第69話 エリカ・ルフェランからの手紙
拝啓 親愛なる皆様へ。
フォレスト国を離れてから半年間が経ちました。
人は追い詰められた時に北に逃げると言いますが、私は南へ母の故郷であるリップル王国へ逃げました。
祖父のイクシード辺境伯は相変わらず元気です。イクシード辺境伯家の養子となったセザールも一緒に来ています。
ターニャとエディは、可愛い息子を連れて一緒に帰省しました。
ラウルモンド。
私の新しい義弟です。
最初は少し不思議な気持ちでしたが、今では本当の家族のように思えます。
私のお母様も一緒に帰国を望みましたが、お父様が離したくないと言わんばかりの表情をするので、ルフェラン領に残りました。
久しぶりに新婚時代の暮らしに戻ったからなのか、お母様は現在妊娠中です。
出産に関してはブラッドも協力してくれているので、お母様の出産は以前よりずっと安心できそうです。
祖父のイクシード辺境伯は、お母様に里帰り出産を勧めています。
こんな賑やかな状態では、お母様も落ち着けないのに……。
今、イクシード辺境伯家には私達の他にも訪問者がいます。
セザールの姉、アデルことアデライト王女です。
私達が来ていることを知って、早馬で翌日にはイクシード辺境伯家に来ました。
私を姉と慕う姿は、男の子達にはない愛らしさがあります。
セザールも久しぶりの再会に嬉しそうです。
「スリー“る”再結成!」
ラウルモンドも合わせた三人で、勉強やマナーを学んだり、遊んでいます。
私もリップル王国にある学校へ編入しました。その学校は通信制もあるので、イクシード辺境伯家で学習しています。
王立学園のように友達と話せないのは、少し寂しいですが……フォレスト国から逃げ出した私には、今の環境が合ってるかもしれません。
リップル王国でも友人が出来ました。
リップル王国の男爵令嬢マリーナ・アルベールです。
彼女との出会いは半年前に遡ります。
◇
半年前――。
リップル王国に到着して三日目。
私はまだ部屋から出られずにいた。
祖父のイクシード辺境伯に応接室に呼ばれた。
「紹介しよう。リップル王国王太子アレクシス殿下だ。」
そこには、セザールとお祖父様の面影を併せ持つ、褐色肌の凛々しい男性がいた。
私は慌ててカーテシーで挨拶をする。
胸に痛みが走る。
どうしても王太子妃教育の時を思い出してしまう。
「突然の訪問だ、楽にしてくれ。従姪殿。」
(そうだ、お祖父様の妹がリップル王国王妃だ。本当に王族と親戚なんだ。)
「エリカ・ルフェランと申します。」
「よろしくな、エリカ。君の噂はリップル王国にも伝わっているよ。」
噂……。
その言葉に少しだけ肩が強張った。
良い噂ばかりではないことを知っているからだ。
「米の栽培。ゴム製品の普及。孤児院の支援。王立学園の改革……。」
アレクシス殿下は指を折りながら数えていく。
「どれも我が国では話題になった。」
「私は何も……。」
「謙遜は不要だ。結果は結果だからな。」
そう言うと、アレクシス殿下は真面目な表情になった。
「だからこそ、今日は君に会いに来た。」
私を見る青い瞳が真っ直ぐ向けられる。
「リップル王国は今、一つの問題を抱えている。」
お祖父様が隣に座るよう促す。
「殿下はお前の意見を聞きたいそうだ。」
お祖父様が腕を組みながら言った。
「私……ですか?」
「ああ。君はフォレスト国で多くの改革に関わった。」
アレクシス殿下は、まっすぐこちらを見る。
「その視点から見て、我が国が抱える問題をどう思うか聞かせて欲しい。」
そう言うとアレクシス殿下の側近が資料を取り出した。
「リップル王国は観光で栄えている。」
窓の外に広がる青い海へ視線を向ける。
「だが、その豊かさに胡坐をかいた結果、食料の多くを輸入に頼る国になってしまった。」
「食料自給率……。」
「その通りだよ。さすがだね。」
アレクシス殿下は静かに頷いた。
「今は問題ない。しかし、もし交易が止まれば……国民が飢える。」
返す言葉が見つからなかった。
フォレスト国でも似た話は聞いたことがある。
食料はあるのが当たり前ではない。
そんな私を見て、お祖父様は優しい目を向けた。
「何かやってる方がくだらんこと考えず済むだろう。」
大きな手で私の頭を撫でる。
「……そうですね。できる限りのことやってみます。」
◇
