✣ 16話 淑女、救われてもなお囚われる
「……この、声……」
窓の外へと目を向ける。
思わず、ベッドから飛び降りた。
そこにいたのは────
「……カーディアス……お兄、さ、ま?」
プラチナブロンドの髪を煌めかせながら、白馬に跨り颯爽と現れた。
その姿は、文字通りの白馬の王子さま。
「───そ、その声は!エスティア!?」
この距離から分かるとか、どんだけ地獄耳なのかしら?
いや、そこはいいとして、
ちょっと、ちょっと?!
なんかさ、なんかさ……
魔王からお姫さまを取り戻しに来た、
──────正義のヒーロー!!
うわぁ─これ、ヤバいわ。
うん、惚れちまうなコリャ。
碧玉の双眸がこちらを見とめる。
……ウヘッ?!
魔城へと単騎で乗り込んだカーディアスと目が合った瞬間、
バクんっ!ばくんっ!
?!
……ど、した……の?
心臓ちゃん……
……私の、じゃ、ないみたい……
夕陽と共に現れた兄やんのビジュに対応しきれんのか?!
────ビ、キッン。
背後から聞こえる硝子の爆ぜた音。
不穏と薫る、ムスクの香り。
ピリピリと突き刺す冷気。
恐る恐る、顔をそちらへと向ける。
ふぎゃあ!!?
な、なんて眼をしてるのかしら?!
氷のような鋭い眼光が、カーディアスへと向けられていた。
それ……、人に向けちゃダメ。絶対。
うん。しかも、相手……この国の王太子、だよ?
「………本当に、
────目障り、この上ない」
低く凍てついた声が落ちた。
私は怖くなって、知らないふりしてカーディアスの方へと身体ごと向き直る。
──ザクッ!
………………シャリ、シャリ。
靴底で踏んだ硝子をわざと踏み砕く音が、やけに耳にこびりついて離れないので、今すぐ止めて欲しいです。
これ、切実ッ!!
それにしても、魔王レジスからひっきりなしに出る冷気のせいで、寒いわよぉ……
震え出しそうな身体を抱く。
と、とにかく、レジスに見つかったわけだし、
ここに居たくもない
カーディアスがここに来たとなると……
…………ポンッ!
答えはひとつ!
カーディアス兄やんのもとへ行くの一択ですわ!
そうと決まれば……
ファサ……
ん?身にまとわりつくムスクの匂い。
「……冷えて、来ましたから」
肩に掛かる漆黒のドルマン。
私の腕に優しく添える指先。
────いや、誰のせいだとお思い?
もうね、身体が更に冷えて行ってますわ!
カチコチに凍った首を仰ぐ。
氷の瞳の目元が緩んだ顔とぶち当たる。
微笑まれても、違う意味のドキッだわ!
心臓が、非常に痛いッ。
胸を押さえた。
「────レ、レジスッ!今すぐ、そこを離れろッ!」
白馬に乗った王太子さまが怒鳴ってまーすよ。
レジス魔王さまは、相変わらず氷の瞳で睨んでまーす。
お互い黙ったまま睨み合ってますわ。
あ、兄やん、
白馬から身軽に降りると、全速力で屋敷へと足を踏み入れてますね。
ヒョイっとレジスの手から逃れる。
肩に掛かったドルマンがすっーと床に落ちた。
「……寒くなんか、ないですわ」
振り返らず、そう呟く。
装飾がカサカサと音を上げる。
床に落ちたドルマンを構わず踏み抜くレジス。
「…………、」
微かに私の髪が揺れた。
─────バンッ!!
轟音と共に扉が蹴破られた。
なんか、デジャブを感じるわね。
「────エスティアッ!!」
……ん?……あ、あれ?
そこ、開くの……?
あんなに必死になって、
押したり引いたりしましたのよ?!
挙句の果てには椅子ぶん投げましてよ?
その謎をカーディアスはあっさりと口にした。
「この剛鉄の扉はなんだ!?我が妹を監禁したなッ!」
ザーッと血の気が引いていく感覚が私を襲う。
私、真っ白になっていない?
「……監禁とは、酷い。ただ、この屋敷でいちばん安全な部屋を案内しただけだよ」
「良くそんな事が言えたな。幾つもの鍵を付けておいて」
ウワッ。怖っ。
やりやがったよこの魔王っ!
「……ふっ、よくこの短時間で解錠できたね、カーディアス」
褒めてあげるよ、そんな声を発してますが。
全然、穏やかじゃありませんことよ?!
