第77話 『コーちゃん珈琲』というブランドと恋心
関所開通アニバーサリー式典が終わった翌日。
アルベール男爵家の応接室では、一つの商談が始まろうとしていた。
「本日は、お時間をいただきありがとうございます。」
涼しげな笑みを浮かべたガブリエルが、優雅に一礼する。
向かいには、私とマリーナ。
そして、アルベール男爵も同席していた。
「こちらこそ。」
マリーナは笑顔で応じる。
(なんでしょう……この信用できない笑顔。)
隣に座るマリーナ様の本音が、表情から伝わってくるようだった。
無理もない。
ガブリエルは初対面の相手ほど、営業用の笑顔が眩しい。
私は思わず苦笑した。
「マリーナ様、大丈夫です。」
「え?」
「確かに、ガブリエルは胡散臭いです。」
「……。」
部屋が静まり返る。
ガブリエルだけは、いつもの笑みを崩さない。
「ですが……商才だけは、一流です!」
「褒めていただいてるんですよね?」
ガブリエルの笑顔は変わらない。
「前半は余計ですが、ありがとうございます。」
その一言で、応接室の空気が少し和らぐ。
マリーナ様も小さく笑った。
「それでは、本題に入りましょう。」
ガブリエルはテーブルへ一枚の地図を広げた。
そこにはリップル王国とフォレスト国、主要都市や街道が細かく書き込まれている。
「私は、コーヒーそのものを売りたいわけではありません。」
「……?」
マリーナ様が首を傾げる。
「私が売りたいのは――」
ガブリエルは静かに言った。
「『コーちゃん珈琲』というブランドです!」
私は思わず目を見開いた。
「ブランド……。」
「はい。」
ガブリエルは頷く。
「例えば、旅人がフォレスト国で『コーちゃん珈琲』に入る。」
地図の上を指でなぞる。
「そして数日後、リップル王国へ来ても、また同じ看板を見つける。」
さらに指を滑らせる。
「同じ店名。」
「同じカップの模様。」
「同じメニュー。」
「同じ味。」
「同じ接客。」
「どこの店へ入っても安心して利用できる。」
ガブリエルは微笑んだ。
「それがブランドです!」
マリーナ様は真剣な表情で話を聞いていた。
「つまり……。」
「コーヒーを売るのではありません。」
ガブリエルは言葉を続ける。
「品質という安心を売るのです。」
その一言で、部屋の空気が変わった。
「お客様は、一度気に入った店を忘れません。」
「『あの模様のお店。』そう覚えてくだされば、自然とまた足を運びます。」
私は思わず感心した。
(すごい……。さすがガブリエルだわ。)
ここまで先を考えていたなんて。
「ですが……。」
マリーナ様が静かに尋ねる。
「他のお店が勝手に『コーちゃん珈琲』を名乗ったらどうするのですか?」
「だからこそ。」
ガブリエルは微笑む。
「ブランドを守る方が必要なのです。」
その視線が、まっすぐマリーナ様へ向けられた。
「アルベール男爵家には、焙煎方法があります。」
「豆の品質があります。」
「味があります。」
「その基準を満たした店だけが、『コーちゃん珈琲』を名乗る。」
「その管理をお願いしたいのです。」
マリーナ様は少し驚いた表情を浮かべた。
「……私が、ですか?」
「はい。」
ガブリエルは力強く頷く。
「商品化担当として。」
「新しいメニューの開発。」
「品質管理。」
「焙煎方法。」
「店舗指導。」
「すべてアルベール男爵家が中心となる。」
「そうすれば、どれだけ店が増えても、『本物』はアルベール家だと誰もが知るでしょう。」
マリーナ様はしばらく黙っていた。
やがて、小さく息を吐く。
「……コーヒーを売るのではなく、信用を売るのですね。」
その瞳に決意が宿る。
「その通りです。」
ガブリエルが満足そうに頷いた。
「私は商人です。店は増やせますし、販路も広げられます。」
「ですが……。」
ガブリエルは笑った。
「アルベール家という信用だけは、作れません。」
その言葉を受けて、私はマリーナ様を見た。
マリーナ様も私を見返す。
そして、静かに頷いた。
「分かりました。アルベール男爵家が、『コーちゃん珈琲』の品質を守ります。」
ガブリエルは満足そうに立ち上がる。
「商談成立ですね。」
ガブリエルが握手を求めた、その時だった。
「ちょっと、待った!」
応接室の扉が勢いよく開いた。
(なに?!この既視感……。)
「マリーナは私の婚約者だ!」
「で、殿下?!」
マリーナだけではなく、そこにいた全員が驚いていた。
ガブリエル、一人除いて……。
「これはこれは、リップル王国王太子アレクシス殿下ではございませんか。私、隣国フォレスト国で商いをやらせていただいております、ガブリエル・ランドンと申します。」
その笑顔は相変わらず胡散臭かった。
「……フォレスト国のランドン商会か。」
アレクシス王太子殿下はガブリエルを一瞥し、そのままマリーナの隣まで歩いてくる。
「マリーナ。」
「は、はい。」
「商談を止めるつもりはない。」
そう言うと、私達全員を見渡した。
「だが、婚約者が隣国の男と商談していると聞けば、気になって当然だろう。」
その言葉に、私は思わず目を瞬いた。
(……あれ。)
このやり取り、どこかで見たことがある。
ふと、脳裏に浮かんだのはフォレスト国での出来事だった。
『セシル・バーンドには桜餅禁止だ!』
恋愛になると急に子どもっぽくなってしまう、あの人……。
普段は誰よりも冷静で理性的なのに、好きな人のことになると、とんでもない方向へ突っ走ってしまう。
(……王太子って、みんなこうなるのかしら。)
思わず笑いそうになった。
だけど、その笑みは最後まで浮かばなかった。
あの時は、くだらない言い合いをして、一緒に笑っていられた。
(もう、それは叶わない……。)
そう思っただけで、胸の奥が小さく痛んだ。
あの人も、こんなふうに必死だったのだろうか。
「エリカ様?」
マリーナに声を掛けられ、私は慌てて顔を上げる。
「……ごめんなさい。少し昔のことを思い出していました。」
「殿下。」
ガブリエルが穏やかに口を開いた。
「ご安心ください。私が口説きたいのは、マリーナ様ではございません。」
「……何?」
「アルベール男爵家のブランドです。『コーちゃん珈琲』を、フォレスト国でも成功させたい。それが私の目的です!」
そう言って笑うガブリエルに、アレクシス王太子殿下は数秒じっと視線を向け――。
「……ならば、話を聞こう。」
ようやく椅子へ腰を下ろした。
私は小さく胸をなで下ろした。
(危なかった……。また恋愛で話が終わるところだった。)
けれど、この日動き始めたのは、一つの商談だけではない。
『コーちゃん珈琲』というブランドも、アレクシス殿下の想いも――大きく動き始めていた。
その先に、もう一つの再会が待っていることを、この時の私はまだ知らなかった。
あとがき
第77話をお読みいただき、ありがとうございました!
今回は、コーヒーを「商品」ではなく「ブランド」として育てていく第一歩を書きました。 味だけではなく、看板や品質、サービスまで含めて「安心」を届ける――そんな考え方は、ガブリエルらしい発想です。
最近は、作品の表現の材料も兼ねてコーヒーを飲みまくっています。焙煎や香り、味の違いを楽しみながら書いていますが、まだまだコーヒー漬けの日々が続きそうです。
面白かった、続きが気になると思っていただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると励みになります。




