第84話 向き合う覚悟
マリーナが帰った翌日。
私は、王宮の廊下で、アレクシス殿下の側近に呼び止められた。
「エリカ様。殿下より、本日の打ち合わせは中止とのことです」
「中止……ですか?」
「はい。殿下は、本日、アルベール男爵領へ向かわれました」
「えっ」
私は、思わず聞き返した。
「アルベール男爵領へ……一人で、ですか?」
「はい。護衛のみを連れて、朝一番で発たれました」
(マリーナ様のところへ……)
昨日の「まだ、その時ではない」という言葉が、頭の中で反響した。
(アレクシス殿下はきっと答えが出たのね)
◇
アルベール男爵領の庭園に、アレクシス殿下の馬が繋がれているのを、マリーナは屋敷の窓から見つけた。
「殿下が……なぜ?」
昨日の応接室での出来事が、まだ、胸の奥にくすぶっていた。
「マリーナ」
振り返ると、殿下が庭園の入り口に立っていた。
使用人に案内されたのではなく、自分で歩いてきたらしい。
「……今日はどういったご用でしょうか?」
「話をしに来た」
「……昨日、説明は結構だと申し上げましたが」
「私が君と話したいんだ」
マリーナは、少し戸惑ったが、殿下を庭のベンチへ案内した。
南国の花々が、風に揺れている。
二人は、しばらく、黙って並んで座っていた。
「エリカを、王宮で匿っている」
殿下が、静かに切り出した。
「知っています」
「理由を、話していなかった」
「……聞かせていただけますか」
「アイゼン王太子から、守るためだ」
マリーナは、わずかに目を見開いた。
「アイゼン殿下から……」
「あの男は、エリカを探して半年間動いていた。視察は口実だ。本当の目的は、エリカに会うことだ」
「……」
「エリカは、まだ、心の整理がついていない。だから、俺が間に入ることにした」
マリーナは、庭の花を見つめたまま、静かに息を吐いた。
「……そうでしたか」
「昨日の場も、アイゼン殿下が仕掛けたことだ。お前を巻き込むつもりはなかった」
「いいえ」
マリーナは、首を振った。
「私は……」
少し間を置いてから、続けた。
「詫びていただくより、一つだけ聞かせていただいてもよいですか?」
「ああ、もちろん」
「殿下は、エリカ様のことを……どう思っていらっしゃいますか?」
殿下は、少し間を置いてから、答えた。
「従姪だ。守るべき家族だと思っている」
「……それだけですか」
「それだけだ」
マリーナは、殿下の横顔を、静かに見つめた。
「マリーナ、私からも聞きたい」
殿下が、マリーナの方を向いた。
「マリーナは、義務やアルベール男爵家のためにこの婚姻を了承したのか?」
その問いに、マリーナは、すぐに答えられなかった。
「……アレクシス殿下が王族ではなかったら、私はもっと素直に気持ちを伝えられたのかもしれません」
マリーナは、静かに言った。
「私は、殿下……アレクシス様の隣に立っても良いのか。自分では分からないのです」
「私は、お前を支えたいと思っている。それでも、か?」
「……」
◇
その頃、私は王宮の東棟で、資料の整理をしていた。
けれど、手は止まっていた。
(マリーナ様、アレクシス殿下に向き合ってくれたらいいけど……)
そんなことを考えていた時、窓が静かにノックされた。
「!?」
(ここは三階なのに、窓からって……)
ノックしたのは、意外な人物だった。
「パメラ!危ないわよ」
私は窓を開けてパメラを部屋の中にいれた。
「これでもルナエクリプスだよ。」
私は窓から周囲を確認するが、警備兵が騒いでいる様子はない。
「エリカ様、大丈夫?」
パメラは、私の顔を覗き込んだ。
「……元気よ」
「違います。アイゼン王太子殿下のことです」
私は、少し考えてから、答えた。
「大丈夫じゃないかもしれない。でも、アレクシス殿下がいてくれるから」
「あのリップル王国の王太子、信用できるの?」
「……できると思う。誠実な人だから」
パメラは、少し黙ってから言った。
「エリカ様がいなくなって、みんな落ち込んだけど……アイゼン王太子殿下は尋常じゃなかった」
「そうみたいね」
