第67話 幸福論
きっかけは一通の書簡だった――。
今でも思う。
あの時、あれを受け取っていなかったら……
あの場所へ行かなかったら……
今でも私達は変わらなかったのかな……と。
◇
あれから、月日が経った――。
私達は二年生になっていた。
トモエやマリアが王立学園に入学した。リップル王国に留学していたヘンリー・シャーウッドが転入してきた。
婚約式の日程も決まり、私は王太子妃教育も始まっていて慌ただしかった。
いつものように学園で友人達と会い、帰宅後はトモエと孤児院の様子を見に行く。孤児院のボランティア活動にはマリアも参加している。
ヘンリーの留学期間中、二人は文通していたようで、孤児院のボランティア活動にもヘンリーが参加する日もあった。
週末は王城で王太子妃教育を行い、その後はアイゼン王太子とお茶を飲む。
忙しいけど、充実した日々だった。
だけど――。
その時、私はまだ知らなかった。
その一通の書簡が、私達の関係を大きく変えることになるなんて。
◇
「違う、違いますわ!これでは膝の間が開き過ぎですわ!」
この熱血スパルタ教師の正体はマーガレット。予定していたマナー講師が産休休暇中の為、幼少期から王家の教育を受けてきたマーガレットが代理講師をしている。
「背筋が曲がっていますわ!」
背中を扇子でピシャリと叩く。
「マーガレット、厳し過ぎない?これでも、みんな良くなってきたって言ってるのよ。」
「みんなとは誰です?まさか、身内じゃありませんわよね?」
「殿下……とか。」
「あの方のエリカを見る目は濃霧以上に見失っていますわ、論外。」
「そこまで?」
「そこまでですわ。」
「でも昔は殿下の婚約者候補だったじゃない?」
「それは、公爵令嬢として務めですわ。」
「好きだったわけじゃないの?」
「そういうものだと思っていましたもの。本当の恋を知ると分かりますわね。あれは義務感という方が近いですわ。」
本当の恋……。どうやら、テオドアとは上手くいっているようだ。
「まあ、私を王太子妃のマナー講師に選定したことは評価すべきですけど。昔から殿下は表面だけで、よくあんな殿方を選びますわね。」
私は苦笑いを浮かべる。マーガレットが王家の遠縁といえ、発言が不敬すぎる。
「それに比べてテオドア様は素敵ですわ。私、この間、フォーちゃんの限定ハンカチーフの争奪戦敗れましたの。それを知ったテオドア様が……これ見てくださいましー!」
そう言って、フォーちゃんの刺繍の入ったハンカチを見せる。すごく精巧で緻密に計算された縫い目だった。
「これ、私の宝物ですの。」
どうやら、マーガレットは惚気を聞いて欲しいようだ。
「幼い頃から王太子妃になるかもしれないと言われて育ちましたわ。王家教育にも努力もしましたし、勉強もしましたわ。」
「でも――。」
マーガレットは大事そうにハンカチを胸へ抱き寄せた。そして、テオドアの刺繍したハンカチへそっと唇を寄せる。
「好きな人のために努力したいと思ったのは、テオドア様が初めてですの!最近は料理を始めましたの。」
テオドアは、現在、ルフェラン家の執事になるべく、クロードの下で学んでいる。クロードは、自分の後継者としてラウルモンドを育成していたが、養子になったことで、次世代のルフェラン家の執事を探していた。我が家で見せたテオドアの優秀さに目をつけたクロードはすぐにスカウトした。
「公爵様は知っているの?テオドアのこと。」
「……半分は知らないでしょうね。」
マーガレットは遠い目をする。
「お父様は亡くなったお母様しか見ておりませんの。私が物心ついた時から、お母様の亡霊に取り憑かれていますわ……。」
「夫人と仲良かったのね。」
マーガレットの表情が憂いに満ちる。
「どうなんでしょう?お父様は、お母様に選ばれなかったって言ってますし……それでも、愛しているんですって、悲しいですわね……。」
「私は少し羨ましいけど、そんなに一人を愛せるなんて。」
マーガレットは笑った。
「私は、そうは思いませんわ。愛する方から愛されることの幸せを知ってしまいましたもの。」
マーガレットは手持ちの扇子を広げる。
「私がお父様の考えが分からないように、お父様も私の好きな物も、テオドア様のことも、多分、半分も知らないでしょうね。」
そう言ったマーガレットの顔は扇子に隠れてよく見えなかった。
◇
王太子妃教育が終わり、マーガレットが帰る。
「エリカ様、お手紙です。」
執事のクロードから渡された一通の書簡。
差出人を見る。
“ハーデン公爵家”
エリカは驚く。
「マーガレットかしら?」
「いえ、ハーデン公爵ご本人です。」
(マーガレットの父親?)
