閑話 そして、彼女はいなくなった
マーガレット・ハーデン視点の閑話です。
私は、マーガレット・ハーデン。
幼い時より公爵家の一人娘として、王家に嫁ぐ身分として、厳しく躾けられてきました。太るとドレスが似合わなくなると甘い菓子の味さえ知らず、用意された友人はハーデン公爵令嬢の取り巻き、私の顔色を窺い同調されるだけの交友関係。
深窓の令嬢といえば聞こえは良いでしょう。
しかし、私自身で選択することさえできない生気のない人形と変わらないのが私でした。
あの時までは――。
王立学園に入学しても殿下の婚約者になるべく完璧に振る舞うだけだと思っていたのに、隣の席にいたのは、あのエリカ・ルフェラン侯爵令嬢でした。
彼女は、殿下の婚約者候補を辞退するだけではなく、あの歳で、ルフェラン領の改革に取り組んでいました。
元々、王都近くの立地の良い領土から納税額も国内トップだったルフェラン領が、治安と生活水準まで上がったのは彼女の取り組みだという事を噂で耳にしておりました。
お会いするまで、殿下の隣に並ぶのが耐えられない容姿で、次期当主になるしかない令嬢だと勝手に思い込んでおりました。
しかし、実物のエリカ・ルフェランは、異国の血筋のせいか、この国にはいない唯一無二の美しい顔をしており、貴族階級さえ気にしない心まで美しい令嬢でした。
そして、何より信じられなかったのが全校生徒のほとんどが寮生活を送る中、寮費節約と家族の元で過ごしたいという理由で自宅通学を希望し、毎朝、ルフェラン閣下と一緒に登校していることでした。
侯爵家令嬢が自宅から通学するというのも珍しければ、父親と登校するのは王立学園始まって以来のことです。
私はお父様とまともに会話した記憶がありませんので、馬車内でどう過ごしているか尋ねれば、家族の会話もあれば領地の課題を話す事もあると仰いました。
ふと、自分の立場と置き換えてみた時――。
私は、王家の歴史や貴族との関わりは深いものの、王家との縁を結び、より公爵家の存在を強くするだけの駒。
私は、彼女が無性に羨ましくもあり、気づけば憧れておりました。
王立学園は身分平等を掲げていましたが、彼女は自分より位の上の者に対しても接し方が変わりませんでした。
名前を名乗らない私に対して『縦ロール』という変な愛称をつけますし。『縦ロール』という意味は分かりませんが、初めて愛称で呼ばれた事に、嬉し恥ずかしい気持ちになり、冷たく接してしまいましたが、彼女を親友としてルフェラン侯爵家にも招いてくださいました。
殿下が彼女に好意を持ち、婚約を進められても、不思議と嫌な気持ちはありませんでした。
私にもテオドア様がおりましたし、王妃教育を受けた私が彼女の教育係として、これからも一緒に過ごせる未来に胸を馳せていたのです。
エリカ様は王妃教育があまり好きではないようで「ご褒美がないと頑張れない」と言うので、王妃教育の後は一緒にスイーツを食べたり、ルフェラン領に出かけたり……親友としての時間を過ごしました。
私にとっては初めてのことばかりで、ハーデン公爵令嬢ではないマーガレットである私の居場所を与えて下さいました。
お父様に書類を届けて欲しいと言われたあの日――。
殿下がエリカ様の婚約の意義を陛下に献言する中、これは、お父様の策略だという事に気がつきました。
娘を大事に思うルフェラン侯爵閣下なら、殿下の言葉を本心と判断し、婚約させないとお考えになるでしょう。
お父様の策略通り、ルフェラン侯爵閣下は婚約に反対しました。
お父様は、私を婚約者候補へ戻すつもりだったのでしょう。
あの時の私には、お父様が全てを駒として見ているように思えました。
私が教えた通りの、完璧なカーテシー。
涙声で退室するエリカ様の所作は美しく、その一つひとつが完璧でした。だからこそ、なんと声をかければいいのか分からず、その背中を見送ってしまいました。その場で立ち尽くす殿下も、婚約者候補再選定を陛下に提案するお父様も、そして、何より親友に何も出来ない私自身が許せなくなりました。
気がつけば、涙が流れていました。手が震え、胸の奥で感情が溢れ出してきました……。
「お父様も殿下も最低です!」
エリカ様の王妃教育を承った私が、陛下の前で取り乱し、大声を上げた。お父様は、足早に近づき、バチンと私の頬を叩きました。
「陛下の御前でなんと無礼な!」
「ハーデン公!」
よろけた私を支えたのは、ルフェラン侯爵閣下でした。
私は、自分の父親でもないルフェラン侯爵閣下の胸で、子供のように大声で泣いてしまいました。
ルフェラン侯爵閣下は、子供をあやすように頭を撫でてくださいました。
きっと、エリカ様はこのように優しく育てられたのでしょうね。
(羨ましい……。)
「ハーデン公、今日は娘と一緒にご令嬢をお預かりしてもよろしいでしょうか?」
その時のお父様がどのような表情だったのか、私には見えませんでしたが、その日は、ルフェラン侯爵家にお世話になる事となりました。
侯爵家の馬車に乗ると、奥の席にエリカ様がいました。
エリカ様は私に気がつくと、そのまま抱きついてきました。嗚咽を殺すように泣くエリカ様の姿に、再び、私も一緒に泣いてしまいました。
◇
その日の夜、私は初めてお泊まり会を経験しました。
乳母と添い寝すらした事がない私は、エリカ様のベッドに二人で寝る事に緊張しました。
天蓋が秘密基地のようで心が自然と無防備になりました。
「私、アイゼンが私を好きだから結婚したいと思っていると勘違いして、すごく恥ずかしい……。」
「……私もそう思っていましたわ。殿下の事、見損ないました。」