「半年間、ずっとエリカを探してたんです」
私は、手を止めた。
「そうなの……」
「王太子が、仕事の合間を縫って、エリカの知り合いを一人ずつ訪ね歩いて、ブリーズ王国まで行って……」
「……」
「エリカ様、やっぱり許せませんか?」
パメラが、珍しく、真剣な顔で私を見た。
(あの日、逃げたのはアイゼン王太子の言葉だけじゃない。結局、この物語に敵わないって思ったからだ)
「逃げ続けることが、正解じゃないかもしれない」
「……どういうことですか?」
私はマリーナ様を思い出していた。
何もないふりをしても変わらない。しっかり向き合った先にしか答えはない。
(人のことなら分かるのに、自分のことになるとダメね)
「……向き合わなきゃ何も変えられない」
私は自分に言い聞かせるように言った。
「向き合う準備をするなら、これ。」
パメラはリボンのついたギフトボックスと手紙を差し出した。
「お父……リアンがエリカ様に届けろって」
(リアンも王家の命令より、私の心の準備を待ってくれたのね)
胸の奥に、静かに刺さった。
(向き合う準備できているって言ったら嘘になるけど……)
◇
夕方近く、アルベール男爵領からアレクシス殿下が戻ってきた。
私は、廊下で殿下と鉢合わせた。
「殿下、マリーナ様は……」
「ああ」
殿下は、少し疲れたような顔をしていた。
けれど、どこか、昨日よりも、表情が穏やかに見えた。
「……大事なことは、伝えた」
「そうですか」
「私はエリカの気持ちを尊重する。その上で聞いて欲しい」
殿下は、少し間を置いた。
「誰も好きで『王太子』に生まれたのではない。私も彼にも気持ちがあるのだ」
「……」
「それが伝わらないのは結構辛いものだぞ」
殿下は、そう言って、廊下を歩き始めた。
「エリカ」
歩きながら、振り返らずに言った。
「『気持ちを受け止めろ』とは言わない。ただ、話くらい聞いてやれ」
「……はい」
「私も、ずっと壁になってやることはできない。しかも、あれは相当だ」
「……分かっています」
「だが、今日は、まだゆっくり休め」
それだけ言って、殿下は曲がり角の向こうへ消えていった。
私は、廊下に一人残された。
(そろそろ、自分の答えを探す時)
窓の外に、夕焼けが広がっていた。
南国の、深い橙色の空。
(でも、向き合ったら……どうなるんだろう)
答えは、まだ見つからなかった。
けれど――。
(逃げ続けることが、答えじゃない)
それだけは、ようやく、はっきりと分かった気がした。
◇
その頃、アルベール男爵領では。
マリーナは一人、庭に残っていた。
殿下が帰った後も、しばらく、ベンチに座ったまま動けなかった。
(殿下は、エリカ様を守るために動いていた)
(それが、分かった)
(なのに、どうして……)
胸の奥に、くすぶっていたものが、少しずつ、形を持ち始めていた。
(アレクシス殿下が、王太子ではなかったら――)
答えは、もう、分かっていた。
ただ、言葉にするのが、怖かった。
(私は、殿下のことが……)
南国の夕風が、庭の花を揺らした。
マリーナは、その風の中で、ようやく、自分の気持ちを、静かに、認めた。
(好きだから、怖い)
その想いが、言葉になった瞬間、胸の奥が、痛くなった。
そして、同時に――もう一つのことも、気づいてしまった。
(アレクシス殿下は……私を支えてくれると言った。でも、それでは変えられない)
マリーナは、ゆっくりと立ち上がり、屋敷の方へ歩き出した。
その顔には、はっきりとした、決意が宿っていた。
(次に会った時は……私から、ちゃんと伝えよう)
夕焼けの中を、マリーナは、一歩一歩、前へ進んでいった。
あとがき
アレクシスとマリーナ、そしてエリカも、それぞれが少しずつ前へ進み始めました。
逃げることではなく、向き合うことを選んだ先に、どんな答えが待っているのか――。
次回はいよいよ、アイゼンとエリカが再び向き合います。半年間のすれ違いにも、少しずつ変化が訪れます。
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