第83話 ブラフコール
マリーナがアルベール男爵領から王宮を訪れたのは、翌々日の午前中だった。
「エリカ様」
コーヒー協会の資料を抱えたマリーナは、いつも通りの穏やかな笑顔で現れた。
「マリーナ様、わざわざありがとうございます」
「いいえ。確認したいことが溜まっていましたから」
二人で、資料を広げながら話し合いを始める。
ビーンズレスコーヒーの候補植物の報告、品質認定の進捗、フォレスト国への輸出の準備状況――。
久しぶりのマリーナとの時間は、穏やかで、懐かしかった。
(この時間が、ずっと続けばいいのに)
そう思いかけた時だった。
侍女が、扉を叩いた。
「マリーナ・アルベール様に、お客様がいらしております」
「私にですか……?」
マリーナが、首を傾げた。
「はい。フォレスト国の視察団の代表の方が、ぜひお話ししたいと」
私とマリーナは、顔を見合わせた。
(まさか……)
嫌な予感が、胸の奥をざわめかせた。
◇
案内された応接室には、アイゼン王太子が既に席についていた。
そして――その場には、アレクシス殿下もいた。
「わざわざお越しいただき、ありがとうございます、アルベール男爵令嬢」
アイゼン王太子は、完璧な礼儀で立ち上がり、マリーナに一礼した。
「突然のお呼び立て、失礼いたしました」
「いいえ。フォレスト国の王太子殿下に直々にお声がけいただくとは、光栄です」
マリーナも、何事もなかったように、優雅に一礼した。
私は、部屋の端に座りながら、この場の空気を静かに読んでいた。
アレクシス殿下は表情を変えず、アイゼン王太子は妙に穏やかな様子だった。
(どちらも、手の内を見せていない状況みたいだ)
「本日お呼びしたのは、他でもありません」
アイゼン王太子は、にこやかに続けた。
「コーヒー事業について、ランドン商会を通じてフォレスト国でも展開を検討しています。その件で、商品化担当であるアルベール嬢と直接お話しできれば、と思いまして」
「それは、ありがとうございます」
マリーナは、落ち着いた声で答えた。
「どのようなことでも、お聞かせください」
商談は、穏やかに、しかし淀みなく進んだ。
アイゼン王太子の質問は的確で、マリーナの答えも、揺れることなく丁寧だった。
(普通の商談だ……私が考えすぎだったの?)
「ところで」
商談が一段落したところで、アイゼン王太子が、何気ない口調で言った。
「アルベール嬢。一つ、確認させていただいてもよいですか?」
「はい」
「アルベール嬢は、エリカとは、親しいご関係と伺っております」
「ええ、親しくさせていただいております」
マリーナは、微笑んだ。
「それは、素晴らしい」
アイゼン王太子は、頷いた。
そして――ごく自然に、視線をアレクシス殿下へ移した。
「では、アレクシス殿下」
「……なんでしょう」
「エリカとアルベール嬢は、友人同士とのこと」
「ああ」
「であれば、エリカがこのところ、殿下と非常に親密にお過ごしとのことも――アルベール嬢はご存知でしょうか?」
応接室に、静かな緊張が走った。
「私とエリカは、コーヒー事業の担当として行動を共にしている。それだけのことだ」
アレクシス殿下は、表情を変えずに答えた。
「――担当者と、朝食を共にされるのも、お仕事でしょうか?」
アイゼン王太子は、穏やかに微笑んだ。
「……」
「庭園で顔を近づけるのも」
「……」
「夜の会合に、必ず同席させるのも」
一つひとつ、丁寧に並べ上げていく。
その口調は、責めているのではなかった。
ただ、穏やかに、事実を並べているだけだった。
それが、かえって、恐ろしかった。
「アレクシス殿下」
アイゼン王太子は、にこやかに言った。
「エリカと、そこまで親密に行動を共にされる理由を、お聞かせ願えますか?」
沈黙が、応接室を満たした。
私は、息を止めていた。
(これが、アイゼン王太子の狙いだったのね)
商談は口実だった。
