知らなかった気持ち
夏休みが終わると、秋、冬と季節は慌ただしく過ぎていった。
そして春。
リリアーナは王立学園の第2学年へ進級した。
セドリックは第3学年になっている。
王立学園での生活にもすっかり慣れ、リリアーナは白銀舎での授業や、エミリア、クラリスたちとの時間を楽しんでいた。
セドリックとは学年が違うため、乗馬の合同授業以外では、廊下等で時々顔を合わせる程度だった。
放課後。
リリアーナはエミリアとクラリスと一緒に廊下を歩いていた。
少し離れた場所では、セドリックがユリウスとニコラスと話をしている。
セドリックは何気なくそちらへ視線を向けた。
リリアーナが笑っている。
ただ、それだけのことだった。
けれど、なぜか目が離せない。
「殿下」
隣からユリウスの声がした。
「なんだ?」
「先ほどから、リリアーナ嬢を見ていますね」
「……そうか?」
「はい」
ニコラスもセドリックの視線を追い、リリアーナたちの方を振り返った。
「本当だ。リリアーナ嬢、楽しそうですね」
「昔からの友人だからな」
セドリックは何でもないように答えた。
「そうでしょうね」
ユリウスは頷いた。
そして、少し間を置いてから、淡々と言った。
「前から思っていたのですが…殿下は、リリアーナ嬢のことが好きなんですか?」
「……は?」
セドリックは思わずユリウスを見る。
「何を…言っているんだ」
「そのままの意味です」
「リアは幼い頃からの友人だ。気にかけるのは当然だろう」
「そうでしょうか」
ユリウスは首を傾げた。
「では、他の友人が誰かと話していても、同じように気になりますか?」
「……」
答えられなかった。
「殿下?」
ニコラスが、少し心配そうにセドリックの顔を覗き込む。
「もしかして、リリアーナ嬢が誰かと話しているのが嫌なんですか?」
「嫌というわけではない」
セドリックはすぐに否定した。
「ただ……なぜか気になるだけだ」
「それを、ユリウスは好きというのではないかと言っているのですよ」
「ニコラスまで……」
セドリックは困ったように眉を寄せた。
ニコラスは慌てて両手を振る。
「すみません。ただ、殿下がリリアーナ嬢を見ている時は、いつもより表情が柔らかいので」
「そうか?」
「はい。普段より少しだけ、嬉しそうです」
ユリウスも静かに頷いた。
「私も同じように感じます」
「……」
セドリックは視線を逸らした。
確かに、考えてみれば不思議だった。
ユリウスやニコラスが誰と話していても、特に気にはならない。
リリアーナだけだ。
リリアーナが誰かと楽しそうに話していると、なぜか気になる。
けれど、それが何を意味するのかまでは分からなかった。
「変なことを言うな、ユリウス」
「申し訳ありません。ただ、少し気になっただけです」
「僕も、余計なことを言ってしまいました」
ニコラスは苦笑した。
「ですが、殿下があの方を大切に思っていることは、昔から変わりませんよね」
「それは……そうだな」
「それを、ただの友情だと言い切れますか?」
ニコラスの言葉に、セドリックは少しだけ考え込んだ。
ただの友情。
そう思いたかった。
けれど、胸の奥には小さな違和感が残っていた。
二人はそれ以上追及しなかった。
けれど、その言葉だけはセドリックの中に残った。
ーーリリアーナ嬢のことが好きなんですか?
放課後になっても、その言葉が頭から離れなかった。
*
その日の夜。
王宮の自室で、セドリックは机に向かっていた。
本を開いてはいるものの、ほとんど内容が頭に入ってこない。
何度目か分からないため息をついた時、扉が軽く叩かれた。
「どうぞ」
「失礼いたします」
入ってきたのは、長年セドリックの側に仕えているアルベルトだった。
「殿下、明日の予定について確認をーー」
「アルベルト」
「はい?」
「少し聞きたいことがある」
「なんでしょう」
セドリックはしばらく黙っていた。
こんなことを聞くのは、なぜか少し恥ずかしい。
「……幼い頃からの友人を、特別に気にすることは普通だと思うか?」
アルベルトは一瞬だけ目を瞬かせた。
「特別に、とは?」
「その……他の人より、その相手のことが気になるんだ」
「…なるほど」
アルベルトは穏やかな表情のまま頷いた。
「その方が女性で、殿下がその方と他の男性が話していることを気にされたり、危険な目に遭った時に強く心配されたりするのであればーー」
「……」
「それは恋では?」
「……恋?」
セドリックは固まった。
「はい」
「いや……」
すぐには受け入れられなかった。
恋というものが、もっと特別なものだと思っていたからだ。
「だが、私はリアと幼い頃から一緒にいる。大切な友人だから心配するのは当然だろう」
「もちろん、それだけならば幼馴染への情でしょう」
「ならーー」
「ですが、殿下は今、私にその方のことを相談されました」
「……」
「それだけでも、少し特別なのではありませんか?」
セドリックは何も言えなかった。
アルベルトはそれ以上何も言わず、机の上に置かれていた書類を整える。
「答えを急ぐ必要はないと思います」
「……そうなのか?」
「はい。ご自身の気持ちは、ご自身が一番よく分かるものですから」
そう言って、アルベルトは部屋を出ていった。
一人になった部屋で、セドリックは椅子の背へ身体を預けた。
静かな夜だった。
窓の外には、月が浮かんでいる。
セドリックは目を閉じ、これまでのことを一つずつ思い出していく。
学園でリリアーナを見かけると、自然と目で追っていた。
誰かと楽しそうに話していると、胸の奥が落ち着かなかった。
去年の乗馬の授業で、リリアーナが落ちそうになった時。落馬するかもしれないと思った瞬間、胸が強く締めつけられた。
カフェ・ミモザで、リリアーナが夏休みの話を楽しそうにしていた時。もっとその話を聞いていたいと思った。
そして今日も。
リリアーナが誰かと笑っているだけで、気になって仕方がなかった。
「……そういうことなのか」
セドリックは小さく呟いた。
胸の奥に、今まで気づかなかった感情がある。
それは、幼い頃から一緒にいた友人に向けるものとは、少し違う。
セドリックは、ゆっくりと目を開いた。
「僕は……」
口にするのをためらいながら、それでも言葉にした。
「リアが、好きなのか……?」
答えは、すぐには返ってこない。
けれど、不思議と嫌な気持ちはしなかった。
むしろ、今まで分からなかったものの形が、少しだけ見えたような気がした。
自分は、リリアーナ・アシュフォードという一人の少女を、幼馴染としてだけではなく、特別に見ている。
そのことを知っただけで、昨日までと世界の見え方が少し違っていた。
セドリックは窓の外へ目を向けた。
月明かりが、静かに部屋へ差し込んでいる。
「……明日から、顔を合わせたらどうすればいいんだ」
そう呟いたセドリックの耳が、ほんの少し赤くなっていた。