アレクシス殿下との面談を終えた数日後――。
お祖父様に連れられて、私は領内の視察に出ることになった。
「百聞は一見に如かず、だ。」
馬車の窓から見える景色は、フォレスト国とはまるで違っていた。
椰子の木が並ぶ道、市場に積まれた色鮮やかな果物。
「あれは……?」
「マンゴーだ。リップル王国の名産でな。」
お祖父様が指差した先には、大きな木があった。
濃い緑の葉の間から、赤や黄色に色づいた果実がいくつも顔を覗かせている。
まるで木に提灯でも吊るしたような光景だった。
「マンゴーってあんな風になるんですね。」
(初めて見た果実なのに、なぜ、こんな印象を持つのだろう……)
「他にも、パイナップルやパパイヤなどフルーツが特産だ。料理にも飲み物にも使われている。」
市場に着くと、お祖父様は懐かしそうに目を細めた。
「ここの市場は変わらんな。」
「お祖父様、よくいらしていたのですか?」
「妹……王妃殿下が市場が好きでな、何度か来たことがある。」
露店の一つから、香ばしい匂いが漂ってくる。
「これは……?」
「米粉を使った揚げ菓子だ。ココナッツミルクを練り込んでいる。」
店主の女性が、焼き色のついた小さな菓子を差し出してくれた。
「イクシード様のお連れ様、味見していきますか?」
「あ、ありがとうございます。」
一口食べると、ほのかな甘さとココナッツの香りが口の中に広がった。
「美味しい……。」
「だろう?『カノン菓子』っていうんだ。漁師が船に持っていく、腹持ちのいい菓子でね。」
そう言われて、私はふと考えた。
(カノムじゃなかった?トモエの影響だわ。)
「お祖父様。国境でポン菓子を販売した時のように、土産品に特産品を混ぜた商品を出しましょう!」
観光客は、ただリップル王国を見るだけでなく、その土地の食べ物も味わいたいと思うはず。
お祖父様は少し驚いた顔をしたあと、笑った。
「アレクシス殿下に話したら喜ぶだろうな。」
市場を歩きながら、私はさらに発見を重ねていく。
「あれは何の屋台ですか?」
南国らしい甘く濃厚な香りがこちらまで漂ってくる。
「あれは、リリコイだ。ジュースやジャム、パンや菓子にも使われている。」
身を半分に割ると中から黄色いゼリーのような果肉が見えた。
(前世で食べたことがあるはずなのに……名前が出てこない。前世では何て呼んでいたかしら?)
「この近くに、リリコイパンケーキの絶品の店がある。」
お祖父様が地元で有名なリリコイパンケーキの店に連れて行ってくれた。
ふわふわなスフレ生地にホイップクリームがたっぷり乗っている。皿を彩るように南国の花が添えられている。
一口食べると口の中で溶けていく。
(美味しい!いくらでも食べられちゃう。)
口直しの紅茶を飲みながら、小さな違和感を覚えた。
(紅茶も悪くないんだけど、やっぱり……。)
何か別の飲み物が飲みたい。
苦くて。
香りが良くて。
朝に飲むと目が覚める。
(あれ……何て名前だったかしら。)
「……!」
その時、私は思いついた。
(そうだ、コーヒー!)
「リップル王国にコーヒーはありますか?」
私は興奮気味で尋ねた。
「こーひー?なんだ、それは……。」
(やっぱり、思った通り!)
フォレスト国にはコーヒー文化がない。
リップル王国にもない。
もしかして、この世界にはコーヒーそのものが存在しないのだろうか?
けれど――。
(あるなら見つけたい!)
苦くて、香ばしくて、朝に飲むと少し元気になれる飲み物。
前世では当たり前だったもの。
それが、この世界のどこかに眠っている気がした。
「お祖父様……じゃなくて、じいじ。」
「なんだ?」
「私、コーヒーを探してみたいです。」
すると、お祖父様は呆れたように笑った。
「また何か始める気か?」
「はい!」
その時の私は、まだ知らなかった。
この小さな思いつきが、リップル王国を大きく変えることになるなんて。
あとがき
第三部『Love begets love』開幕です!
フォレスト国を離れたエリカは、母の故郷リップル王国へやって来ました。南国ならではの文化や食べ物、新しい出会い、そして新たな課題。
リップル王国を舞台に、エリカの新しい物語が始まります。
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