小さな変化
夏休みの終わり
三人はカフェ・ミモザに集まっていた。
相変わらず手紙で近況報告をしているが、こうして集まるのは、去年の夏休み以来だ。
「久しぶりね、フィオナ」
「はい、リア様。お元気そうでよかったです」
「フィオナも。夏休みは楽しく過ごせた?」
「もちろんです」
フィオナが楽しそうに話していると、店の扉が開いた。
「悪い。少し遅れた」
「セドリック様!」
「お久しぶりです」
セドリックが席につく。
「二人とも久しぶりだな」
「セドリック様もお元気そうですね」
「ああ」
いつものように三人で向かい合う。
「フィオナ、刺繍は上達したの?」
「はい!今日は二人にお渡ししようと思っていたのです」
フィオナは嬉しそうに鞄から小さな包みを取り出す。
中には、白い布に小さな花が刺繍されたハンカチが二枚並んでいた。
「まあ、素敵」
「リア様には、黄色い花を選びました。カフェ・ミモザの花と同じ色です」
「嬉しいわ。ありがとう、フィオナ」
リリアーナは両手でハンカチを受け取った。
「セドリック様の分もありますよ」
「僕にも?」
フィオナから差し出されたハンカチを、セドリックは少し驚いたように見つめた。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
ハンカチには、青い小さな花が刺繍されている。
「素敵ですね」
リリアーナが覗き込む。
「フィオナ、刺繍がとても上手だわ」
「まだ練習中ですけど、喜んでもらえてよかったです」
「もちろん嬉しいわ。大切にするわね」
「僕も大切に使うよ」
「ノアとエルナにも渡したんですよ」
「二人とも喜んだでしょうね」
「はい。ノアなんて、しばらく眺めていましたよ。セドリック様は、夏休みはいかがでした?」
フィオナが尋ねる。
「王宮での公務や剣術の稽古が多かったな」
「やっぱり忙しかったんですね」
「ああ。でも、空いた時間にはユリウスやニコラスと過ごしていた」
「そうなんですね」
フィオナが頷く。
「リア様は?」
「私は今年も領地へ行ってきたの。子どもたちに読み書きを教える手伝いも慣れてきたわ」
「リア様らしいですね」
「最初は恥ずかしそうにしていた子も、少しずつ話してくれるようになってね。帰る頃には、もっと勉強したいと言ってくれたの」
リリアーナは嬉しそうに話していた。
セドリックは、その横顔を見つめていた。
笑うと少し目を細めること。
話をするとき、嬉しそうに手を動かすこと。
幼い頃から知っているはずなのに、最近はそんな小さな仕草まで気になってしまう。
「……セドリック様?」
「え?」
リリアーナの声で我に返った。
「どうかしました?」
「いや……何でもない」
「先ほどから、少しぼんやりされていますよ」
「そうか?」
「はい」
フィオナも心配そうにセドリックを見る。
「お疲れなんでしょうか?」
「大丈夫だ」
セドリックは笑ってみせた。
けれど、リリアーナは納得していないようだった。
「本当ですか?」
「ああ」
「…それなら、よかったです」
リリアーナが微笑む。
その笑顔を見て、また胸が妙に騒いだ。
ーーやはり、好きなのだ。
そう自覚してから、リリアーナと話すことが以前より難しくなっていた。
昔は何も考えずに隣にいられた。
けれど今は、少し近くに座るだけでも意識してしまう。
名前を呼ばれるだけで嬉しい。
笑いかけられると、もっと見ていたくなる。
だけど、そんな自分をリリアーナに気づかれたくなかった。
「そういえば、フィオナは刺繍以外に何かしたの?」
リリアーナが尋ねる。
「お店のお手伝いで、お会計も任されるようになりました。あとはノアやエルナとも遊びましたよ。エルナの家にも行ったんです。それからーー」
三人はそれぞれの夏休みについて話した。
楽しい時間だった。けれど、セドリックだけはどこか落ち着かなかった。
「セドリック様?」
リリアーナがまた声をかける。
「今度は何だ?」
「いえ。ちゃんと話を聞いてくださっているのかなと思いまして」
「もちろん聞いている」
「そうですか?」
「ああ」
セドリックは頷いた。
けれど、リリアーナが少し首を傾げる。
「今日のセドリック様、やっぱり変ですね」
「……そうかもしれない」
これ以上ごまかせそうになくて、セドリックは苦笑した。
「少し考え事をしていただけだ」
「何か悩み事ですか?」
「いや。そういうわけではない」
リリアーナはそれ以上聞かなかった。
「それなら、安心しました」
ただ、それだけだった。
その心配の言葉が、なぜか嬉しかった。
*
夏が終わり、秋が訪れた。
学園では授業が続き、季節はゆっくりと移り変わっていく。
セドリックは、少しずつ自分の気持ちに慣れていった。
リリアーナを見れば、今でも胸が騒ぐ。
けれど、それを無理に隠そうとすることはなくなった。
ただ、リリアーナには相変わらず何も伝えていない。
ユリウスとニコラスは、そんなセドリックの様子を時々からかうようになった。
「殿下、今日もリリアーナ嬢を見ていましたね」
「見ていない」
「見ていましたよ」
「……お前たちは、よく見ているな」
「殿下が分かりやすいだけです」
ユリウスの言葉に、セドリックはため息をついた。
それでも、以前ほど否定する気にはならなかった。
自分がリリアーナを好きだということを、少しずつ受け入れていたからだ。
*
冬が来た。
吐く息が白くなり、学園の木々もすっかり葉を落としている。
気づけば、第2学年で過ごす時間も残りわずかになっていた。
ある日の放課後。
リリアーナはエミリアとクラリスと並んで歩いていた。
「もうすぐ進級ね」
「一年があっという間だったわ」
「来年は第3学年ですものね」
三人はこれまでの出来事を話しながら廊下を進んでいく。
少し離れたところでは、セドリックたちが歩いていた。
リリアーナが振り返る。
「あ、セドリック様」
手を振ると、セドリックも手を上げた。
「また明日」
「はい。また明日」
それだけの短いやり取り。
けれど、セドリックはリリアーナの姿が見えなくなるまで、その背中を目で追っていた。
「殿下」
「……なんだ?」
「本当に分かりやすくなりましたね」
ユリウスが呟く。
「何がだ」
「リリアーナ嬢のことです」
セドリックは少しだけ笑った。
「……もう否定するつもりはない」
ユリウスが目を細める。
「では、どうされるおつもりですか?」
「どうもしない」
「どうもしない?」
「ああ」
セドリックはリリアーナが去っていった廊下を見る。
「今は、まだ」
まだ十三歳。
リリアーナも十二歳。
急いで気持ちを伝える必要はない。
ただ、いつか。
自分の言葉で伝えられる日が来たら、その時はーー。
セドリックは静かに前を向いた。
春が来れば、また新しい学年が始まる。
リリアーナは第3学年へ。
自分は第4学年へ。
少しずつ、二人を取り巻く世界も変わっていく。
その変化が何をもたらすのか。
この時のセドリックには、まだ分からなかった。




