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ママじゃない~攻略対象の母に転生したので、破滅エンドを潰します~  作者: めそこここ
Love begets love ~愛が愛を生む~

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第79話 忘れても、まだ守りたいもの

 

 リップル王国コーヒー協会の会議室。

 集まった生産者、商人、文官達を前に、私は一つの議題を切り出した。


「品質基準について、もう一つ、加えたいことがあります」


「……と、いいますと?」


「コーヒーは、万人向けではありません」


 その一言に、会議室がざわついた。


「ここまできて、どういうことですか? 」


「実は……」


 私は、言葉を探した。


(駄目だ……何かが引っ掛かる)


 前世の記憶は、もう随分と薄れている。

 思い出せないことが増えてきた。

 それでも、コーヒーという言葉に紐づいた、『警告音』だけは、頭の奥で響いている。


(小さい子供と……妊婦は……)


「幼い子供や、妊娠中の方には、あまり多く飲ませない方が良いと思います」


「なぜですか?」


 文官の一人が、不思議そうに尋ねた。


「それは……」


(思い出せない!理由が、思い出せない……)


「すみません、はっきりとした理由は、私にも分かりません。ただ、何か……良くないことが起きるような気がするんです」


 会議室に、戸惑った空気が流れた。

 根拠のない警告など、説得力に欠けると思われても仕方がない。


「エリカ様がそう仰るのなら……念のため、確かめてみませんか?」


 マリーナが、静かに言った。


「マリーナ様……私の知人にそういうことに詳しい医師がいます!」


(私が前世の記憶が思い出せない以上、頼れるのはあの人達しかいない!)





 数日後、フォレスト国からブラッド・スタールと婚約者のトモエが呼ばれた。


「コーヒーの副作用、ですか……」


 ブラッドは、私の方を一瞬だけ見る。


「……まだ学会には論文を出していないのですが。私の研究では、カフェインを過剰に摂取した場合には、心拍数の増加、めまい、興奮、不眠症、下痢といった健康被害をもたらすことがあるという仮説があります」


(そうよ!カフェインだ!)


「エリカ様は、このコーヒーという飲み物にカフェインという成分が入っているかもと危惧されているのでしょう」


ブラッドは慎重に言葉を選んで言った。


「国を揚げてコーヒー事業に取り組むのなら、念のため、調べてみませんか?」


 ブラッドは、リップル王国の薬師達が協力し、コーヒーについて研究することになった。


「結果が出るまでには、少し時間をいただきます」


 ブラッドは深く一礼すると、薬師達と共に資料を手に部屋を後にした。

 会議室に残ったのは、私とトモエだけだった。


「久しぶりね、エリカ」


「本当に。ゆっくり話すのは半年ぶりかも」


 トモエは柔らかく微笑んだ。

 けれど、その笑顔の奥には、どこか言いづらそうな迷いが見えた。


「……どうかした?」


 そう尋ねると、トモエは少し視線を落とした。


「エリカに、一つ聞きたいことがあるの」


「何?」


「最近……前世の記憶、薄れてきてない?」


 その言葉に、私は思わず息を呑んだ。


「……なんで、分かるの?」


「やっぱり。……そろそろかなって思ってたの」


 トモエは静かに頷く。


「どういうこと?実は、細かいことを思い出そうとしても、霧がかかったみたいで……」


 私は胸に手を当てた。


「コーヒーのことも?」


「そう」


 私は苦笑する。


「危険な気がするのに、その理由だけが思い出せなかった。だから、トモエ達を呼んだの」


 トモエは、小さく息を吐いた。


「やっぱり……」


「トモエは、そういう症状ないの?」


 私が尋ねると、トモエは首を横に振った。


「私とブラッドは、この世界を作った側の人間だからなのか、生まれた時から前世の記憶を持っている。それに、今も失っていないわ」


「でも……」


 トモエの表情が少し曇る。


「孤児院で暮らしていた頃、私は何人もの転生者と出会ったの」


「転生者……」


「皆、時間をかけて少しずつ前世を忘れていく」


 私は黙って耳を傾けた。


「前世の家族の顔や思い出、口癖……そういうものから少しずつ」


「でもね、エリカ」


 トモエは私を見つめる。


「人柄までは消えない」


「優しい人は、この世界でも優しかった」


「努力家だった人は、この世界でも努力家だった」


「だから、前世を忘れることは、その人が消えることではないのよ」


 その言葉は、不思議と胸に染み込んだ。


「でも、物語のことまで忘れたら、私達が今までやってきたことが……」


 トモエは優しく私の手を取る。


「例え忘れてもエリカの代わりに私が覚えている。分からなくなったら何度でも聞いて」


 その温もりに触れた瞬間、張り詰めていた何かが、ぷつりと切れた。


「……ありがとう」


 気づけば、頬を涙が伝っていた。


(怖かったんだ……前世の私が、少しずつ消えてしまうことが)


