✣ 33話 淑女と黄色い花
チャリ。
エレオノーラが支配していた空間に、突如と聞こえた金属音。漂っていた薔薇の香を切り裂くように新緑の香りが颯爽と現れ、声が投げられた。
「これは、ブレンハイム侯爵令嬢」
聞き覚えのある声に、胸がスッと軽くなる。
私は息を大きく吸い込んだ。
私がホッとひと息ついたところで、取り巻きたちがザワザワと騒ぎ出す。
「あら?ライザット卿ではなくて?」
「まさか、王太子殿下がお傍に?!」
「いやですわ、どうしましょう?!」
「私たら大声を出してしまいましてよぉ!!」
キャッキャと先程とは違い乙女のような声を出す取り巻きたち。セリオスの登場に浮足立ち、頬を染める。
「ご機嫌よう。ライザット卿、良い天気ね」
エレオノーラは私に差していた扇子を何事もなく、引き、その扇子を優雅に開く。
温度など感じられない声が、嘘のよう。
私へと向けていた殺気は綺麗に消え去り、華のような笑みを称えている。
「はい。──とても」
いつもより、どことなく低いセリオスの声。
私の位置からでは、セリオスの顔はよく見えない。
新緑の香りが鼻を掠め、気が付けばセリオスの背が私の前にあった。まるで、エレオノーラから隠すように。
「……セリ、オス?」
セリオスは声を発さない。
ただ、私を守る盾のように立っている。
「ライザット卿、先日はご挨拶出来なくてごめんなさいね?《《フィガロ公爵様》》とお話に夢中になってしまって……」
エレオノーラは当てつけなのか、レジスの名をワザと強調するかのように話す。
レジスはリズベットのモノだからね?
ヒーロー&ヒロインには太刀打ち出来んぞ?
「いえ、私のことはお気になさらず。それよりも、なぜこの方はここに座られておられるんですか?」
エレオノーラの言葉に社交辞令など交えることはせず、セリオスは淡々と事実を述べた。
ビクッとエレオノーラの眉が微かに反応はしたが、それだけだった。動揺もせず、声も裏返らずに堂々と流暢に語る。
「まあ、素っ気ない。相変わらずですこと。…… まさか、わたくしが転ばせたとでも、言いたいのかしら?」
取り巻きたちのひとりの顔色が悪い。
「…………」
「フッ。ねえ、王太子殿下様はどこかしら?」
エレオノーラはセリオスなど、眼中にないと顔に書いてある。セリオスの登場にカーディアスが近くにいると思ったのか、目線だけで姿を探していた。
…………?
え、どっち狙い?
セリオスはエレオノーラの望みをサラッと言ってのける。
「ブレンハイム嬢、王太子様は今、南庭園でブレンハイム侯爵と会談して居られます」
エレオノーラの睫毛が揺れ、真っ赤な口端が上向く。
「そう、お父様と一緒なのね」
「はい。公爵もいらっしゃいます」
「まあ、公爵様も?」
エレオノーラの声が弾んだ。
ん?ちょっと、待って……
ブレンハイム侯爵、ブレンハイム侯爵令嬢……?
あ!あの髭モノクル侯爵じゃない?
で、この苛烈で私に
殺気を向けたエレオノーラって侯爵の娘なの?!
