淑女の涙。王太子にドリンクを。
描かれた美しい女性。エスティアとカーディアスと同じ翠緑玉の瞳。ふたりとも、彼女の面影をしっかりと引き継いでいる。
絵画の中で優しく微笑みながら、胸に抱かれた小さな少女を見つめている。
その女の子は────
…………エス、ティア?
瞳孔が揺れる。
同じ瞳の女の子が絵画の中にいた。
母へと伸ばす、紅葉のような小さな手。
「……絵の中だけでも、と母上が絵師に描かせたんだ」
似ているようで、似ていない女の子。
この絵が物語っている内容に、胸が、締め付けられる。
……言葉に、出来ないですわ。
目頭が熱くなる。
潤み始めた瞳から、溢れ出てきた一筋の涙。
私は涙をそのままに、静かに眺めていた。
「……近いうちに、共に母上の墓所に行こう。私も、長いこと戦地にいたせいで、なかなか挨拶が出来ていないから」
カーディアスは私を支えるように、肩を抱き締めた。その腕に甘え、はい、と首を縦に振る。
「母上もきっと、喜ばれる」
「ええ、私も、……そう思いますわ」
真っ直ぐに微笑む女性へと視線を向ける。
……ごめん、なさい。
貴女の本当の娘ではなくて……
心が沈む。
罪悪感が、拭えない。
この絵画を見て、余計にそう心に残った朝だった。
───コン、コン。
「……王太子様、ジョアンナでごさいます」
その声にビクっと背筋が立った。
涙を指先で払う。
「入れ」
カーディアスが短く応えた。その返事からすぐに、扉が開いた。絨毯を踏むヒールの音がこもって聞こえる。
背後で歩みが止まった気配。
ゴクリと息を呑む。
「おはようございます。王太子殿下、……王女様」
「ああ、おはよう。どうした?何か用か」
「何か用かではなりませんよ。殿下……」
目を伏せたジョアンナ。私はドキマギしながら、後ろへと向き直る。
「おはよう、ございます……」
ジョアンナママン登場!?
うわっ、やばい……
昨日のあの後、寝込んじゃったし……
お、怒られる?!
視線が定まらない。
スカートを指先で握る。
「王女様、」
落ちてくる雷を想定し、私はギュッと目を瞑った。
そっと腕に添えられた手。
布越しから伝わる温もり。
怖がっていた瞼を開いた。
「……お元気になられて、安心致しました」
ジョアンナの柔らかな眼差し。
その表情に固くなっていた身体が和らいでいく。
な、なんか思ってたのと違う……
てっきり、こっぴどく叱られると思ってましたわ。
「……心配を掛けてしまい、申し訳ないですわ」
面目なくて、身が縮まった。
指先を絡ませる。
ジョアンナは私の後ろへと視線を移した。その顔は懐かしんでいるように見える。
「本当に良かったです。ソフィアお嬢さ、いえ、王妃様が見守ってくれたお陰でしょうね」
「ソフィア……?」
無意識に口にしていた。
その応えを隣にいたカーディアスが口にした。
「母上の名だ。ジョアンナは元、母上の侍女だったんだ」
そうだったんだ……
セリーナ王妃が亡くなってからも、見守っていたのね。
第二の母、ですのね。
そんなジョアンナの雰囲気が、変わり始める。
「殿下、困りますよ?病み上がりの王女様を連れ出すとは、それと……」
ジョアンナの目が光った。
鋭い眼光がカーディアスを射抜く。
「お支度も整っておられないのですよ?寝衣のお姿で……兄妹といえど、そこは弁えていただきたいです」
恐れることもなく、ジョアンナはビシッと言い放った。
「はっ、またしても……すまない、エス」
自分の過ちに気がついたカーディアスは私と同じように肩を縮こませた。
なんだか、幼い子に戻ったような気分ですわ。
「では、殿下……王女様は連れて行きますね」
参りましょうとジョアンナが誘う。私はジョアンナに言われるがままにこの部屋を出てた。
「おはようございます」
前に立つジョアンナが頭を下げる。下げた向こう側にいたのは、
「ライザット卿。本日は、既に退勤のお時間では?」
「おはようございます。ジョアンナ殿。……少し用がありまして、ね」
彼の視線が私へ移った。
薄れる意識で見た灰褐色の瞳が私を捉える。
……えっ?私?
私の野生の勘が、関わるなって言ってる気がする!
あからさまに私は目線を下げた。
こちらへと近寄る足音。
視界が暗くなる。
うわっ!
こっち来ちゃったよぉ──!!?
