乗馬授業
王立学園に入学して、しばらく経った頃。
白銀舎では、礼儀作法や舞踏だけでなく、乗馬や弓術、簡単な護身術などの実技授業も行われている。
今日は、生徒たちに人気の高い乗馬授業の日だった。
リリアーナは、普段の白い制服ではなく、白を基調とした乗馬服に着替えていた。
動きやすい上着に革の装具、長い髪はクラリスに手伝ってもらい、低い位置でまとめている。
「乗馬の授業、ずっと楽しみにしていたの」
馬場へ向かう道で、エミリアが嬉しそうに言った。
「私も。家では何度か乗ったことがあるけれど、学園では初めてだもの」
クラリスも微笑む。
「私は速く走ってみたいわ。風を切って進むなんて、きっと気持ちいいでしょうね」
「でも、最初から無理をしてはいけないわ」
「分かっているわ。先生の言うことはちゃんと聞くもの」
そう言いながらも、エミリアの目には、いつか駆け足をしてみたいという気持ちが表れていた。
三人が馬場へ着くと、すでに何頭もの馬が用意されていた。
教師が生徒たちへ説明を始めた。
「まずは馬との接し方を学びます。急に背後から近づいたり、大声を出したりしてはいけません。必ず馬から見える位置に立ち、声をかけてから触れること」
リリアーナは説明を聞きながら、自分の前にいる淡い栗色の馬へ視線を向けた。
穏やかな目をした馬だった。額には小さな白い模様がある。
リリアーナは正面から少し斜めに立ち、ゆっくりと手を差し出した。
「よろしくね」
馬はしばらくリアを見つめ、それから手の匂いを嗅いだ。やがて安心したように鼻先を寄せてくる。
「ふふ。可愛い」
そっと撫でると、馬は気持ちよさそうに目を細めた。
「ごきげんよう、リリアーナ嬢」
声をかけられて振り返ると、乗馬服姿のセドリックが立っていた。
その隣には、落ち着いた雰囲気の少年と、人懐こそうな笑顔を浮かべた少年がいる。
「ごきげんよう、殿下。…初めまして、リリアーナ・アシュフォードと申します」
「ユリウス・ヴァレンティンです。よろしくお願いします」
「ニコラス・フェルディナンドです。よろしくお願いします、リリアーナ嬢」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
リリアーナが微笑むと、ニコラスも嬉しそうに頷いた。
「リリアーナ嬢は、もう馬と仲良くなったんですね」
「ええ。とても穏やかな子なの」
「僕の馬は…お腹が空いているみたいで、ずっと草を探してるんだ」
ニコラスが困ったように笑うと、ユリウスが淡々と口を挟んだ。
「君が餌を与えようとしたからだろう」
「少しくらいならいいと思ったんだよ」
「授業前に甘やかすのは感心しないな」
「ユリウスは厳しいなあ」
二人のやり取りに、リリアーナは思わず笑った。セドリックも、わずかに口元を緩めている。
学園では、セドリックと親しいことを公にはしていない。
王太子と公爵令嬢が親しいと知られれば、周囲はすぐに余計な意味を見出すだろう。将来の婚約が決まっているのではないか、などと噂されるのは避けたかった。
だから、学園で交わす言葉は、他の生徒と変わらないものにしている。
「ところで、殿下たちはどうしてこちらの授業に?」
エミリアが尋ねた。
「説明されなかった?乗馬授業は、第1学年と第2学年の合同授業なんだ」
セドリックが答える。
「広い馬場を使うから、合同で行った方が効率がいいらしい」
「そうだったのですね」
クラリスが頷いた。
「先輩方と一緒だと、少し緊張するわ」
エミリアが言うと、ニコラスが笑った。
「僕たちもまだ勉強中だよ。でも、僕らで分かる事があれば教えるよ。合同授業中は割と自由な時間が多いからさ」
「そうなんですね。ではーー。」
エミリアとクラリスは、ニコラス達と楽しそうに話し始めた。
「リリアーナ嬢は乗馬は得意なのか?」
セドリックがリリアーナへ尋ねる。
「家で少し習っております。殿下はいかがですか?」
「私も同じくらいだ。王宮の厩舎で時々乗る程度だが」
短いやり取りだったが、リリアーナは嬉しかった。
「では、順番に馬へ乗りなさい」
教師の声が響く。
リリアーナは馬の左側に立ち、鞍を確認してから足をかけた。ゆっくりと背へ乗ると、思っていたよりも視線が高くなる。
