✣ 31話 淑女のランチ。見知らぬ令嬢はどっち?
パンッ。
部屋に乾いた音が大きく響いた。
扇子を添えた掌が赤い。トレバン夫人の白い手に、赤みがよく映える。
……夫人の目が、こ、怖い
恐ろしいです、わ……
トレバン夫人の整えられた少し長めの爪が扇子がギリギリと音を鳴らす。
「───王女様、また姿勢が崩れております!!」
バタバタと頭に乗せられた本が崩れるように床へと落ちた。
「……す、すみません」
しゃがみ込み、使用用途を間違えている本たちを掬い上げる。
「……はぁ。このままですと、」
ぷっくりと膨らんだ唇から溜め息が零れた。トレバン夫人は頭を抱え、睫毛を伏せてしまう。
愛らしい丸い肩が、ガクンと落ちた。
トレバン夫人……
せっかく、親身に教えて下さっているのに
物覚えが悪くて、ごめんなさいっ!!
最後の本に指を掛け、胸に抱く。本の重さがずっしりと私の腕にのしかかった。
「……こうしては、居られません、わ」
項垂れていたトレバン夫人の瞳に再炎し、燃え上がった炎は私へと注がれる。
「王女様!!早くお立ちあそばせっ!!本日はそこら辺の令嬢に見えるようになるまで、お食事は抜きですからねっ!!!」
「し、食事、ヌキッ?!!」
「そうですっ!!!!目の前で私が食して差し上げますからねっ!!!」
ぷるんっと幸せたっぷりの顎肉が振れた。
やっと、この世界で、まともなご飯が食べられるようになったのに────!!?
しかも、私の前でとか?!
「酷いっ!!鬼の所業!!」
「なんとでもお言いなさいませッ!これも全て王女様のためなのですから!!」
「そんなのイヤだぁぁあ──────!!!!」
私の捨て台詞が王太子宮を激しく揺れ動いた。
「……トレバン夫人め」
全身の筋肉の悲鳴を無視しながら、私はヨタヨタと回廊を歩く。硝子窓に映る姿を見て、乾いた笑みを浮かべた。
「フッ。……こんな姿勢でも、本当に貴女は華があるわ」
まじまじと眺めていると、ここだよっとアピールしてくる温もり。私はポケットに入っているコロッケを取り出した。
「……ジョアンナママンに感謝、ですわ」
温かいコロッケを布越しに触れる。
「コロッケの温かさが、身に染みます……ありがとうジョアンナ」
あまりにも熱が入り、常軌を逸したトレバン夫人の特訓にジョアンナが私を不憫に思ったのか、夫人が席を立ったのを見計らい私を逃がしてくれた。
その際に、手渡されたコロッケ。
「王女様、さあ、今ですッ!」
って、言いながら私の掌に乗せたコロッケ。
ジョアンナママン、
トレバン夫人に怒られてないかしら?
足を止め、ジョアンナのいる方へと視線を移すが、
「王女様?!!何処に行かれましたの──っ!!?」
痛む背筋が跳ねた。
トレバン夫人の甲高い声が鼓膜を突き破ろうとする。
「せっかく、ジョアンナが見逃してくれた機会を逃してなるものかっ!!!」
小鹿のようにブルッている足で、トレバン夫人の声が届かない安息の地へと私は足先を向けた。
「よいしょ」
かけ声を上げ、私は椅子へと腰を落とした。木陰の下から、陽だまりの当たる庭園を眺める。
風が頬を撫で、花々たちのみずみずしい香が疲れ切った私の身体を癒していくのを感じた。
「……このまま、何もかも忘れてしまいたい」
背もたれに身を預け、空を仰ぎながら感傷に浸っていると、花の香りを払い除けある香りが鼻を刺激する。
「……え、なんで貴方が、ここに?」
いともせず、私の瞼が引き上がる。映り込んだ赤き髪。深い海のような蒼玉の瞳。
「よお、無断欠勤従業員」
視界いっぱいに広がるノルドの顔。口角を上げ、軽薄な笑みを私に向けた。
流れる赤い髪が私の頬をくすぐる。
突如としての登場に私の反応は遅れるわけで。
「仕事が溜まってるぞ、どうするつもりだ?
────エスティア」
ニヤ、と更につり上がる口端。
……あっ!
それは、早く解決しなきゃならないわ!!!
相手側にも、売上げにも影響がぁぁぁぁ!!!?
