✣ 32話 淑女へと迫る赤薔薇
ランチをノルドに奪われ、食べ損ねた私の左腕にはノルドから渡された仕事。
しかも、期限が明日という鬼畜ぷり。
「こっちでも、社畜戦士なのに変わりないですわ……」
はあ、と大きい溜め息が。
哀愁が漂っている私の姿が窓硝子に映る。
ニヤついた雇主がチラついた。
なんでアイツは、いつも楽しそうなのよ!!
グゥゥゥー。
腹を立てた途端に身体の力が抜けていく。
怒りが冷めやらぬ、腹ぺこ虫様。
鎮まらせようと私は熱が上がらない手でお腹を撫で回す。
この状態でトレバン夫人の特訓に
耐えられる気が、しませんわ……
王太子宮へと向かう足取りが、どんどん重くなる。
気が重いです、わ……
そんな私の耳に複数人の衣擦れの音と、パヴェを軽快にヒールで踏む軽い音が届く。
音が止み、この季節にしてはやけに冷たい風が吹いた。私は思わず、身体を震わせる。
冷たい風に乗って私の鼻を掠めたキツい薔薇の香り。
「────もし、」
背後から声が投げられた。
凛とした声音。
たったひと言で、この場の雰囲気がガラリと変わる。
な、何か……
ヤバそうなのが、後ろにいますわ、よ。
ゴクリ。
私の喉が大きく音を立てた。
振り向いたら、終わる気がするんですが!?
ちょっと、幻聴さん……?
アドバイス、ありません??
『 …………。』
応答ナシか───い!!!
「もし?あのそこの、お方?」
─────コツ。
──コツ。
背中にびしびしと棘のような視線を感じますわっ!!!
逃れようのない威圧感に私は覚悟を決め、ゆっくりと振り返る。
そこに立つのは真っ赤なドレスに黒い薔薇のレースの手袋。そして、黄金に少し橙を足したゴージャスなふんわりウェーブ髪。白い陶器の肌にぷっくりと膨れた魅惑的な真っ赤なルージュと赤みかがった琥珀色の瞳。
ザ・ご令嬢。with 取り巻きのご令嬢方が数名。
身に付けているアクセサリーやら何まで、総額いくらですの?と聞きそうになるゲスな私。
髪の先まで意思があるとでもいうかのように、身動きひとつひとつが上品と優雅さを兼ね備えておられる方の登場に、無意識にも身構える。
トレバン夫人がここにいらしたら、こう言うに違いない。
「王女様ッ!ボサっとしていてはなりません!!刮目なさいませ!!────活きる教科書ですっ!!」
絶対、言う!
絶対絶対、言う!!!
脳内でトレバン夫人の姿を想像していると、扇子が開いた。
バサッ。
口元を扇子で隠し、琥珀色の瞳が細められる。
お淑やかでありながら、その瞳の奥には苛烈な熱は隠せていない。
うわっ、このパターンって……
良く見るやつ、じゃないかしら?
悪役を糾弾する!っていうイベント!
でも、私……
今のところ、……悪事は働いてないし
レジスにグサっ&パーンされないように奮闘しているだけ、よ?
それとも、アレ?!
気の強い令嬢に罵られるパターン……?
確かに、このご令嬢……
「───気が、強そう」
咄嗟に零れた言葉に私はハッとして口元を手で覆う。ご令嬢は片眉をビクリと揺らした。
「何、か?」
そのお顔で、私……
ご飯たくさん食べられます。
石肉は無理ですが。
あ、すみません。
男ばかりで、女性に飢え……
あ、私ったら……気を、つけます。
「ねぇ。貴女、どちらのお家の方、なのかしら?」
私を値踏みするような嫌な視線が下から上と流れる。
「え?」
「ああ、良かったですわ。……耳が聞こえるようで、───わたくし、てっきりお飾りかと……思いましてよ?」
扇子の向こうの口の端がつり上がったのが見えた。
思いっきり、私このご令嬢に見下されてます!
クスクスと嘲笑う取り巻きたち。
私を見る目は、人を見る目ではなかった。
あ、なんか見覚えありますわ……
侍女たち カミラと……マリアヌ?いや、マリアンに向けられたあの目と重なった。
私に敵意あり。ってこと、かしらね。
「ちょっと、聞いてるの!?エレオノーラ様が、アンタに話しかけていらっしゃるのよ!!」
ご令嬢の後ろに控える取り巻きAが私に噛み付いた。
エレオノーラ……?