『いつも、娘も世話になっております。一度、お話したいことがありますので、王太子妃教育後によろしければお時間を頂きたいです。』
マーガレットの話を思い出す。もしかしたら、公爵はマーガレットについて知りたいのかもしれない。
突然届いた手紙を、私はそんな風に捉えていた。
◇
そして当日――。
宰相専用応接室で待っていたのは、ハーデン公爵だけだった。
年齢はお父様と同じくらいだろうか。背筋は真っ直ぐに伸び、隙のない身なりをしている。厳格そうな雰囲気だが、不思議と威圧感はなかった。
「初めまして、エリカ嬢。娘のマーガレットがお世話になっています。王家教育の代理講師としても、よく務めているようで安心しました。」
丁寧な挨拶、礼儀正しい完璧な紳士だった。
「エリカ嬢は、アイゼン殿下をどう思いますか?」
「幸せになって欲しいと思います。」
「なるほど、そうですか。」
ハーデン公爵は微笑む。
「殿下は将来この国を背負う方です。国民を守り、国をまとめる存在です。恋人気分で王太子妃は務まらないでしょう。」
「……何が仰りたいのですか?」
ハーデン公爵は紅茶を口にする。
「失礼。少し聞き方が悪かったですね。」
そう言って穏やかに微笑んだ。
「それでは、質問を変えましょうか?」
静かにカップを置く。
「もし、殿下が国のために、あなたを捨てなければならない立場になったらどうしますか?」
「二人で別の選択を探します。」
「なるほど。実に、微笑ましい。」
ハーデン公爵は小さく頷いた。
「ですが――、国をまとめる者には、一人の幸せより、多くの者の幸せを選ばなければならない時があります。」
「……。」
「愛だけでは国は守れません。あなたは殿下の幸福を願い、私はこの国の幸福を願う。その二つが一致するなら素晴らしい。」
ハーデン公爵は静かに言った。
「ですが、一致しなかった時は?別の選択が見つからなかった時に、国のためにどうしますか?私は、それに答える覚悟があるのか知りたいのです。」
「その時にならないと分かりません。でも、私は最後まで諦めません。」
「……そうですか。」
ハーデン公爵は微笑んだ。
「安心しました。」
「安心ですか?」
「ええ。少なくとも、殿下は一人ではないようですから。」
その笑みはどこか寂しそうだった。
まるで――誰かの面影を重ねるかのように。
正解のない質問を繰り返され、その日は終わった。
◇
帰りの馬車の中でも、私はハーデン公爵の言葉を考えていた。
『一人の幸せより、多くの者の幸せを選ばなければならない時がある』
頭では分かる。
侯爵令嬢として育った私だって、領民のために決断するお父様を見てきた。
だけど――。
(どうしてあんな顔をしたのかしら。)
最後に見せた、あの寂しそうな笑顔。
まるで、自分自身に言い聞かせているようだった。結局、ハーデン公爵は何を伝えたかったのだろう……呼び出された意味も分からないまま、その日は終わった。
◇
そして数日後――。
「エリカ様、お手紙です。」
再びクロードが一通の封筒を差し出した。
見慣れない封蝋。
差出人の名前はなかった。
「誰からかしら?」
「申し訳ございません。確認できませんでした。」
私は何気なく封を切った。
その瞬間――、地鳴りの音が聞こえた気がした。
あとがき
本日、『恋の劇薬』シリーズ最終話 『弔いのレクイエム』 を公開しました。
『恋の劇薬』は、本編『ママじゃない~攻略対象の母に転生したので、破滅エンドを潰します~』で、エリカ達が「どうして世界を変えようとしているのか」を描いた短編シリーズです。
『バッドエンド』という一言では語りきれなかった、この世界の悲劇と、それでも未来を変えようとする理由を描いています。
本編とあわせて読むことで、エリカ達が未来を変えようとする理由や、その願いの意味も、また違って見えるかもしれません。
本日公開の『弔いのレクイエム』で『恋の劇薬』シリーズは完結となります。よろしければ、ぜひ併せてお楽しみください。