背を前に倒し、頭を手で押さえながら私のせいで止まった弊害を予想して口をわなわなと震わせる。
「ど、どうしたら?!あ、企画書、あ、見積りも………潰れちゃうっ!!!」
「……クスッ」
ポン。
ノルドの大きい手が私の頭を捕らえた。私は蒼玉の双眸を見上げた。
「……全く。お前は、本当に面白い奴だな。だが、な」
白檀の香が強くなる。布ずれの音が傍で聞こえた。
耳元で甘いような吐息を感じる。
「俺の商団は、そんなことで潰れたりしねぇよ」
こそばゆい刺激に、私は肩を縮こまり上体を横へとずらした。それ以上の追撃を避けようと、耳を覆いながら私は椅子から跳ぶように立ち上がった。
もう、距離バグなんだから!!!
「……ったく、逃げんなよ。ん、なんだそれ?」
ノルドの視線が私の右手へと動いた。彼は私の持つコロッケに興味がいったらしい。
「これはね、コロッケっていう料理で……」
長い腕が伸びた。攫われていく私のコロッケ。
「ちょ、ちょっと!?」
ノルドは指先で掴むコロッケを不思議そうに、引いたり戻したりとよく観察し、コロッケ越しに私へと目を向けた。
「……コロッケ、ね」
こいつといい、レジスといい……
なんで、ここの男共は、
私の手にある食べ物を掻っ攫って行くのかしら?!
「食い物だよな?」
な、何よ!?
こんな美味しい匂いを前にして、なんていう言い草かしら!!
「そう、目くじら立てるな」
フッと軽く笑うノルドはコロッケを口へと運ぶ。
あ、私のランチ……!!
私の虚しい指先が勝手に伸びた。
しばしの沈黙の後、ノルドの片眉が微かに揺れた。
「へぇ。悪くないな」
口端についた衣を指の腹で拭うと、ノルドの瞳の奥が鋭く光る。
「これ、どうしたんだ?」
睨め下げる蒼玉に私の喉がヒリついた。
しょ、商人の目ってやつ、ですわね。
「……私が、作りましたけど?」
「そうか」
「あ!売ろうとしてますわね!!」
ノルドの目が細くなる。彼の耳に付いているピアスが妖しく煌めいた。
「お前もそのつもりだったんだろ?手伝ってやるから、どうやって売るのかをまとめて来い。それと、」
ノルドは懐から、三つ折りに折られた書類を私の前に出した。
「これも、やっとけ」
出された書類を、黙って見つめる。
見覚えのある紙の質感にインクの匂い。
「え……まさか」
こちらを見る蒼い瞳。
「明日のこの時間に必ず持ってこい」
「え?……冗だ…」
「良いな?」
有無をいわせないその眼力に私は力なく声を発した。
「あ、はい……」
ノルドは、もう私に用は無いと背を翻した。ふわっと薫る白檀とコロッケの匂い。
その香りに私の鼻が哀しくも反応してしまう。
お腹減りましたわ。
「じゃあな、また明日。時間に遅れたら、お前の取り分が減るからそのつもりで」
白い歯が薄っすらと見えた。
愉快だと言わんばかりに彼は手を軽く上げ、去っていく。
残り香は白檀とコロッケの匂い。
風に乗ってこう囁かれた。
「……ご馳走さん」
アーノルドの背を眺めながら、私はその声を聞く。
だが、その声は私の腹ぺこ虫の叫びを鎮めることは出来なかった。
「……ランチ、食べ損ねた」
ぐうぅぅぅう………。
私はそのまま項垂れた。
✣✣✣✣
「あ、あれは!!」
ひとりのご令嬢が声を上げた。
わたくしは優雅にその方を見上げる。
「どうされたの?……ライラ様」
全く、こんな通りで大声を発するなんて……お恥ずかしい方。わたくしの取り巻きとして品位を損ねますわ。
そんな考えを巡らせているけれど、わたくしは顔には出さず、平然とその場に佇む。
わたくしへと、近寄るライラ様。
鼻へと流れてくるこの香り。
あら、わたくしと同じではなくて?
……残念ですわ、ライラ・フェルドルト伯爵令嬢。
貴女はわたくしに相応しくない。
────失格ですわね。
烙印を押されたライラはわたくしに声を掛けた。
「エレオノーラ様、あちらをご覧ください!!」
最期の餞別として、わたくしはライラの指し示す方向へと目を移す。そこにいたのは……
「あら、ライラ様。良い仕事なさってくれたわ、ね」
わたくしの前を横切ろうとしたあの女。
「やっと、見つけましたわ……」
手にしていた扇を開き、口元を隠す。
この功績によって、ライラ、様。
失格は取り止めて差し上げますわよ。
「今日、ここで会えるなんて……なんてついているのかしら?」
思いがけずに、笑みが零れる。
「エレオノーラ様、どうしますか?」
わたくしを取り囲む令嬢たちがクスクスと声を立てる。
「ふふっ。決まってますわ……あのレディにはしっかりと、この世という物を、」
ライラ様の表情が強張り、蒼白に変わっていく。
「このわたくしが、教えて差し上げましょう」
──────ねえ、見知らぬ令嬢。
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