(でも――、一人じゃ、なかった)


トモエの言葉は、不思議と胸の奥へ染み込んでいった。

 前世の記憶が薄れていくことへの恐怖は、消えたわけではない。

 それでも、私の代わりに覚えていてくれる人がいる。

 そう思えただけで、心は少し軽くなった。





 数日後。

 ブラッド達による調査結果が、コーヒー協会へ報告された。


「夕方以降にコーヒーを飲んだ方の中には、夜眠れなくなったという報告があります」


 薬師の一人が資料を読み上げる。


「動悸を訴えた方も数名確認されています」


 別の薬師が続けた。


「子どもへ飲ませた家庭では、興奮し落ち着きがなくなる様子も見られました」


 私は静かに目を閉じた。


「やっぱり……」


 ブラッドが資料を閉じる。


「コーヒーには刺激の強い成分――カフェインが含まれているようです。健康な大人であれば問題は少ないでしょう。しかし、子どもや妊婦には負担となる可能性があります」


「やはり、そうでしたか……」


 私は被害が大きくならずに済んだことにほっとした。

 その様子に、ブラッドは穏やかに微笑んだ。


「よく気づかれましたね」


(ブラッドも、前世の記憶が薄れていく私を受け入れてくれている)


 その事実が嬉しかった。

 同時に、少しだけ寂しくもあった。


(前世の知識は、少しずつ失われていく)


(それでも、この立場を使って誰かを守れるなら――。きっと、それでいい)



「では、子どもはコーヒーを飲めないということですか?」


 協会の会議で、生産者の一人が不安そうに尋ねた。


「妊婦も、ですか?」


「それでは、お客様の幅が狭まってしまいます」


 重い空気が流れる。

 マリーナも難しい表情を浮かべた。


「持ち帰り専門店でも、ご家族のお客様は少なくありません」


 私は静かに考え込む。

 そして、一つの案が浮かんだ。


「コーヒーの香りだけを楽しめる飲み物は作れないでしょうか?」


「香りだけ?」


「はい。コーヒーの魅力は苦味だけではありません。香ばしい香りも、大きな魅力です」


「ですが、豆を使わなければ……」


 私は首を振った。


「コーヒー豆ではなく、焙煎すると似た香りになる植物を探すんです」


 その瞬間、以前の報告を思い出した。


「そういえば、模倣品を作っていた生産者達がいましたよね」


「ええ」


「彼らには、本物のコーヒーを作るのではなく、新しい香ばしい植物を探してもらうんです」


 マリーナが目を見開く。


「新しい飲み物……」


「はい」


「豆を使わない『ビーンズレスコーヒー』です」


 会議室の空気が一変した。


「それなら模倣していた農家にも仕事が生まれますね」


「穀物や木の実を焙煎して試してみる価値はありそうです」


「子どもや妊婦の方でも安心して楽しめる飲み物になります」


(これなら、誰も取り残さずに済む)


 私は静かに胸をなで下ろした。



「では、各地で香ばしく焙煎できる植物を探してもらおう」


 アレクシス殿下が会議を締めくくる。


「コーヒー豆の育たない土地にも、新しい役割を与える。これもまた、模倣を機会へ変える方法だ」


「はい」


 私は力強く頷いた。


「本物のコーヒーと、ビーンズレスコーヒー。二つの選択肢があれば、もっと多くの人に楽しんでいただけます」


 マリーナが穏やかに笑う。


「エリカ様が気づかなければ、私達は子どもや妊婦の方々を見落としていたかもしれません」


「……いえ」


 私は小さく首を振る。


「私は理由さえ思い出せなかったんです」


「それでも、確かめようとなさいました」


 マリーナは優しく言った。


「それは、エリカ様が、いつも誰かのことを考えているからです」


 ――人柄までは消えない。


 トモエの言葉が、静かによみがえった。


(前世の記憶は、いつか消えてしまうかもしれない)


(それでも……誰かを守りたいという、この想いだけは忘れたくない)


 窓の外では、南国の風がコフィアの葉を優しく揺らしていた。

 そして、コーヒーという文化はまた一つ、新しい一歩を踏み出そうとしていた。

 あとがき


 第79話をお読みいただき、ありがとうございました!

 今回は、コーヒーの魅力だけでなく、「誰にでも勧めて良いわけではない」という一面にも触れました。

 そして、エリカに訪れ始めた「前世の記憶が薄れていく」という変化。知識は少しずつ失われても、人を守りたいという想いは消えない――そんな一話になっています。


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