✣ 34話 淑女の傷は兄の傷
────コン、コンコン。
指の背で扉を叩く。
私の左腕には、命の次に大事な特製ドリンク。鼻先から脳天を貫こうとする香りに思わず、咳払い。
私の纏う香はニンニクですわね。
ですが、背に腹はかえられぬのです!
蓋をしても漂ってくるのは、効力抜群!ということにしておきますわ。
クスッと笑う声が背後からしましたが、私は振り向きません。ターゲットがこちらに向かっていますもの。
──ガチャ。
扉が開いた。それと同時にカーディアスが顔を出すと、花が開いたかのような笑みを零す。だが、鼻を掠めたこの香に眉根が寄せる。
「ウグッ…。は、入りなさい」
カーディアスの顔に影が差したが、瞬く間にいつもの穏やかな顔を見せる。しかし、私はしっかりと捉えた。カーディアスの眉が小刻みに震えるさまを。
「もう、お仕事はよろしいのですか?」
私は当たり障りのない話を始める。カーディアスはああ。とだけ答えると一脚の椅子を引いた。腕にある例の物には一切目を向けない。私は見せつけるようにテーブルに瓶を置いた。
「てっきり、ご一緒出来ないかと思ってました」
私はその椅子に腰を落とすと、カーディアスを見上げる。
「……エスティアとのランチだ。仕事など、どうにかさせるさ」
カーディアスは目元を緩ませると、椅子の背から指先を離した。
針で刺されたような痛みが走る。
嬉しいような、少しの罪悪感が胸の中で渦を巻く。
胸を押さえる。
最近、カーディアスを見ると
変に胸が痛むような……
絵画を見たから?
腑に落ちない痛みに違和感を覚えた。
「エス?」
カーディアスに声で我に返った。私の前についたカーディアスは眉を下げ、こちらへと視線を注ぐ。
「何か、あったのか?」
「いや、な────」
「ブレンハイム侯爵令嬢とお会いになり、そこでお怪我を」
───ガチャン。
食器が甲高い音を鳴らす。
白いカーテンがゆらっと動く。
カーディアスはセリオスへと身体ごと向けた。
「セ、セリオス!」
突然のセリオスの告発に肩が激しく揺れた。当の本人はしれっと眉ひとつ動かさない。
「どういうことだ?」
カーディアスの片眉が跳ねた。声が低く重い。私には見せたこともない冷たい表情をセリオスへも向けた。
「私が王女様のお傍に着いたときには、すでに腰を地につけておられました」
セリオスは見たままを淡々とカーディアスに告げると、私の怪我へと視線を投げた。
「膝と掌を怪我されております」
「……エス、手当は?」
カーディアスの瞳がセリオスから私へと移る。
「だ、大丈夫です。さっき、洗いましたから……」
見透かされそうになるほどの視線から逃れるように、私は眼前にある無垢な食器を見つめる。
「いや、ダメだ」
カーディアスは足音を立てながら、また私のもとへと戻ってきた。
「見せてみろ」
たったひと言なのに私は肩を竦める。別に悪いことをしたわけではないのに、自分がいけないことをしたように思えてしまう。
「大した傷じゃないです……後で、ジョアンナに見せますから」
私は顔を見れない。怪我した手を庇うように自分の手を重ねる。が、その手は簡単に奪われてしまった。
「───洗ったから、大丈夫だと?」
カーディアスの声が落ちた。必然的に私はカーディアスと向き直る。翠緑玉の瞳が歪む。
「この世はな、少しの傷も命取りになるんだぞ」
私の手を掴む指が、小刻みに震えていた。カーディアスの声は怒りのような、痛みを耐えているような声だった。まるで、自分が怪我をしたかのように。
私の胸が締め付けられる。
「ごめん、なさい」
気がつけば私は謝っていた。
握られている手から力が抜けると、カーディアスは大事そうに私の手を包む。
「お前は俺の大事な妹だ。誰にも傷つけられたくないし、傷ついて欲しくもない」
カーディアスはその場に膝をついた。細められた瞳が私を見つめる。その視線から目が離せない。
「この傷は私のせいでもある。すまない。だから、今すぐ手当てさせてくれ」
真剣な眼差しに私は、静かに頷いた。
「──膝も怪我したんだったな」
カーディアスはスカートの裾を指先で触れようとした途端に、セリオスが咳払いをした。
「殿下、それは不味いです」
「は?」
「王女様は年頃の女性です。いくら兄といえど、その先は許されません」
その声にカーディアスの顔が赤く染まる。
