第73話 コーヒー試飲会 ~未来へ続く一杯~
試飲会の日――。
アルベール男爵家の庭園には、招かれた貴族達が次々と集まっていた。
南国の花々が飾られたテーブルに、見慣れぬ黒い飲み物への興味と戸惑いが入り混じった視線が向けられている。
「これが、噂のコーヒーですか?」
「赤い実から作るとか……正直、半信半疑だわ」
そんな声を聞きながら、私はマリーナと共に、最後の準備を進めていた。
「マリーナ様、緊張していますか?」
「……少し。こんなに大勢の貴族の前に立つのはデビュタント以来ですから」
「大丈夫です。今日は、コーヒーが主役です」
私はそう言って、用意した数種類の飲み方を見渡した。
(ただ苦いだけの飲み物を出したら、きっと印象に残らない)
せっかくの機会だ。
コーヒーには、もっとたくさんの可能性がある。
そのことを、皆に知ってもらいたかった。
◇
「皆様、本日はお集まりいただきありがとうございます」
マリーナが前に出て、貴族達に一礼する。
殿下も、最前列で静かにその様子を見守っていた。
「本日は、アルベール領で見つかった新しい特産品――『コーヒー』をご紹介いたします」
テーブルには、いくつもの種類の器が並べられていた。
「まず、こちらは『ブラックコーヒー』です。コーヒーそのものの香りと苦味を、そのままお楽しみいただけます」
最初の一杯に、貴族達は恐る恐る口をつけた。
「……苦いな」
「でも、香りは悪くないわ」
反応は様々だったが、顔をしかめる者ばかりではなかった。
「次に、こちらは『フレーバーコーヒー』です」
私はテーブルに並べた小瓶を示した。
「リリコイやバニラに似た香りの花、蜂蜜など、それぞれ違う香りを加えています」
貴族達は興味深そうに、いくつかの香りを試していく。
「あら、これはリリコイの香りが爽やかね」
「こちらは、花の香りが落ち着くわ。同じコーヒーとは思えないほど印象が違うのね」
「同じ実でも、こんなに表情が変わるとは思いませんでしたわ」
そして、次の一杯を示した。
「こちらは『カフェモカ』です。ミルクと、カノン菓子作りに使うカカオを少し加えています」
茶色く優しい色合いの飲み物に、女性貴族達から小さな歓声が上がった。
「まあ、お菓子のような香りがするわ!」
「これなら、苦いものが苦手な方にも喜ばれそうですね」
「こちらは『キャラメルコーヒー』。蜂蜜を煮詰めて作った、香ばしいキャラメルを加えています」
甘く濃厚な香りが立ち上る一杯に、子供を連れた夫人達が目を輝かせた。
「これは、贅沢な味ね。デザートのようだわ」
「これは幅広い層に喜ばれそうですわね」
私は次に、少し違う趣向の一杯を運ばせた。
「こちらは『ウインナーコーヒー』です。ホイップしたミルクを、たっぷりと浮かせています」
ふわりと盛られた白いクリームに、貴族達の目が丸くなる。
「まあ、見た目も可愛らしいわ!」
「クリームと一緒に飲むと、口当たりがまろやかになりますわね」
「あら、立派なお髭が……」
会場は和やかな雰囲気になる。
そして、私は最後の一品を示した。
「最後はこちら、『アフォガード』です。冷たい氷菓に、温かいコーヒーをかけて――」
ミルクで作った冷たい氷菓に、湯気の立つコーヒーをかけると、貴族達の間にどよめきが広がった。
「温かいものと冷たいものを、一緒にいただくのですか?」
「珍しい食べ方ですね……」
恐る恐る口にした貴族達の表情が、次第に緩んでいく。
「これは……不思議だわ。冷たさと温かさが、口の中で混ざり合うのね」
「コーヒーの苦味が、氷菓の甘さを引き立てています」
「この氷菓の溶けた部分とコーヒーが混ざりあったところは絶品ですわ!」
「最後の一杯にぴったりですね」
その反応を見て、私は密かに安堵した。
(コーヒーは、一杯だけの飲み物じゃない。色々な楽しみ方ができるんだって、伝わったみたい)
◇
会場の空気が和らいだ頃、アレクシス殿下が前に進み出た。
「皆、楽しんでいるようで何より」
殿下の言葉に、貴族達の視線が一斉に集まる。
「このコーヒーという飲み物は、アルベール男爵領で発見されたものだ」
殿下はマリーナへ視線を向けた。
「これまで家畜の餌としてしか扱われていなかった実に、新たな価値を見出した。これは、間違いなくアルベール男爵家の功績だ」
貴族達の間に、感心したような声が広がる。
「コーヒーは我が国の新しい風になる」
「アルベール男爵家が、これほどの発見を……」
「これは、リップル王国の名産品になりそうですね」
マリーナは少し驚いた表情を見せたが、やがて深く一礼した。
「皆様にお楽しみいただけたなら、何よりです」
その姿は、堂々として見えた。
身分ではなく、自らの功績で評価される場に立つマリーナを見て、私は胸が熱くなった。
(これで、少しでもマリーナ様の力になれたなら、いいな)
殿下もまた、誇らしげにマリーナを見つめていた。
その視線には、これまでとは違う、確かな信頼の色が浮かんでいるように見えた。
◇
試飲会が終わる頃には、何人もの貴族が「うちでも扱いたい」「商談をしたい」と声をかけてきていた。
(こういう時にガブリエルがいてくれたら助かるのに……)
会えない友達を懐かしく思い出してしまう。
「エリカ様、おかげさまで、大変な評判になりましたわ」
マリーナが疲れた様子ながらも、晴れやかな表情で私に礼を言う。
「マリーナ様の堂々とした振る舞いがあったからこそです」
「それも、エリカ様が私に背中を押してくださったからです」
二人で笑い合っていると、アレクシス王太子殿下が静かに歩み寄ってきた。
「エリカ、今日は世話になった」
「いえ、コーヒーの可能性を知っていただけて、私も嬉しいです」
アレクシス王太子殿下はマリーナへ視線を移し、少し改まった様子で口を開いた。
「マリーナ。今日のことで、私は確信した」
「殿下……?」
「君は、男爵家の娘という肩書きで語られる女性ではない。リップル王国に新しい価値をもたらせる人間だ。それを、皆も見た」
アレクシス王太子殿下の言葉に、マリーナの瞳が揺れる。
「身分の差は、確かに簡単に消えるものではないかもしれない。だが、君の功績は、誰にも否定できないものになった」
アレクシス王太子殿下はまっすぐにマリーナを見つめた。
「側妃のことも心配はいらない。私には妹も、……伯父上を『じじい』と呼ぶ弟までいるからな。後継ぎのことで君が悩む必要はない」
アレクシス王太子殿下は、マリーナの手を取る。
「これからも、隣にいてほしい」
マリーナは、しばらく言葉を失っていたが、やがて目を細めて微笑んだ。
「……承知いたしました、殿下」
その光景を少し離れたところから見ていた私は、静かに微笑んだ。
(良かった……)
コーヒーという、小さな思いつきから始まった出来事が、誰かの背中を押すきっかけになった。
その笑顔を見ているだけで、私まで少し救われた気がした。
あとがき
第73話をお読みいただき、ありがとうございました!
ついにコーヒー試飲会当日となりました。
コーヒーそのものだけでなく、「誰が広めるのか」「誰の功績になるのか」まで含めて描きたかったエピソードです。
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