第71話 アルベール男爵家の赤い実
「アレクシス殿下が、マリーナ嬢以外は認めないと公言しておる。」
お祖父様の言葉にマリーナ嬢は困ったように微笑んでいた。
「光栄なお話ですが……私はまだ正式な婚約者ではありません。殿下の我儘に、周りが振り回されているだけですわ。」
「我儘……ですか?」
「殿下は、政略よりも自分の意志を通す方ですから。」
そう言いながらも、マリーナの口元はわずかに緩んでいた。
(嫌がっているようには見えない。)
なんとなく、これ以上は触れられたくないという空気を感じ取って、私は密かに微笑んだ。
「立ち話もなんですから、どうぞ屋敷の中へ。」
マリーナに案内され、応接室へ通される。
お茶の用意がされる間、私は本題を切り出すタイミングを伺っていた。
「アルベール様、今日伺ったのは――」
私の言葉を遮るように、お祖父様が口を開く。
「アルベール領で栽培されている、赤い実についてだ。」
「赤い実……ですか?」
マリーナは少し首を傾げたあと、思い出したように頷いた。
「ああ、観葉植物として植えているものでしょうか?お父が好きで育てているだけの、特に用途のない木なのですが……。」
「その実を、見せていただくことはできますか?」
私が前のめりに尋ねると、マリーナは少し驚いた顔をしたが、すぐに頷いた。
「もちろんです。裏の畑にご案内しますわ。」
屋敷の裏手に回ると、低い木々が並んでいた。
山で見たものと同じ、深緑の葉に、赤く熟した実をつけている。
「これです……!」
私は思わず駆け寄った。
「こんな実が、何かのお役に立つのでしょうか?」
マリーナが不思議そうに尋ねる。
「実は、これが飲み物になるんです!コーヒーという、とても香りの良い飲み物に。」
「飲み物……?」
「種を取って、乾かして、炙って、挽いて、お湯で抽出するんです。」
説明しながら、自分でも興奮で声が高くなっていくのが分かった。
マリーナは半信半疑な様子だったが、興味を隠せない表情をしていた。
「もしよろしければ、少し実を分けていただいて、試してみてもよろしいですか?」
「もちろんです。お父も、用途が見つかるなら喜ぶと思いますわ。」
実を摘み取りながら、マリーナはちらりと私を見た。
「エリカ様は、本当に色々な文化に詳しいですね。フォレスト国の改革者だと伺っていましたが……これも、その一環ですの?」
「そう……かもしれません。」
うまく説明できず、曖昧に頷くしかなかった。
屋敷の厨房を借り、お祖父様とマリーナの見守る中、私は山で覚えた手順を試してみる。
種を取り出し、天日で乾かす。
「乾燥させるんですか?」
「はい!それが風味に繋がるんです。」
「それでしたら、家畜用の乾燥させた実がございます。」
(家畜用?ブリーズ王国でも小豆が家畜用の餌だったし……どうなってるの、この世界。)
案内された倉庫に行くと山積みされた麻袋がいっぱいだった。
「これ全部、コーヒー……赤い実乾燥させたものなんですか?」
「家畜用ですが、与えすぎると興奮状態になってしまうので流通もそこまでではないんです。」
麻袋からマリーナがコーヒー豆を取り出した。それを鉄鍋で炙ると、香ばしい匂いが立ち始めた。
「これは……良い香りですね。」
マリーナが鍋を覗き込みながら呟く。
「香りにもリラックス効果があるんですよ。」
炙った豆を石臼で挽き、布で濾しながらお湯を注ぐ。
立ち上る香りに、思わず目を細めた。
出来上がった黒い液体を、まずお祖父様に渡す。
「じいじ、どうぞ。」
お祖父様は一口飲んで、少し顔をしかめた。
「……苦いな。」
「蜂蜜を入れると、もう少し飲みやすくなります。」
蜂蜜を垂らしたものを渡すと、お祖父様は今度はゆっくりと味わうように飲んだ。
「……なるほど。これは、悪くない。」
「ミルクを入れても美味しいですよ。」
ミルク入りのコーヒーをマリーナも恐る恐る一口飲み、目を見開いた。
「苦いですけど……なんだか、癖になりそうな味ですね。」
その反応に、私は思わず笑顔になった。
「カノン菓子、リリコイパンケーキ……合うと思いませんか?……アルベール様、この実を、リップル王国の新しい特産品にしたいと考えています。」
「特産品……うちの畑が、ですか?」
「はい。お力を貸していただけませんか。」
マリーナは少し考え込んでから、ゆっくりと頷いた。
「父に相談してみますわ!あと……」
彼女は少し笑った。
「よろしかったら、私のこともマリーナとお呼びください。」
「はい!マリーナ様。」
その言葉に、お祖父様が満足げに頷いていた。
「エリカもこの国で友達も出来たようだし……これは、アレクシス殿下にも早めに報告した方が良さそうだな。」
馬車で帰る道中、私の頭の中はもう、これからの展望でいっぱいだった。
(コーヒーが、リップル王国の新しい産業になる。)
そして――マリーナという、新しい友達も。
◇
王宮への報告は、思いのほか早く叶った。
「待っていたぞ、エリカ。」
謁見室に通されると、アレクシス殿下は資料を脇に置いて、すぐにこちらへ向き直った。
「お祖父様……イクシード辺境伯から話は伝わっていますか?」
「ああ、聞いている。赤い実――コーヒーだったか?」
アレクシス殿下は興味深そうに頷いたが、その視線はすぐに別の方向へ移った。
「それより、アルベール領に行ったと聞いたが。」
「はい、コーヒーの栽培について――」
「マリーナの様子はどうだった?」
話の腰を折られて、私は思わず瞬きをした。
「マリーナ様……ですか?」
「元気にしていたか?私について何か言ってなかったか?」
アレクシス殿下の声には、明らかに普段とは違う響きがあった。
(まさか、リップル王国の新しい名産品のことより気になるの……?)