「す、すまないっ!!セリオス、ジョアンナを呼べ!」
いたたまれなくなったカーディアスは、スっと立ち上がった。顔を背けているが私の手はカーディアスと繋がったまま。
いつもと同じカーディアスに戻ったことに、つい笑ってしまった。
「プッ、カーディアスお兄様のエッチ」
口元に手を添える。クスクス笑う私にカーディアスは勢い良く振り返った。
「な、なん?!」
言葉にならない声を発しながら、唇を噛むカーディアスは更に顔を赤らめると、繋いでいた手を離し、スタスタと逃げていく。
窓の外を眺めながらカーディアスは、火照る身体を冷やした。
***
「王女様ッ!!お怪我をしたというのは本当ですか?!」
室に入って来るなり、ジョアンナは私へと一直線に走って来た。その顔は血の気が引き、今にも倒れてしまいそう。
「怪我というほどのものでは……」
チラッと視線を上げる。セリオスもカーディアスも何を言っているという顔をしていた。
「あぁ、なんということでしょう……私が、私のせいです!」
蒼白の顔を押さえるジョアンナ。物凄く自分を責めるジョアンナの腕に手を添える。
「いいえ、ジョアンナのせいなんかじゃないわ。私がいけないのよ」
「王女、様……」
「すぐに治るから気にしないで」
そう話し終えたところで、予期せぬ横槍が。
「いや、そういう訳にはいきませんよ」
灰褐色の髪が視界に入ってくる。
ジョアンナの後ろにいたセリオスがズカズカと私の傍まで距離を詰めてきた。
「え、どうして?」
意味が分からず、その問いを求めてセリオスを見たが、答えは違う方から聞こえてくる。
「それはお前が王女、だからだ」
カーディアスは窓硝子に背を向けた。窓から注ぐ淡い光に白金色の髪が照らされる。
神々しいその姿と他者とは違う雰囲気。
王家たる風格を見た気がした。
「王家が危害を加えられたのだ。このままという訳には行かぬ」
皆の顔は晴れない。むしろ、曇って行く。どうやら、私の怪我は思ったより重大らしい。
「エスティアに怪我を負わせたのは誰だか分かるか?」
セリオスへと視線を移すカーディアス。その目は私へと向けてくれる慈愛の瞳ではなく、冷たく鋭い王太子の瞳だった。
「申し訳ございません。ブレンハイム侯爵令嬢の取り巻きの誰かかと思われますが」
「そうか……。はぁ、会わせないようにしてきたのだが……結局、こうなったか……」
カーディアスは睫毛を伏せながら、大きく息を吐いた。頭が重いのか、カーディアスは頭を支える。
「ブレンハイム侯爵は落ち着いた方なのに、なぜあの令嬢はあれほどにも過激なんだ?」
嫌な思い出でもあるのか、カーディアスの顔が眉根に皺が刻まれていく。セリオスも覚えがあるようで、数回頷いた。
「で、でも……あの人たちは私が何者か知らなかっただけですし!」
肩を持つつもりはないけど、このままカーディアスに任せてたらいけない気がした。
「では、なぜ?エスが……」
カーディアスは頭を捻らせながら、顎先を指で触れている。
あ、ヤバ……。
あの新聞見られたくないんだけど……。
ま、でも、大丈───
「となると、これが原因では?」
セリオスはおもむろに何かを取り出す。
見た覚えのある活字。そしてデカデカと一面を飾る私と漆黒の写真が嫌にも目に入って来た。
それをセリオスは顔色ひとつ変えず、カーディアスに献上しようとする。
ギロッとセリオスを睨みつけたが、何処吹く風。
私の睨み攻撃は効果はありませんでした。
や、や、ヤメレ────!!
そんな恥をカーディアスに見せないでぇ!!
私は腕を伸ばす。新聞が指先に触れた。
だが、私が掴み取る前にカーディアスの視界に入った方が早いわけで。
カーディアスはその新聞をもぎ取ると、額に青筋がボコッボコッ。と浮き上がった。
あ……マズった。
こうなったら、この場から一旦離脱せねば。
「あ、ちょっと傷口が……痛むような……あ、ジョアンナ、部屋に戻ろ───」
私は横目でカーディアスを見ながら、ジョアンナに声をかけた。
カーディアスはブルブルと揺れた肩。髪先まで振動している。
次の瞬間、
「「「な、なんなんだ!!この写真はっ!!!」」」
国中にカーディアスの叫び声が響いたかも、しれない。
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