第78話 国家戦略としてのコーヒー
商談から数日後、私はアレクシス殿下に呼ばれ、再び王宮を訪れていた。
「呼び立てて申し訳ない、エリカ」
謁見室には、殿下の他に、数名の文官や、見覚えのある商人達が顔を揃えていた。
「コーヒーの件で、国としての方針を固めた」
アレクシス殿下は、テーブルに広げた地図を示した。
リップル王国全土に、いくつもの印がつけられている。
「これは……?」
「コフィアの木――コーヒーの実の生産が確認された土地だ」
文官の一人が説明を始めた。
「試飲会以降、各地で『コーヒーらしき作物』が報告されています。アルベール領以外にも、似た木が自生している、あるいは観賞用に栽培されている地域が、思いのほか多いことが分かりました」
「それほど……」
「問題は、コフィアの木以外も似たような赤い実が存在することです」
別の文官が、苦い顔で続けた。
「中には、別の植物の実をそのまま乾燥させただけの粗悪な商品をコーヒーだと言って売る者もいます。これでは、コーヒー全体の評判を落としかねません」
アレクシス殿下が、私を見た。
「エリカ、お前の意見を聞きたい」
私は、少し考えてから口を開いた。
「アルベール領だけで、すべての品質を管理するのは、難しいと思います」
「やはり、そう思うか……」
「ですが、放置すれば、粗悪なコーヒーではないが市場に溢れ、リップル王国のコーヒー自体の評判が落ちてしまいます」
「では、どうすればいい?」
私は、ガブリエルとの商談を思い出していた。
「『コーちゃん珈琲』のように、基準を作るのはどうでしょうか?」
「基準とは?」
「品質を満たした生産者だけが、『リップル王国産コーヒー』として、正式に名乗れるようにするんです」
文官達が、互いに顔を見合わせた。
「国が、基準を定めるということか……」
「はい。豆の品質、乾燥の方法、焙煎の度合い……いくつかの条件を満たした生産者を、国が認定する」
「認定された生産者には、何か証となるものを?」
「印章のようなものを発行してはどうでしょう。アルベール家の紋章のように、品質を保証する目印を」
(商品が作られた国や場所を表した表現……その単語はもう出てこないけど、この仕組みが必要だ)
アレクシス殿下が、興味深そうに頷いた。
「国の保証付きの品ということだな」
「はい。そうすれば、模倣品が出回っても、本物との違いが明確になります」
「面白い」
殿下は、文官達を見渡した。
「『リップル王国コーヒー協会』のようなものを作ろう!」
「協会……ですか?」
「品質基準を定め、認定を行う組織だ。アルベール男爵家には、その筆頭として、基準作りに協力してもらう」
「マリーナ様に……いいですね!」
「ああ。すでに、商品化担当として動いてもらっている。今度は、国全体の品質管理にも関わってもらいたい」
私は、思わず微笑んだ。
(マリーナ様はコーヒーを大切に思っている。これ以上の適任はいないわ)
◇
それからしばらく、私はお祖父様と王宮の会議に同席することが増えた。
アレクシス殿下が、国家戦略として動き始めたコーヒー事業――その輪郭が、少しずつ固まっていくのを、私は間近で見ることになった。
「次は、輸出の話だ」
ある日の会議で、アレクシス殿下が切り出した。
「ガブリエル・ランドンの提案では、フォレスト国でも『コーちゃん珈琲』を展開するという話だったな?」
「はい」
「だが、それだけでは、リップル王国の利益にならない」
殿下は、地図を広げ、フォレスト国だけでなく、その先の国々まで指で示した。
「コーヒーという商品を、リップル王国の主要な輸出品にしたい」
「主要な……輸出品、ですか?」
「観光だけに頼った我が国は、予想が出来ない状況になった時が終わる……今こそ、リップル王国の問題に向き合う時だ!」
私は、初めてアレクシス殿下と会った日のことを思い出した。
(食料自給率の話から、ここまで来るとは思わなかった)
「コーヒーを軸にした産業を作れば、農業も、加工業も、流通も、すべてが育つ」
アレクシス殿下は、力強く言った。
「それが、この国の新しい支柱になる」
文官達が、それぞれの担当分野について、意見を出し合っていく。
「フォレスト国だけでなく、ブリーズ王国への輸出も検討すべきです」
「ブリーズ王国は、寒冷地です。コーヒーの嗜好も、こちらとは違うかもしれません」
「では、寒冷地向けの飲み方も、考える必要がありますね」
その様子を見ながら、私は静かに感心していた。
(殿下は、本当にこの国の未来を、真剣に考えているのね)
最初に会った時の、生真面目な印象は変わらない。
けれど、今は、その視線の先に、確かな展望があるように見えた。
◇
「他領地の模倣品問題は、どうしますか?」
ある文官が、改めて尋ねた。
「すでに、何件か、無許可でコーヒーを名乗る商品が出回っています。アルベール領への抗議も、増えていると聞きます」
「それについては……」
アレクシス殿下が、少し考えてから答えた。
「強引に取り締まるのは、得策ではない」
「アレクシス殿下?」
「模倣する者が増えるのは、それだけコーヒーが価値あるものだと認められている証だ」
殿下は、私の方をちらりと見た。
(あ、これは、私の言葉だわ)
「だが、無秩序に広がれば、品質が崩れる。だからこそ、先程決めた認定制度を、急いで整える必要がある」
「認定された生産者には、優先的に輸出の機会を与える、ということでしょうか?」
「その通り。模倣品を取り締まるのではなく、本物の価値を、誰にも分かるようにする!」
殿下は、改めて全員を見渡した。
「これは、エリカが教えてくれたことだ。模倣は、脅威ではなく、機会にできる」
その言葉に、私は少し驚いた。
(覚えていてくれたのね)
殿下は、表情を引き締めた。
「機会にするためには、こちらが、それ以上の速さで動かなければならない。認定制度、輸出戦略、品質基準――すべてを、同時に進める。それが我々の課題だ」
文官達が、一斉に頷いた。
アレクシス殿下の指示は、的確で、迷いがなかった。
その姿は、もう、私が最初に出会った時の――ただ国の未来を憂う王太子ではなかった。
(殿下は、本当に、国家戦略担当として、表に立つようになったんだ)
リップル王国の新しい産業は、この日、確かに動き始めていた。
あとがき
第78話をお読みいただき、ありがとうございました!
今回は、コーヒーを一つの商品ではなく、「国の産業」として育てていくための土台作りを書きました。
コーヒーはまだ飲み続けています。
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