うわっ、世間狭。
娘ヤバッ。
ピシャン。
エレオノーラは扇子を閉じると、取り巻きたちへと身体を向ける。
「皆さん、お父様のいる庭園へ行きましょう」
「はい!エレオノーラ様!」
取り巻きたちはエレオノーラの言葉に不服はないと、エレオノーラの後に続いていく。
「それでは、私たちはこの辺で」
エレオノーラはセリオスへと流れるような仕草で、足先を南庭園へも足先を向けた。私はいないものとして扱われ、視線すらも合わない。
去り際に見えたエレオノーラの横顔。
あ、目が変わった。
あれは……ハントする女豹ですわね。
遠くなる赤薔薇の背を静かに見送ると、エレオノーラの視線の針が身体の刺さっていた気がしたが、遠ざかるにつれて、針が抜けたような感覚に陥った。
「嵐が、去った……ふぅ」
張り詰めた糸が切れ、肩を落とす。
「王女様。大丈夫でしたか?ブレンハイム嬢に何かされませんでした?」
背を向けていたセリオスは勢い良く振り返ると、その場に膝を地につけた。
心配ですと顔に出ているセリオス。
「あ、まあ、ぴいぴい鳴いて、いたかしら?」
私はそれ以上の心配をかけないように取り繕う。
怪我したなんて言わなきゃ分からないはず。
「……ぴいぴい?」
セリオスの視線がドレスの裾へと下り、鎧が音を出す。セリオスのマントが跳ね上がる。
「ちょ、どこ行くの?」
セリオスは私に背を向けた。
「ブレンハイム嬢に抗議を、」
静かな声だけれど、明らかに怒が込められていた。
激情は感じられないが、灰褐色の瞳が険しくなる。
私は風を受けたマントへと手を伸ばす。指先で掴むと、セリオスは足を止めた。
「────行かなくて、良いって」
逆に私が冷静になっていく。
「し、しかし……王女様」
あまり感情を表に出さないセリオスの眉が、つり上がる。
セリオスのこの顔を見たら、
本当にどうでも良く感じるわ。
「どうってことないから、ただのじゃれ合いよ?それより、お兄様は南庭園?」
立ち上がろとすると、当たり前のように差し出されたセリオスの手。少し険しさが削がれた灰褐色の瞳と目が合った。
「いますよ。こちらの執務室に」
「え?セリオス、嘘ついたの?」
私は虚をつかれ、間が空いた。
「そうなりますね」
真顔で抑揚もなく告げたセリオスの顔を、私はまじまじと見つめた。
「ぶっ、セリオスやるじゃない!」
その顔と発言に私は吹き出した。フフッと笑う私を見てセリオスの顔も和らいだように見える。
「今頃、ぷんぷん怒ってるかもよ?」
セリオスの手にそっと手を置いた。
「大丈夫でしょう、公爵がおられますから。……それよりも」
指先でそっと手を包むと、セリオスはそのまま、眉も動かさずに引き上げる。
引き上がった身体がセリオスの胸に当たった。灰褐色の瞳が近くに感じ、私はすぐに目を逸らす。
セリオスは顔色ひとつ変えずに後ろに一歩下がる。
私の手はまだセリオスの手の中にある。
「やはり、怪我をされてますね?」
私の顔をセリオスは覗き込むようにそう話す。私は無意識に怪我している方の腕を背の裏に隠した。
それでも、なんだか居た堪れなくて私は顔を見れない。
「大した傷じゃないし、後でジョアンナにみてもらうから」
セリオスの溜め息が宙へと放たれた。
この気まずい空気感の中、私は別の話題を振ろうと声を発した。
「あの子……誰でもいいの?」
「自分より、高貴な殿方がお好きなようです」
「……あ、そういうタイプ、ね」
何となく納得してしまった。
ガチャ。
「おーい!エスティア!!」
私に気付いたカーディアスが窓から顔を出した。
「早く戻っておいで、ランチにしよう」
ラ、ランチ!?
トレバン夫人からご飯抜きって言われたのに、さすがお兄様。
あ!あのドリンクも持って来なきゃ!
「今、行きます!!」
私は王太子宮へと急ぎ向かおうとしたところで、セリオスに呼び止められた。
「王女様、」
私は肩越しにセリオスを見やる。
「ん?なに?」
「見てください」
セリオスはしゃがみ込み、何かを見ていた。
その視線の先には地面に生えた、一輪の逞しい黄色い花。
「王女様みたいです。疎まれても、踏まれても咲き乱れているなんて」
セリオスの言葉がとても気恥しくて、上手くやり過ごせない。
「え、そう?」
「ええ、とてもそう思います」
セリオスはその黄色い花を、愛おしそうに眺めていた。
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