第63話 虚飾の正義、月の守護者
一方その頃――。
ドレアス教授は『月と大地』を閉じた。
「男装したスパイと商人か……」
視線は窓の外へ向く。その先にはルフェラン領がある。
かつて、エリカ・ルフェランを観察したように、ルフェラン侯爵邸がある方向を見つめる。
ルフェラン侯爵令嬢を操るのは無理だった。
だが、相手が平民なら違う。
優れた才能を持ちながら、保護者は屋敷の使用人、ルフェラン侯爵の後ろ盾もないラウルモンドという少年。
「……」
ドレアス教授は静かに目を細めた。
「ドレアス教授!」
助手が部屋に飛び込んできた。
「商業科の生徒たちがランドン商会へ就職したいそうです!」
「そうか」
「あと男子生徒たちがスパイ志望です!」
「そうか」
「学園長が進路相談は教員の仕事だと仰っています」
「……」
ドレアス教授は額を押さえた。
頭の中の数式を組み立てるように指でリズムをとる。
「使えるな……」
教授は眼鏡を押し上げる。
「どうしましょう?」
「将来の夢を応援するのも教師の務めだ」
教授は微笑む。
「男子生徒には、まずは観察から始めると伝えなさい」
「女子生徒は……?」
「ほっとけばいい。どうせ、新作が出れば再び移り気が始まるだろう」
◇
「ドレアス教授、報告します」
一人の男子生徒がラウルモンドの観察報告を持参する。
「このように……定期的な外出はマグノリア教会の孤児院訪問です」
「そうか、ご苦労」
すると、別の少年が次の報告書を読み上げる。
「ラウルモンド少年が関わったとされる物は商品ではウレタン、防水布。農業器具では籾摺り機。製造器具としてポン菓子製造機。分かった物だけで幅広い発明品があるようです」
「そうか、やはりエリカ・ルフェランにはからくりがあったか」
ドレアス教授は思い出していた。かつて名声を奪われ、学園の教員にまで落ちた自分を陥れた少女――。少女というには機転と計算高さは認める。だが、医療、福祉、領地改革まで全てを成し遂げるのは出来すぎていると考えていた。きっと、表舞台に立たない立役者がいるとは思ったが少年だったとは意外だった。
「スパイとは、情報収集だけではない。特定の目的を持って遂行できるものが真のスパイだ」
ドレアス教授のもっともらしい言葉に生徒たちは大きく頷く。
「君たちに極秘任務を与えよう。日陰で才能を搾取され続ける少年の救出だ!」
生徒たちは、スパイごっこに酔っていた。これから、自分たちが犯罪の片棒を担がせられるとも知らずに……。
◇
「伝令!伝令!」
王太子と食堂でランチをしていた時だった。
学園の清掃係、用務員、購買の職員、配達員……様々な人々がアイゼン王太子と私の護衛リアンの周りに集まる。
「元諜報員エドワードより、ルフェラン侯爵家に侵入者あり。子供二名を誘拐、内一名はリップル王国第二王子セザール・イクシード様との事!」
(今、ルフェランって……セザールが誘拐されたって……)
私の顔色の変化にアイゼン王太子が気付き、手を握る。
「影、引き続き情報収集を!王国騎士団総員、リップル王国側にも一報を入れろ。セザール第二王子狙いの政治犯の可能性が高い。急げ!」
(セザール……無事でいて)
私は、アイゼン王太子の手を無意識に強く握る。
「心配するな。影たちは王国の隅々に張っている。すぐに行方は掴めるはずだ」
アイゼン王太子がそう言った直後だった。
「南地区より目撃情報あり!」
「犯人は?」
ルナエクリプスのリーダーであるリアンが統率を取る。
「馬車を使用」
「進行方向は?」
「南西」
「人数は?」
「三名確認」
「保護対象は?」
「確認中です」
「……」
「続けろ!」
「数分前、南西へ移動」
「保護対象の生存確認!子供二名とも無事です!」
報告を受けた影たちは即座に散った。最初から自分たちの役割が決まっていたかのように。
「よし!西地区、東地区は挟み撃ちにしろ。絶対に子供たちに怪我をさせるな!」
私は怖かった。見えない場所で何かが起きている。まるで、現実とは思えない出来事だった。
そして、同時にこの国を支える月――ルナエクリプスの存在の意味を知った。
◇
馬車の中では、生徒たちが興奮していた。
「やったな!」
「あのラウルモンド少年を助けたんだ!」
「ドレアス教授も喜ぶぞ!」
誰も疑っていなかった。自分たちは正しいことをしている。これは正義の任務なのだと。
――その時だった。
「――動くな」
低い声が響く。
生徒たちが振り返る。
そこには黒装束の男たちが立っていた。
いつの間に現れたのか分からない。
いや、それだけではない。
「なっ……」
木の上。
屋根の上。
路地裏。
馬車の周囲を取り囲むように、人影に包囲されていた。
生徒たちの顔から血の気が引いた。
どこかで見覚えのある顔……しかし、それが誰だったのかは、はっきりとは覚えていない。この人は、自分にとって敵なのか味方なのか分からない恐怖で、生徒たちの頭の中は情報が追いつかない。
分かることは、周囲の鋭い視線は自分たちを捕らえているということだ。
逃げ場はないことだけは明確だった。
その時、人垣が静かに割れる。
一人の男が後方から姿を現した。
「やあ、坊っちゃんたち」
穏やかな笑みを浮かべる。
「誘拐ごっこは楽しめたかい?」
生徒たちは息を呑んだ。
一人の少年が震える足で前へ出る。
「ぼ、僕たちは正義のために任務を遂行しているスパイだ!」
リアンは一瞬だけ目を細めた。
そして、くすりと笑う。
「へぇ、そうか」
一歩前へ出る。
「なら失格だな」
「え?」
「本物はな――」
リアンの笑みが消えた。
「死ぬまで、自分を名乗れねぇんだよ」
次の瞬間――。
少年の意識は途切れた。
何をされたのかも分からない。
ただ、その場に崩れ落ちる。
生徒たちは声も出せなかった。
誰一人として見えなかったのだ。
その手刀が放たれた瞬間さえも……。
「連行しろ」
その一言で影たちが動く。
抵抗しようとした生徒もいた。
だが、一歩も動けないまま拘束された。
すると、馬車の扉が開く。
ひょこりと顔を出したのは金髪の少年だった。
「おー」
セザールが手を振る。
「リアン、今日は生きてる!」
「おかげさまで」
「ふむ、良かった!」
満面の笑み。
先程までの緊張感が一瞬で吹き飛んだ。
リアンは小さくため息を吐く。
「セザール様」
「ん?」
「心配される側は、あなたです」
「おーそうだった!」
セザールはケラケラと笑った。
その様子を見て、影たちの表情が少しだけ緩んだ。
「でも、狙いは私じゃない!ラウルだった」
その一言にリアンの表情が曇る。
馬車の中には何かを嗅がされたのか、眠るように倒れているラウルモンドがいた。
あとがき
セザールの喋り方は、モデリング(模倣学習)を意識して描いています。
エリカにべったりだった頃は、どこか女性的な言い回しや柔らかい口調が混ざっていました。
一方で、イクシード辺境伯家の養子になってからは、周囲の大人達の影響を受けた話し方も混ざるようになっています。
短編『恋の劇薬』セザール編を公開しています。
【恋蜜】設定でのセザールとなりますので、本編とのギャップもお楽しみください。
読んでいただきありがとうございます。
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