「謹慎という言葉も、接触禁止の意味も分からない愚かな男だとはな」
ズカズカとレジスへと近寄るカーディアス。
レジスを眼前して、立ち止まる。
「……長いこと共に過ごして来たが、気付かなかったのが、心底嫌になる」
「僕の恋路の邪魔をする、愚かな王太子殿下に同じ言葉を、お返ししますよ」
「……恋路、だと?」
眉がビクンッとつり上がるカーディアス。
レジスの薄い唇が鋭利に円を描く。
漆黒のオーラと無垢なオーラがバチバチとぶつかり合う混沌と化してます。
……なんか、
馬鹿らしく思えて来ましたわ。
カタ。カタ。
ヒヒィ───ン。
あら?グッドタイミングですわね。
背後のおふたりは相変わらずのご様子なので
そそくさと私は足先を部屋の外へと向ける。
落ちているレジスの脱け殻を手に取り、汚れを払う。
付いている勲章が腕に重くのしかかった。
大切にすべきモノを、落としてしまったのは
なんか、悪いことした気になるわ……
でも、それを踏んだのレジス、よね?
私の行動にふたりの視線が集まる。
「……王女、さま?」
「エスティア……?」
あ……
私のこと、み、見てるっ?!
こうも、マジマジ見られのは、ちと、恥ずかしいわ!
苦しまぎれに腕を伸ばし、持っていたレジスのドルマンを手渡す。
「お、落として、ごめんちゃ、……なさい」
(あ、噛んだ……)
バフっん。
頭が湯気が上がる。
頬が赤らむ。
瞼をギュッと堅く閉じ、この場にいたくなくて
風のようにふたりの間を走り抜けた。
「おっ、おい!エスティア!」
そう大きな声を張り上げたカーディアスの声が廊下に響いた。
✣✣✣✣
我先に屋敷から飛び出した私の前に立派な馬車が出迎えた。
その後から走る足音。
「遅いぞ、ライナー」
カーディアスが声を投げた。
御者台から眉を顰めたライナーが顔を出す。
「殿下、ひとりで突っ張らないで下さいよ!貴方はこの国の……」
「小言はいい。早く王宮に戻るぞ」
ぶっきらぼうにそう答えたカーディアスは馬車のドアを開け、私の前に手を差し出した。
「さあ、私の手に掴まれ」
この手を掴んだら、あの生活ともお別れか……
いきなり居なくなったから、
商団の皆、悪いことしちゃった……
凄い……困ってるだろうな。
後ろ髪を引かれる。
だが。
──コツ。
─────コツ。
漂う冷気。
無意識に背筋が伸びた。
「……王太子殿下。そこに放ってある馬、ちゃんと連れて帰って下さい、ね」
頭上を掠める声音。
「ちゃんと連れ帰るに決まっているだろうが!」
「それを聞いて、安心しました」
「フンッ。……ほら、エスティア」
思いっきり、顔を背けたカーディアスだったが、すぐに優しい声で私を呼んだ。
やたらと跳ねる心臓が、痛い。
「どうした?どこか、気になる事があるのか?」
心配そうに顔を傾け、覗き込まれる。
私も、分からないんですよ。
カーディアスに見られると、
胸が張り裂けそうに苦しくなるんです……
死んでしまう、から?
無自覚ながらも、私自身が胸を傷めてるってこと?
風が強く吹き、髪が舞い上がる。
舞う髪を手で抑えた。
『……お…………いで』
唐突に直接流れ込んで来た言葉にならない声。
「──え?」
な、何……
何て言ったの?
空を仰ぐ。
顔を向けたところで、夕空がそこにあるだけ。
「エス……?」
眉尻を下げた碧玉と目が合った。
「あ、その、……すみません。何でも、ありませ……」
差し出したままの手の平に、指先が触れようとした途端、腕が後ろに引かれた。
体勢を崩し、そのまま倒れそうになる。
流れていた視界が止まった。
……あ、へ?
抱き留められた私の身体。
耳に、吐息が掛かる。
レジスの呼吸を間近で感じさせた。
「……また、近いうちに、
─────会いに、行きます」
熱を帯びた声がくすぐったくて、もどかしい。
声の熱が私の身体に移ったように身体の芯が熱を持つ。
ゾワゾワとした刺激を私に残し、レジスは数歩後ろへ下がった。
「レジス!お前ってヤツは!」
声を荒らげるカーディアスに腕を取られた私は逃げるように馬車へ乗り込んだ。
ガシャンと閉ざされたドア。
私は顔を上げられず、俯いたまま。
チラッと窓の外を見ると、静かに私を見つめる漆黒の瞳。
いてもたってもいられずに、視線を中へと戻す。
息を吐く。
バクバクと暴れる心臓を落ち着けようと、指を遊びをして誤魔化そうと目論む。
落ち着きなさい。
アレは天敵よ。
今日されたことは許されないんだから。
落ちつけ、落ちつくのよ。
窓の風景が流れ出す。
小刻みに振動する座椅子。
何かを言い合っているふたりを後にし、馬車は走り出した。
平静を取り戻しつつある鼓動を身に感じながら、大きな溜息をついた。
疲れた。
本当に疲れたわ。
背もたれに身体を預ける。
ん?
あの人……こっちを見て、る?
屋敷の窓から馬車を眺めるその女性。
目が合うと、その女性は窓から姿を消した。
その彼女の面影は、どこか、
───────妙に、見覚えがあった。