「では、歩かせます。馬場の外周に沿って、ゆっくり進みなさい」
リリアーナは軽く脚で合図を送った。
「お願いね」
馬はゆっくりと歩き出した。
「リリアーナ嬢、問題はないか?」
少し前を進んでいたセドリックが振り返る。
「はい。問題ありません」
「馬の歩調も安定しているな」
「ありがとうございます」
その時だった。
「リア様、前を見て!」
エミリアの声が飛んでくる。
馬場の端で別の馬が大きく首を振った。その動きに反応したのか、リアの馬も進む方向を変える。
「わっ……!」
リリアーナの身体が揺れ、鐙から足が外れかけた。
「落ち着いて。手綱を強く引きすぎないで」
教師の声が聞こえる。
リリアーナは息を吸い、ゆっくりと手綱を緩めた。
「大丈夫よ。ゆっくりでいいからね」
馬の首へ声をかけると、馬は少しずつ落ち着きを取り戻した。
セドリックが馬を止める。
「大丈夫か?」
「はい。少し驚いただけなので、もう大丈夫です」
リリアーナが答えると、セドリックはわずかに頷いた。
「そうか」
それ以上近づくことはせず、教師の指示に従って再び馬を進める。
「リア様ごめんなさい。私がもっと早く知らせればよかったわ」
エミリアが申し訳なさそうに言った。
「気にしないで。教えてくれたから、すぐに対応できたもの」
クラリスも安心したように微笑む。
その後は、馬を止める練習や方向転換の練習が行われた。
少し離れた場所では、セドリックも気性の強い馬を落ち着かせていた。焦ることなく声をかけ、馬の動きを見ながら合図を送る。
「殿下は馬の扱いに慣れていらっしゃるのですね」
近くの生徒が感心すると、セドリックは控えめに答えた。
「馬が賢いだけだ」
リリアーナはその横顔を見つめた。
セドリックは昔から、自分の努力をあまり語らない。剣も勉強も、誰かに褒められるためではなく、王太子として恥ずかしくないようにと身につけてきた。
その姿を知っているからこそ、リリアーナは彼が褒められていると、自分のことのように嬉しくなる。
けれど、それを表に出すことはできない。
リリアーナは視線を前へ戻し、自分の馬に集中した。
授業の終わりを告げる鐘が鳴る。
生徒たちは馬から降り、教師の指示に従って世話を始めた。
リリアーナも今日乗せてもらった馬を、丁寧にブラシで撫でる。
「今日はありがとう」
馬が小さく鼻を鳴らした。
その時、セドリックたちが近くを通りかかった。
「お疲れさまでした、殿下」
リリアーナが挨拶すると、セドリックは足を止めた。
「リリアーナ嬢もお疲れさま。先ほどは驚いたようだったが、もう問題はないか?」
「はい。馬も落ち着いておりますし、私も大丈夫です」
「それならよかった」
短い言葉だった。
けれど、先ほどの出来事を覚えていてくれたことが、リリアーナには少し意外だった。
セドリックは周囲をよく見ている。王太子として、誰かが困っていれば声をかけるのは当然なのかもしれない。
そう思いながらも、胸には小さな温かさが残った。
「リリアーナ嬢は、乗馬がお上手ですね」
ニコラスが感心したように言った。
「ありがとうございます。でも、まだ歩かせるだけで精一杯です」
「それでも僕なんて、さっきから馬に振り回されっぱなしだよ」
「ニコラスは馬に好かれているんじゃないか?」
セドリックが笑う。
「そう思います?」
「リリアーナ嬢達とも、一緒に乗馬できてよかった」
「私も楽しかったです」
リリアーナが答えると、セドリックも穏やかに笑った。
「それなら、次の授業も楽しみだな」
「次はもっと速く走ってみたいわ」
リリアーナが言うと、エミリアが目を輝かせる。
「私も!いつか駆け足をしてみたいわ」
「その前に、ちゃんと止まれるようになってからだ」
ユリウスの冷静な一言に、エミリアは少しだけ頬を膨らませた。
「分かっています」
「ならいい」
「ユリウスって、本当に真面目だよな」
ニコラスが笑う。
「君が自由すぎるだけだ」
「ひどいなあ」
馬場には、蹄が土を踏む音と、リリアーナ達の明るい声が響いていた。
「では、先に失礼する」
セドリック達が馬場を離れていく。
リリアーナは静かに微笑み、エミリアとクラリスとともに馬場を後にした。