本当の狙いは――私の保護を解除させること。
アレクシス殿下と私の関係を、マリーナの前で、白日の下に晒す。
アレクシス殿下が答えれば、どんな答えを選んでも、何かが崩れる。
「仕事上の関係だ」と言えば、これまでの行動との矛盾を突かれる。
「そうではない」と言えば、マリーナへの説明が必要になる。
答えなければ、それもまた、一つの答えになる。
(アイゼン王太子は、どちらに転んでも、構わないんだ。アレクシス殿下を揺さぶることが、目的なんだ)
私が言葉を探していると、アレクシス殿下が、静かに口を開いた。
「エリカは、今、保護が必要な状況にある」
「保護?」
アイゼン王太子が、静かに繰り返した。
「ええ」
「それは、どなたからでしょう?」
「……」
アレクシス殿下は、アイゼン王太子を、まっすぐに見据えた。
「それを、あなたに説明する必要はない」
「そうですか」
アイゼン王太子は、少しも動じなかった。
「では、一点だけ確認させてください」
「……何でしょう?」
「エリカは、自らの意思で、殿下のそばにいるのですか?」
その問いに、アレクシス殿下は、即座には答えなかった。
その沈黙は、ほんの一秒にも満たないものだったが、アイゼン王太子には十分だったはずだ。
「……ああ」
やがて、殿下は答えた。
「エリカ自身が、選んでいる」
「……なるほど、そうですか」
アイゼン王太子は、静かに頷いた。
そして、その笑みを崩さないまま、マリーナへ視線を移した。
「アルベール嬢」
「……はい」
「突然、このような場にお呼びして、失礼いたしました」
「いいえ」
マリーナの声は、穏やかだった。
表情も、崩れていなかった。
私は、マリーナの手を、ちらりと見た。
テーブルの上に置かれたその手が、ごくわずかに、強ばっているのが見えた。
(マリーナ様……)
「では、私はこれで」
アイゼン王太子は、優雅に立ち上がった。
「本日は、有益なお話をいただけました。アルベール嬢、アレクシス殿下、またお時間をいただきたい」
深々と一礼して、アイゼン王太子は退席した。
◇
応接室に残されたのは、私とマリーナ、そしてアレクシス殿下の三人だった。
「マリーナ」
殿下が、静かに口を開いた。
「今の件は――」
「いいえ!」
マリーナは、目を逸らし遮った。
「説明は、結構です」
「……」
「殿下には、殿下のお考えがあるのでしょう」
マリーナは、立ち上がり、資料を整えた。
その動作は、丁寧で、いつも通りだった。
「私は、コーヒー協会の件で参りましたので、また改めさせていただきます」
「マリーナ様」
私は、思わず声をかけた。
「……今日は、ありがとうございました」
マリーナは、振り返って、微笑んだ。
「こちらこそ」
その笑顔は、完璧だった。
完璧すぎるほど、穏やかで、揺れていなかった。
だけど、その後ろ姿は半年前の私を見ているようだった。
(マリーナ様は、傷ついている)
部屋を出るマリーナの背中を見送りながら、私は、アレクシス殿下の横顔を見た。
殿下は、マリーナが出ていった扉を、じっと見つめていた。
「……殿下」
「皆まで言うな」
殿下は、静かに言った。
「マリーナに、話をしなければならないな」
「はい」
「だが、今日は……まだ、その時ではない」
殿下の声には、いつもの淡々とした響きの中に、わずかな揺れがあった。
(アイゼン王太子は、それを分かった上で、この場を作ったんだ)
窓の外に、南国の青い空が広がっていた。
ポーカーの卓を離れた後のように、応接室には、静かな疲労感だけが残っていた。
あとがき
商談を口実に仕掛けたアイゼン、保護という建前で応じるアレクシス、本心を隠し続けるマリーナ、そして二人の駆け引きを見守るエリカ。
タイトルの『ブラフコール』には、お互いの本音と嘘を探り合うという意味を込めています。
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