んでいく。
リリアーナは白銀舎の馬車へ向かいながら、離れた場所にいるフィオナを見た。
フィオナはノアとエルナに挟まれ、まだ少し考え込んでいるようだった。
こちらに気づいたフィオナが、遠くから小さく手を振る。
リリアーナも手を振り返した。
やがて、それぞれの馬車が別々に動き始める。
リリアーナは、今日の出来事を思い返した。
新年の祝賀祭の日、そして今日。
二度とも、フィオナが泉を覗き込んだ時に光った。
偶然とは思えなかった。
それでも、今はまだ何も分からない。
リリアーナは一人、静かに窓の外を見つめた。
そしてその日から、神殿は一人の少女ーーフィオナに少しずつ目を向け始めていた。




