閑話 ~愛を追う者~
エリカがフォレスト国を去ってから半年間の、アイゼン・フォレスト視点です。
エリカが、フォレスト国を去った。
その事実を知ったのは、翌朝のことだった。
「ルフェラン侯爵令嬢が、昨夜、王都を発たれたとのことです」
側近の報告を聞きながら、アイゼンは、窓の外を見ていた。
夜明けの空が、白く染まり始めている。
「……そうか」
それだけ言った。
声は、自分でも驚くほど、静かだった。
(時が解決してくれるだろう)
そんな風に軽く考えていた。
◇
最初の一週間は、まだ、すぐに見つかると思っていた。
エリカは、フォレスト国を出たのだ。
どこかに、行き先を告げているはずだ。
誰かが、知っているはずだ。
「ルフェラン侯爵に、お嬢様の行き先をお聞きしました」
側近が、報告した。
「侯爵は、ご存知でした。しかし……緘口令が敷かれております」
「父親が、か?」
「はい」
(ルフェラン侯爵が、娘の居場所を守っている)
アイゼンは、静かに息を吐いた。
(それだけ、あの人は……エリカに、ここを離れてほしかったのだろう)
問い詰める気も責める気には、なれなかった。
◇
次に向かったのは、王立学園だった。
エリカが親しくしている者たちに行方を尋ねる。
「申し訳ございません。エリカ様のご行方については、何も伺っていません」
エリカの従姉妹は、申し訳なさそうな顔をしていた。
「本当に、何も?」
「はい。……エリカお姉様は、誰にも告げずに行かれたんです」
その言葉に、アイゼンは、わずかに目を伏せた。
「そうか……」
マーガレット嬢の答えも似たようなものだった。
「エリカ様は……今頃、元気にしているでしょうか?」
マーガレットが、少し躊躇ってから言った。
「……それを、私が聞きたい」
エリカ付きの王家の影であるパメラは、「ルナエクリプスを脱退してでもエリカ様を探しに行く」と言い出したらしい。リーダーのライアンが、必死に説得しているという報告も届いていた。
◇
王立学園の料理人も、孤児院の院長も、ゴム農園の担当者も、米作りの農家も――。
エリカが関わった、あらゆる人を、アイゼンは、仕事の合間を縫って、一人ずつ訪ねていった。
「頼む。エリカの居場所を教えてくれないか?」
「存じません」
「何でもいい、手がかりだけでも」
「……申し訳ございません」
何度繰り返しても、答えは同じだった。
本当にエリカは、誰にも告げていなかった。
自分の行き先を、誰にも。
(彼女はこうなることを予期していたのだろう。徹底している)
アイゼンは、苦い気持ちになりながらも、どこかで、それがエリカらしいとも思っていた。
(逃げると決めたなら、完璧に逃げるか……)
エリカの全力なところに惹かれていたが、今はそれが逆に苛立たしい。
◇
三ヶ月が過ぎた。
「殿下」
側近が、恐る恐る声をかけた。
「……なんだ」
「最近、お顔の色が優れないようですが」
「問題ない」
「執務以外のお時間のほとんどを、捜索に費やされているようで……」
「問題ないと言っているだろう」
アイゼンは、書類に視線を落としたまま、答えた。
(見つかるまでは、やめられない)
眠れない夜が、続いていた。
食事が、喉を通らない日もあった。
それでも、手を止めることは、考えられなかった。
(止めたら、諦めることになる。それだけは、どうしてもできない)
◇
四ヶ月が過ぎた頃、残る可能性は、一つになっていた。
セシル・バーンド。
ブリーズ王国の宰相の次男であり、次期宰相と言われる男。
現在は、ブリーズ王国の王女ネージュと結婚した。
(バーンド夫妻とエリカは、親しそうだった。もし、エリカが誰かを頼るとしたら可能性が――)
「ブリーズ王国へ向かう!」
「殿下自らですか?」
「ああ」
側近は、何も言わなかった。
ただ、深く頭を下げた。
◇
ブリーズ王国は、寒かった。
(この地に再び来ることになるとは……)
フォレスト国でも、冬は雪が降る。
けれど、ブリーズ王国の冷気は、それとは種類が違った。
骨の芯まで、凍えるような寒さだった。
セシル・バーンドは、予告なく訪れたアイゼンを、穏やかな顔で迎えた。
「アイゼン王太子殿下。遠路はるばる、ようこそ」
「……突然で、申し訳ない」
アイゼンは以前の自分の振る舞いもあり、後ろめたい気持ちがあった。
「いいえ。……我が国にも間者はおりますから。何となく、こういう日が来る気がしていました」
セシルは、暖炉の前の席を勧めた。
「エリカ嬢のことですね」
「……ああ」
アイゼンは、正直に話した。
半年間、探し続けていること。
誰も、居場所を知らないこと。
最後の手がかりとして、ここへ来たこと。