お祖父様が小さく咳払いをする。
「殿下、報告は実のことです。」
「分かっている、分かっている。」
アレクシス殿下は気を取り直すような振る舞いをしたが、すぐに同じ質問を繰り返した。
「それで、マリーナはどうだった?」
私とお祖父様は、思わず顔を見合わせた。
(これは話にならないわ……。)
◇
謁見の後、私はその足でアルベール男爵領への再訪を決めた。
今度はマリーナと、二人だけで話す時間を作りたかった。
いきなりの訪問にも関わらず、マリーナは快く迎えてくれた。
庭園に案内されたお茶の席で、私は思い切って切り出した。
「マリーナ様、アレクシス殿下のこと、どう思っていらっしゃいますか?」
カップを持つマリーナの手が、わずかに止まった。
「……どうして、そんなことを?」
「アレクシス殿下が、コーヒーの話より、マリーナ様のことばかり聞いてきたので……。」
マリーナは小さく息を吐き、視線を庭の花へ移した。
「殿下のお気持ちは、ありがたいと思っています。けれど……。」
言葉を選ぶように、少し間が空いた。
「私は、男爵家の娘です。リップル王国の王族には、一夫多妻の制度がありますでしょう?」
「はい……。」
アレクシス王太子殿下は、お祖父様の妹である王妃様の実子。姉弟であるアデライト王女とセザールは側妃の子供だ。
「正妃ではなく、側妃という立場であれば、男爵家の娘でも釣り合うのかもしれません。けれど……。」
マリーナの瞳が、わずかに揺れた。
「殿下は、私だけを正妃にと望んでくださっています。それが、嬉しい反面……怖いんです。」
「怖い、ですか?」
「身分が低い私が正妃になれば、必ず反発が出ます。殿下のお立場を悪くするかもしれません。それに……他に側妃を望む声があった時、私はどうすればいいのか……。」
マリーナは小さく笑ったが、その笑顔はどこか寂しげだった。
「殿下に迷惑をかけるくらいなら、最初から、お側にいない方がいいのかもしれません。」
その言葉に、私は胸が締め付けられる思いがした。
(フォレスト国にいた時の私と、少し似ている。)
王太子妃教育を受けていた頃、自分の立場や役割に押しつぶされそうになっていた、あの感覚。
「マリーナ様……。」
何か言葉をかけたかったが、簡単な言葉では足りない気がした。
(殿下の気持ちは本物だと思う。でも、マリーナ様の不安も、簡単には消えない。)
しばらく考えた後、私はふと、一つの案を思いついた。
「マリーナ様、コーヒーの試飲会を、このアルベール男爵家で開きませんか?」
「試飲会……ですか?」
「はい。リップル王国の貴族の皆様に、コーヒーをお披露目するんです。」
マリーナは少し驚いた顔をした。
「でも、それと私の話は……。」
「マリーナ様が、コーヒーという新しい産業を見つけた領主として、皆様の前に立つ機会になります。」
私は身を乗り出した。
「身分ではなく、功績で見てもらえる場を作るんです!アルベール男爵家が、リップル王国に新しい特産品をもたらした家だと、皆様に知っていただければ……。」
マリーナは暫く黙っていたが、やがてゆっくりと頷いた。
「……それは、確かにそうですけど。」
「殿下にも、コーヒーの件で改めてご報告が必要ですし、ちょうど良い機会だと思います。」
「エリカ様はよろしいのですか?せっかくの功績を、出会ったばかりの私に譲って……。」
マリーナは、少し涙ぐんだような目で私を見た。
「私は、コーヒーを多くの人に知ってもらいたいですから。他国の私よりもマリーナ様の方が適任です!」
「……ありがとうございます。」
マリーナは微笑んだ。
「あと、マリーナ様には、もっと自信を持っていただきたいんです。」
マリーナは少し俯き、小さく息を吐いた。
「ふふふ……エリカ様には、敵いませんね。」
コーヒーという新しい一歩。
そして、マリーナ様という新しい友達。
私のリップル王国での日々は、この日から少しずつ色づき始めた。
あとがき
本日から毎週金曜日20:00更新で、『人の恋は蜜の味 after~ゲイバーママは推し騎士に愛されたい~』の連載が始まります。
『ママじゃない』が前史を描く物語なら、『恋蜜after』はタイトルの通り後史を描く物語です。 同じ世界のその後を、ぜひお楽しみください。
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