✣ 29話 淑女、目覚めの朝と身体の母親
「な、なんですって……」
シミひとつ無い手。
紙が激しく揺れる。
────クシャクシャぐぢゃ。
大きく乾いた音が部屋に反響する。
爪を立て、憎い仇のように強く握り締められた。
ぷっくりと艶のある赤い唇。
そこに食い込む白い八重歯。
「……許せ、ないわ…。このオンナ、
────タダじゃ置かないわ!!」
ユラッと力無く床に墜ちた紙。
その紙に記された文字は────
漆黒の氷薔薇 雨の密会
腕に抱かれた見知らぬ令嬢
───ガンッ!
真っ赤な鋭く尖ったヒールに撃ち抜かれた。
✣✣✣✣
並々ならぬ気配を感じて、目が、覚めた。
「……凄い、嫌な目覚め、ですわ」
ムクッと起き上がる。
あんなにボーッとしていた頭。
重だるかった身体は、もうすっかり快調。
元気、フルスロットルですわ!!
あれ……?
ふと、視界に入った.......紅い果実。
「夢じゃ、なかったんだ」
サイドテーブルに、ちょこんと苺が置かれていた。
「……なんか、血迷った事を発したような気が……しますわ…」
脳内のセーブデータを読み解くが、そこの記憶がすっかり抜けている。
深層へと突っ込むが、アンサーは見当たらない。
「まっ、大丈夫でしょう」
深く考えるのを止め、ひとり合点したところで、部屋の外が騒がしくなる。
ん?またこのパターンなの?!
バタバタバタバタ!
………………。
────ドン!!
「────エスティア!!」
挨拶も入室の許可も得ず、あのお方は私の名を高らかに呼ぶ。
「……おはようございます。カーディアスお兄様」
起きている私を見つけると、眉を下げながら近付く。
「……もう、起きて大丈夫なのか?」
今にもその美しい宝石のような瞳から涙が溢れそうな兄やん。
「はい。心配をお掛けしました」
もう、これくらいで死んだりしないわよ。
社畜戦士だった頃の私なんて
あの状態で戦地(納期間近)を戦い抜いた猛者ですわ。
見くびらないでぇ!
(いや、倒れただろ?)
「……本当に、良かった」
ベッドの端が沈む。
カーディアスは溜まりに溜まった息を吐いた。
「もう、あんな姿は見たくはないな」
ポンと私の手にカーディアスの手が重なった。
私の手を覆うようにそっと包む。
「蒼白いエスを見て、胸が冷えた。……やっとこうして、会えたのに喪うのではないかと」
彼の瞳の奥が揺れた。
伏せられた睫毛。
愛おしそうに、腫れ物を扱うように私の手を救い上げる。
「母上の、ように……」
手を握る指先の震えが私に伝わってくる。
カーディアスとエスティアのお母さん……
確か、亡くなったって、話してましたわ
私の胸も苦しくなる。
前世の母を亡くしているせいか、カーディアスの気持ちが痛いほど分かってしまう。
「あの、……お母様は、なぜ……?」
つい、言葉に出てしまった。
カーディアスはゆっくりと私の瞳に合わせた。
同じ色の瞳。
互いに自分の姿が映る。
「……病だ。ちょっとした風邪を拗らせ……そのまま、な」
うちと、一緒だ……
「エスを産み、しばらくして、母上は充分な説明も無しに、……エスと引き離された」
カーディアスは私を通して、面影を探しているようだった。
「その日から、一度も会わせて貰えず……母上は身も、心も弱っていった」
「…………」
「いつも、母上はエスを気に掛けて、いらした」
細められた目。
温かな親愛を感じつつも、私の心中は罪悪感に駆られる。
ご、ごめんなさい……
……私、違う。
全く無関係の人間、ですわ……
カーディアスの視線に耐えられず、私は視線を逸らした。
「……俺の部屋に母上の肖像画があるんだ。見に、来ないか?」
「あ……」
中身は違くても、身体は
───エスティアのモノだもの。
見せて、あげたい。
「是非、とも」
私はそう返した。
カーディアスは頷き、私をベッドから引き上げた。
✣✣✣✣
カツ。
───カツ。
磨きあげられた廊下。
その上に敷かれた深紅の絨毯。
私はカーディアスにエスコートされながら、この廊下を静かに歩いた。
お互いに何も話さない。
広い王太子宮はふたりの足音だけが響く。
ある扉の前で歩みを止める。
この宮の主が使うことを許された一室。
カーディアスはドアノブへと指を乗せた。
───ガチャ。
開かれた扉。
初めて入るカーディアスの部屋。
先に踏み込むのを躊躇してしまう。
カーディアスの腕に添えていた手が抜け落ちた。
ん?とカーディアスが顔を向けた。
なかなか、入室しない私にカーディアスが声をかけた。
「どうした?」
「あ、ちょっと……緊張?してしまって」
顔が引き攣る。
変な顔をしていないか不安になった。
「緊張なんてする必要はない。ほら、おいで」
落ちた手を拾い上げたカーディアスに、導かれるように私は足を動かした。
目線を足先に向け、引かれるままに歩く。
ちょっと、なんで私こんなにもドキドキしてるのよ!
あと、私の手汗がすんごく、気になるのだけど!?
カーディアスに気持ち悪ッ!って思われたらどうしよう!?
カーディアスの足が止まる。
「エス。顔をあげて」
声が投げられた。
私は息を呑むと、伏せていた目元を徐々に持ち上げる。
目の前に立て掛けられたその女性と目が合った。
「…………ッ」
私の胸が、傷んだ。
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