セシルは、黙って聞いていた。
「エリカ様は、ここには来ていません」
話が終わると、静かに言った。
「そうか」
「ただ……アイゼン王太子殿下に助言はできます」
セシルは、少し間を置いた。
「私にも、似たような時がありました」
「……?」
「一度、ネージュを諦めようとしたんです」
セシルは、暖炉の炎を見ながら言った。
「身分の差を考えて。周囲の反対を考えて。彼女の未来を考えて」
「……」
「諦めれば、楽になると思っていました」
「なれたか?」
「なれたら、隣国に協力を求めたりしませんでしたよ」
セシルは、穏やかに笑った。
「毎日、どこかでネージュのことを考えていました。今頃どうしているか。元気でいるか。誰かと笑っているか」
アイゼンは、黙って聞いていた。
「今の幸せは、諦めなかったから、あります」
セシルは、アイゼンを見た。
「後悔するくらいなら、探し続けてください」
「セシル・バーンド……お前は、責めないのか?」
「何を、ですか?」
「エリカが、フォレスト国を出ることになった。その理由の一端は、私にある」
セシルは、少し考えてから、首を振った。
「人の心は、誰かのせいにできるほど、単純ではありませんよ」
「……」
「エリカ嬢が何を感じていたのかは、エリカ嬢にしか分かりません」
セシルは静かに続けた。
「ただ、一つだけ言えることがあります」
「なんだ?」
「彼女に会えた時、まず、話を聞いてあげてください」
「……ああ。そのつもりだ」
「責めるのでもなく、縛るのでもなく、彼女の意思を尊重してください」
アイゼンは、その言葉を、静かに胸に刻んだ。
◇
翌日、ブリーズ王国を発とうとした時だった。
「殿下!」
フォレスト国から、急使が来ていた。
「ブラッド・スタール男爵が、婚約者と共に、リップル王国へ向かったとの報告です!」
その瞬間、アイゼンの頭の中で、何かが繋がった。
(ブラッド・スタール……)
エリカとブラッドが、医療事業を共に進めていた場面が、脳裏に浮かぶ。
エリカとブラッドが医療事業を立ち上げたこと。
疫病の流行で、二人が力を合わせて多くの命を救ったこと。
あの頃の二人には、揺るぎない信頼関係があった。
(エリカが、誰かを頼るとしたら……フォレスト国を出た後、自分の秘密を預けられる人間がいるとしたら……)
「ブラッド・スタールの足取りを調べろ」
「は?」
「ブラッド・スタール男爵の、リップル王国での滞在先を。今すぐだ!」
◇
報告が来たのは、フォレスト国に戻って三日後のことだった。
「ブラッド男爵は、リップル王国のイクシード辺境伯領に立ち寄っているとのことです」
「イクシード辺境伯……」
(エリカの、祖父方の家だ)
「辺境伯家の周辺についても調査しました」
側近が、資料を差し出した。
「イクシード辺境伯家には、現在、フォレスト国出身とみられる複数名が滞在しているとのことです」
アイゼンは、資料に目を落とした。
(ここにいたのか……)
手が、わずかに震えた。
それを、アイゼンは、握りしめることで、誰にも見せなかった。
◇
「リップル王国への視察団を編成する」
翌朝、アイゼンは、執務室で命じた。
「最近、リップル王国が始めたコーヒー事業について、両国間の交易を見据えた視察だ。正式な申し込みを、速やかに進めろ」
「……殿下自ら、代表をお務めになるのですか?」
側近が、驚いた顔をした。
「ああ」
「しかし、視察団の代表であれば、相当期間、フォレスト国を離れることになります。国内の執務は――」
「問題ない。手配しろ」
「はい」
側近は、それ以上、何も言わなかった。
◇
出発の朝。
馬車に乗り込む前に、アイゼンは、一度だけ空を見上げた。
フォレスト国の空は、高く、澄んでいた。
半年間。
毎日、どこかで考えていた。
元気でいるか。
食べているか。
笑えているか。
一度でも、自分のことを思い出しているか。
(エリカ……)
馬車の扉に手をかけながら、アイゼンは、静かに思った。
(半年間、探し続けた。今度こそ、お前に会いに行く)
馬車が、動き出した。
リップル王国へと続く道を、アイゼン王太子は、ただ一つの目的を胸に、南へ向かっていった。
あとがき
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
この半年間、アイゼンは表には見えないところで、エリカを探し続けていました。
次話からはいよいよリップル王国での再会編が始まります。二人がどのような形で再会するのか、見守っていただけたら嬉しいです。
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