背中に寝衣が張り付く。
指先が縋り付くように薄布を掴む。
「王女様、」
声が降る。
私は顔を上げない。
目が合ったら色々バレちゃうかもじゃん!!
「……コレ」
プーンと鼻から脳天を強く刺激する香り。
その香りに私は見に覚えがあり過ぎた。
ガバッ!
長い白金の髪が舞い上がる。
「それは!!」
セリオスに抱えられた瓶。
私には光る宝石よりも大切なモノだった。
「もう!セリオス最 & 高!!」
は?という顔をする一同を無視し、私はセリオスから瓶をもぎ取った。
蓋をしても匂う、刺激臭。
私の口角が天へと向いた。
「なんの騒ぎだ?」
何知らないカモ……あ、ごめんなさい。
カーディアスが扉を開けた。
廊下に漂う、強い刺激に眉根が寄っている。
それを毎日、飲むのよ。
……お兄様。
「うふふ。ふふ、あはは!」
心の声が漏れ、嫌な笑い声が出てしまった。
私の変わりようにセリオスが、剣に手を伸ばす(なんでやねん!)
「お、王女様?!」
見てはいけないものを見たように、ジョアンナが口元を押さえ、壁にへばりついている。
「……魔女に、憑かれたのか?」
カーディアスまで冗談を言い出す始末。
まぁ、失礼な人たちですわ!!
私は真っ当な人間です!!
「……お兄様、」
尖りそうな口を平にし、ビクッと肩を震わせたカーディアスへと向き直る。
「な、なんだ……エス?」
「お兄様を思って、私作りましたの」
「はっ!まさか……」
抱えた瓶へと視線を下げたカーディアス。
怖気付いて足が半歩下がった。
私は満開の華のように微笑んで見せる。
「お兄様、……飲んでくれ、ますわよね?」
カーディアスへと迫る私。
一歩、一歩確実に。
ドアノブがカタカタと音を奏でる。
「……もしかして、嫌、ですの?」
音が止む。
カーディアスの喉が上下に動いた。
「嫌な、わけが……ないだろう!!」
覚悟を決めたカーディアスが、私の手から瓶をもぎ取った。勢いに任せ蓋を取り、口へと当てる。
その手が一旦停止する。
眉間に深い溝が形成された。
ゴク、ゴグ……
喉へと流れるとろみ液。
カーディアスは男らしく、飲み干した。
持っていた瓶に張り付いていた指が、力なく剥がれていく。
絨毯へと一直線に落ちる瓶。
私はギリギリで受け止める。
顔が伏せられたままのカーディアス。
ガタッと、扉にぶっつかった。
「お、お兄様っ!!」
「「殿下!!」」
鎮まる王太子宮。
私の頭に過ぎった……新聞の見出し。
“ 王女、兄である王太子を毒殺!!
────この国の未来は?! ”
毒なんて、一切入れてないわよ!!!
皆の注目を集める人物の髪が、流れた。
「……エス、ティア……美味しかったぞ」
絶対にうそ!
分かってるよ、不味いってことは!!
だって、涙目ですし、
肩が小刻みに、震えてますわ!!!
でも……
「それは、ようございました。
────明日も、持ってきますね」
その言葉に、カーディアスは固まった。
後ろで誰かの忍び笑いが、聞こえた気がした。
✣✣✣✣
「……断れば、良かったのでは?」
紅茶を一吞みするカーディアスへと言葉を投げた。
その言葉をカーディアスはチラッとだけ見ると、そのままカップをソーサに置く。
「可愛い妹が、作ってくれたのだ。しかも、あの笑顔の前では断るなんて出来るわけないだろう」
ツーンと臭うニンニクやらの匂い。
「……鼻を摘んだら、お前の騎士の資格を剥奪してやる」
浮き上がった腕を、強引に落とす。
「で、なんだ?……セリオス」
前に座る男はもう、兄カーディアスではなく、王太子へと変わっていた。
「王太子殿下、私を……」
私を見るカーディアスの目が、鋭くなる。
「王女、エスティア様の護衛騎士にして、頂けませんか?」
目が、細くなる。
私の心を見透かそうとするように。
「…………なぜ、そう思考した」
指が絡み、その手に顎を添え、私を睨む。
納得のいく答えを求める眼。
その眼に私の身体が疼く。
「────悪魔から、お守りするためです」
懐かしい瞳。
待ち望んでいた再会。
でも、私は────
「……良くは分からんが、考えておく」
カーディアスから剣が削がれていく。
「ありがとうございます」
私の黒い革靴が視界に入る。
汚れなどはない。
だが、濁った光を放っていた。
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