エリカ様は、くすりと笑いました。
「ねえ、マーガレットはどういう結婚がしたい?」
今まで、そんな事を一度も考えてなかったが、今日、起きた出来事を思い返してみました。
「ルフェラン侯爵閣下のように、家族を大切にできる方と添い遂げられたら幸せですわね。」
「お父様は、チートよ。あんな男性、この大陸どこにもいないわよ。」
チート?エリカ様は、時々、意味不明な言葉を使われる方でした。きっと、侯爵夫人の母国のお言葉でしょう。
「お父様には及ばないけど、テオドアはどう?」
「……テオドア様とこのまま添い遂げられたら幸せですわ。ルフェラン家にテオドア様が仕えるのですから、二人でエリカ様を支えて暮らせたら素敵ですわ。」
「じゃあ、アイゼン王太子殿下には慰謝料としてテオドアの爵位でも、もらおっか?」
架空の話で、二人で大笑いしました。それが現実逃避であっても、今日だけはそんな世界にいたかったのです。殿下を罵り、お父様に初めて叩かれ、私にはもう公爵令嬢の価値はありませんもの。
今は、繋いだエリカ様の手の温もりと共に眠りましょう。
◇
翌朝、ルフェラン侯爵家前に止まっていた馬車の家紋に目を疑いました。
その馬車はハーデン家のもの。
思わず、振り返るとルフェラン閣下が優しい微笑みを浮かべていました。
戸惑いながら、馬車に乗り込むとそこには、ばつの悪そうな表情をしたお父様が座っていました。
「……。」
「マーガレット、すまなかった。私は、亡くなったお前の母親の為にも、お前には良い人生を歩ませてやりたかった。王家に嫁ぐことも、その一つだ。未来の為に、今のお前や大切な友達を傷つけることは間違っていた。」
お父様は、昨晩、ルフェラン閣下とお酒を酌み交わし、叱られたそうです。不器用なお父様がこんなに素直に打ち明けてくれるのは初めてでした。
「マーガレット、お前は殿下の婚約者になりたいか?」
「……私、公爵家の娘として、王家に嫁ぐのが役目だと思っていました。でも、許されるなら、私を愛してくれる殿方と結ばれたいです。」
私の発言に目を大きく開いた、お父様。
「な…。そういう相手がいるのか…?」
「はい。ルフェラン侯爵閣下のような方ですの。」
複雑そうな表情をして笑う、お父様。
「ルフェラン卿か…。マーガレットは母親似だな。お前の亡くなった母親も王立学園に通っていた頃、あいつに片思いしていた。当の本人は、留学先で出会った夫人に熱を上げていて、全く気づいていなかったが……。」
どうやら、ルフェラン家に弱いのは血筋のようです。亡くなったお母様に似ているという言葉に胸が少し弾みました。
「お父様、ルフェラン閣下は『チート』だから、仕方がないですよ。」
「『チート』とはなんだ?」
「さあ? 外国語なので意味までは分かりませんが、きっと『最高』という意味ではないでしょうか?」
そんなことを話している間に、王立学園前に到着し、下車しようとした私をお父様が呼び止めました。
「マーガレット、私はその『チート』な父親になりたいと思っている。それだけは分かってくれ。」
お父様がそのように思っていた事だけで、昨日とは別の世界に見えました。早くエリカ様に、この事を伝えたい……少し早く着きすぎた教室の窓から、エリカ様を待ちわびていました。
しかし、エリカ様が登校することはありませんでした。その日は、どこから漏れたのか、昨日の出来事が脚色され噂となっていました。
「殿下が、ルフェラン嬢に飽きたらしい。」
「ルフェラン嬢の色仕掛けに、殿下が目を覚まされた。」
「ルフェラン家が、国まで牛耳ろうとしたが殿下が阻止した。」
どれもエリカ様を悪者にするような話ばかりでした。
私を含め、エリカ様の友人達の否定もむなしく、噂は収束する様子はありませんでした。
ただ、幸運なことに、本人の耳に入らなかったことだけが救いでした。
しかし、次の日も、その次の日もエリカ様は姿を見せることはなく、噂が収束する頃にはエリカ様が失踪したという新しい噂に変わっていました。
手紙を書いても返信はなく、教師やお父様に尋ねても「プライベートなことは話せない」の一点張りでした。
その噂は殿下の耳にも届いたようで、殿下自ら私達の教室へ足を運び、エリカ様の行方を探しておられました。
あの日以来、距離を置くようにしていた為、久しぶりにお会いした殿下は少し痩せたように見えました。
「頼む。エリカの居場所を教えてくれないか。」
「私達も知りたいです。」
きっと、こうなる事を予想して娘を隠すために、ルフェラン閣下が緘口令を敷いたのでしょう。
落ち込む殿下の姿に少しだけ気が晴れたのも事実でしたが、いつになったらエリカ様に会えるのか逆に不安になりました。
それから、季節は流れ、親しい者以外、エリカ様の名前さえ口にしなくなった頃、王立学園は再び大騒ぎになりました。
隣国リップル王国のゴシップ紙に、『フォレスト国出身、ルフェラン侯爵令嬢がリップル国王太子とご成婚間近』という記事が大々的に取り上げられた。
あとがき
この閑話、約一年半前にキャラクター設定を固めるために書いた文章が土台になっています。
本編に入れる予定もなく、「マーガレットはどんなキャラクターなのか」「エリカをどう見ているのか」を自分の中で整理するためだけに書いたものでした。
そのため、今の文章と比べると設定や表現が少し違う部分もありますが、マーガレットの根っこの部分は当時からほとんど変わっていません。
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