王宮の少年
収穫祭から戻って、数日が経った。
王宮での暮らしは、何も変わらない。
朝は決められた時間に起き、侍従に身支度を整えてもらう。
食事を済ませれば勉強、その後は剣術や王太子としての作法。
午後になれば、父である国王のもとで政務を学ぶ。
9歳のセドリックにとって、それはもう当たり前の日常だった。
「殿下、次の授業のお時間です」
「分かってる」
返事をしながら、セドリックは窓の外を眺めた。
王宮の庭園は、いつも綺麗に整えられている。
けれど、収穫祭で見た街の景色とは全く違った。
色とりどりの屋台に行き交う人々。そしてーー。
「……猫」
思わず呟いた。
頭に浮かんだのは、あの黒猫だった。
ケガをしていた黒猫。
一緒に助けた、あの女の子。
「リア……」
小さく名前を口にしたところで、背後から声がした。
「また考えておられましたか?」
「……!」
振り返ると、そこにはアルベルトが立っていた。
年若いながらも王太子付きの側近兼護衛を務める彼は、幼い頃からセドリックのそばに仕えている。
剣の腕も確かで、王太子の身を守ることはもちろん、身の回りの細かなことまで任されている存在だ。
そして何よりーー。
セドリックが数少ない相手にしか見せない、子どもらしい一面を知っている。
「何のこと?」
「何でもございません」
そう言いながら、アルベルトは少し笑った。
「ただ、殿下が最近よく遠くを見ていらっしゃるので」
「そうかな?」
「はい」
アルベルトはセドリックの隣まで歩いてくる。
「収穫祭でお会いになった、お二人のことでも考えておられるのかと思いまして」
セドリックは黙った。
図星だった。
「……リアとフィオナのこと?」
「ええ」
「別に、何も考えてないよ」
すぐに答えた。
「そうですか」
アルベルトは妙に納得したように頷いた。
「では、また会いたいとは思われませんか?」
「……え?」
セドリックが顔を上げる。
「どうして?」
「殿下が先ほど、リリアーナ様のお名前を口にされていましたので」
「……」
しまった。
セドリックは頬を少し膨らませる。
「それは……」
言葉が続かなかった。
また会いたい。
そう言われてみれば、確かにそうなのかもしれない。
けれど、どうしてそう思うのかは分からなかった。
リアは、公爵令嬢だった。
フィオナは、平民の少女。
そして自分は、王太子。
三人が同じ場所にいること自体、普通ならあり得ない。
それでもーー。
「……二人とも、面白かったから」
ようやく出てきた言葉は、それだけだった。
アルベルトは口元を緩める。
「なるほど」
「何?」
「いえ。殿下が楽しそうで何よりだと思っただけです」
「……変なの」
セドリックはそう言って、また窓の外を見る。
すると、庭の隅を一匹の猫が横切った。
黒猫ではない。
それでも、あの日のことを思い出す。
リアが嬉しそうに猫を抱き上げていたこと。
フィオナが一緒になって心配していたこと。
三人で猫を助けたこと。
「ネロ、元気かな」
ぽつりと呟く。
「きっと元気でしょう」
アルベルトが答えた。
「リリアーナ様が大切に育てておられるでしょうから」
「そうだね」
セドリックは笑った。
そして、ふと思う。
もう一度会えたらいいのに。
今度は、猫を助けるためじゃなくて、ただ、三人で話すために。
けれど、その気持ちが何なのか。
このときのセドリックには、まだ分からなかった。