だ、だれ?
原作には女性キャラは
聖女 リズベット以外は居なかった。
なら、この人も特に
関係ない人物ってことかしらね。
そう納得していると、エレオノーラは扇子を高い音をワザと出して閉じる。
「貴女、どこの田舎娘か知りませんが……身の程を弁えて頂かないと、困りますわよ?」
「困る?」
「そうですわよ!!!アナタ、ロイヤルペーパーをお読みになってないの?!」
ロイヤルペーパー……?
知らぬ、単語来たんですけど!!
取り巻きBがおもむろに、字が羅列してある紙を私に向けて掲げた。
新聞かしら……?
私は目を顰める。
「こちらに写っているの、アナタでしょ!!」
パン!!と新聞を叩く取り巻きB。
私はその新聞を流し目で見る。
だが、私の目は、とくダネ感たっぷりの大々的な見出しとそこに写るふたりの姿に目を奪われた。
「……へ、──う、嘘っ?!」
私は目を剥き、大股でその新聞へと距離を詰めた。
取り巻きBから新聞をもぎ取り、記事に目を通す。
そこ書かれている内容に私の身体が更に冷えていく。
新聞が音を奏でながら小刻み震え出す。
「漆黒の────
腕に抱かれた見知らぬ令嬢……」
私の口か勝手に紡ぐ。
「コレ、アナタでしょ!!!見知らぬ令嬢じゃないの?!」
取り巻きAの指先が新聞に載ったエスティアを指差す。爪が顔を抉り、ブチッと穴が空いた。
「ポッと出の田舎娘が、公爵様に何て手を使ったの!!!」
「私たちが知らない令嬢はいませんの。家名も名乗れないなんて、恥ずかしいお家柄なのでしょ?」
「そうよ!!エレオノーラ様が可哀想ですわ。フィガロ公爵様とは婚約間近と言われておりますのに……」
「いや、王太子殿下ではなくて?」
これって、修羅場?
あ──女って、怖いわね……
私は醒めた目でその様子を眺める。
ことの当事者であるエレオノーラは我関せずに、数歩離れたところで、ことの成り行きを見守っていた。
こういう時は、アレよ。
スルースキル!
───発動!!!
心を無にし雑音を右から左へと受け流す。
非の無い理不尽クレームオバサンに
鍛えられたスキルを、
ここで活かすことになるとは、ね。
思いもしなかったですわ。
「─────!!」
「───、──!!?」
「全く!!! ───聞こえてるの!!」
「あの方の腕の中とかふざけてるのこのブス!!」
私の眉が跳ねた。
聞き捨てならない言葉に私の意識が現実に引き戻される。
あ!それは酷いですわ!
この顔のどこがブスなのよ!
そう言い返そうとした途端、ひとりの取り巻きが私の肩を押した。
腹ぺこな上に貧弱な身体は踏ん張ることも出来ずに、そのまま体勢を崩し、私は地面へと倒された。
ズルッ。
い、痛いっ!!
咄嗟に出した掌と膝に鈍い痛み。
あーまた怪我しちゃったじゃない。
せっかく、治ったところだったのに。
顔を見上げる。
ハアハアと肩を上下に揺らす取り巻きと満足気に笑う取り巻きたち。そこで涼しい顔を浮かべるエレオノーラ。
エレオノーラは取り巻きたちの間をコツコツとヒールを鳴らす。
赤いエレオノーラは優雅に私の目の前に立つ。
畳んである扇子の先を自分の掌に添えた。
「───無様ですわ。地に這い蹲る鼠のよう」
蔑む目、そして温度のない声。
「わたくしに逆らって生きていられると、
────思わないことね」
添えられた扇子の先が動き、クイッと私の顎を押し上げた。
濃い薔薇の香りが私を襲う。
「────貴女の人生、滅茶苦茶にして差し上げるから」
真っ赤な唇が妖しく光る。
口元だけ微笑むエレオノーラ。私を見下ろすその瞳は殺意に満ちていた。冷酷に突き刺してくる目から逃れることは許されない。
胸が重苦しくて、身体が空気を欲している。
嫌な汗が首筋を流れるのを感じた。
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