第45話 春を待つ香り
近隣国では、ある異変が問題になっていた。
――ブリーズ王国へ派遣した視察団が、帰ってこないのである。
事の発端は、うどんの試食会後に振る舞われたアイスクリームだった。
私は驚いた。私が教えたのは、牛乳、卵、砂糖だけを使ったシンプルなアイスクリームだ。しかし、ブリーズ王国から振る舞われたのは二十種類以上のアイスクリームだった。 果実を混ぜた物。茶葉を使用した物。お酒を使った物。食用花から抽出した物まである。
アイスクリームだけでも目移りしてしまう。来賓達も同じことを思ったようだ。
恐ろしいのはブリーズ王国のサービスの良さだった。
ゲストルームが暖まるまでの待ち時間には、本まで貸し出された。しかも、各国語へ翻訳された、ブリーズ王国限定の人気作品である。
コタツでアイスクリームを食べながら読書をする。さらに、寝転がれるようにフロアクッションまで用意されていた。 しかも、中身は高級羽毛。適度な反発がありながら、身体を包み込むように沈んでいく。
このもてなしに来賓客はコタツ沼に落ちていった。
「まだアイスクリーム全種類制覇していないから……。」
「本を読み終わっていないから……。」
「もう少し市場調査が必要だな……。」
都合の良い言い訳を並べながら、滞在期間だけがどんどん延びていく。
そしていつの間にか――。
「ブリーズ王国へ行った者が帰ってこない。」
そんな噂にまで発展していた。
事件は各国の新聞や雑誌で連日取り上げられた。
だが、その結果――。ブリーズ王国の“うどん”“コタツ”“アイスクリーム”は、一躍有名になる。
それだけではない。
今まで観光地としてほとんど機能していなかったブリーズ王国に、“ホテルバカンス”という新たな観光文化まで誕生したのだ。
仕事に疲れた人々。今まで旅行に興味がなかった人々。そういった者達が、癒やしを求めてブリーズ王国へ訪れるようになっていた。
極寒の大地の中で、暖かいコタツ。甘いアイスクリーム。美味しいうどん。そして、静かに本を読める時間。
それは、寒い国だからこそ生まれた“最高の贅沢”だった。ブリーズ王国は、いつしか――“人を駄目にする癒やしの国”として名を広め始めていたのである。
◇
ブリーズ王国での滞在中、私はセシル様に教わりながら香道を始めていた。
香木を焚き、立ち上る香りを“聞く”――。前世で知っていた香道とは少し違う。
ブリーズ王国の香道には、試香紙を使って香りの系統を当てる、香水のテイスティングのような遊びもあった。さらに、目的に合わせて香りを調合する文化まである。
「リラックス用や、集中力を高める香りですね。」
セシル様は穏やかに説明してくれる。
寒冷地であるブリーズ王国では、冬の間を室内で過ごすことが多い。だからこそ、香りを楽しむ文化が深く発展したらしい。
(面白い……。)
私は夢中になって香りを調合していた。
だが――。どうして私は、香りを作ると食べ物方向へ行ってしまうのだろう。
今回のテーマは“春”。
私が作った香りは、桜をイメージしたものだった。 しかし、完成した香りは――完全に桜餅だった。
甘い香りに、ほんのり塩気を感じる葉の香り。もはや目に見えない和菓子である。
ブリーズ王国では桜そのものが珍しいらしい。寒冷地のため、ハーブ系の花が多いのだという。
「私は好きですよ、この香り。」
そう言って香りを聞いていたセシル様が、ふっと目を細めた。
「……懐かしい香りです。」
「セシル様、桜をご存知なんですか?」
「留学していた時、フォレスト国で見たことがあります。」
セシル様は静かに笑った。
「春の王立学園は、とても綺麗なんですよ。」
セシル様は静かに目を細めた。
「満開の桜並木があって……風が吹くたび、花びらが雪みたいに舞うんです。」
その声音は、どこか懐かしいものを思い出しているようだった。
「……昔、大切な人と見た景色なので。」
一瞬だけ。セシル様の笑みが、少し寂しそうに見えた。
(……春になったら、桜餅を作って渡そう。)
そんなことを考えていると、今度はセシル様の番になる。完成した香りは、すっきりとした爽やかな香りだった。
「……お茶?」
「はい。緑茶をイメージしました。」
聞けば、ブリーズ王国では茶葉の種類を多く生産しているらしい。
「冬の間は室内で過ごす時間が長いので、お茶の種類を増やして飽きないようにしているんです。」
「へぇ……。」
「緑茶は摘みたての茶葉を使うので、我が国では“春の香り”と呼ばれています。」
私はもう一度、その香りを聞いた。
雪解け水のように澄んでいて、静かで、少しだけ苦みがある。香りだけなのに、その国の季節や風景が浮かぶ。
「良い香りでした。」
香道とは、“文化そのものを聞く遊び”なのかもしれなかった。
◇
ブリーズ王国での滞在も、気づけば随分長くなっていた。ついに各国の視察団へ帰還命令が届く。
「……とうとう来てしまったか。」
コタツに半分埋まりながら、お祖父様――イクシード辺境伯が渋い顔をした。
「嫌そうですね。」
「当たり前だ。この国、快適すぎる。」
完全に堕落している。最近では、朝食後にうどんを食べ、その後コタツで昼寝をする生活が定着していた。
そこへ追い打ちをかけるように、私宛にも書簡が届く。
『エリカへ。そろそろ帰ってきなさい。あと、お祖父様にもそう言いなさい。――父より』
お父様からだった。
(私宛なのかな、この手紙……。)
「帰還決定ですね。」
「むぅ……。」
お祖父様が露骨に肩を落とした。
「まだ“ホテルバカンス”を満喫しておらんのだが。」
「十分満喫していたと思います。」
結局、名残惜しそうなお祖父様を引きずるようにして、私達は帰国準備を進めることになった。
◇
出発当日。
雪の積もる城門前には、セシル様の姿があった。
「短い間でしたが、とても楽しかったです。」
「こちらこそ。沢山お世話になりました。」
そう言って頭を下げると、セシル様は小さな木箱を差し出してくる。
「お土産です。」
「……これは?」
「緑茶です。」
箱を開けると、爽やかな香りがふわりと広がった。
「春をイメージした茶葉になります。」
あの時、香道で聞かせてもらった香りと同じだ。雪解け水のような、静かな香り。
「わぁ……。」
思わず顔が綻ぶ。
「それと、こちらも。」
次に渡されたのは、小さな壺だった。
「梅干し?」
「はい。塩漬け文化は、ブリーズ王国の保存食文化の一つです。」
寒冷地で冬を越えるため、ブリーズ王国では塩漬け文化が発展しているらしい。
「緑茶の茶請けに合いますよ。」
「ありがとうございます。」
するとセシル様は、少しだけ困ったように笑った。
「本当は、もっと色々お見せしたかったのですが。」
「十分すぎるくらい楽しませて頂きました。」
この国で知ったものは、どれも新鮮で温かかった。
「……桜餅を作りますね。」
気づけば、そんな言葉が口から漏れていた。
一瞬、セシル様が目を見開く。
それから、ふっと優しく笑い、友好の握手をしようと手を出した。その時。
「ちょっと待ったー!!」
白い息を吐く馬達に引かれた馬車が、雪道を凄まじい勢いで突っ込んできた。馬車に刻まれた紋章は、すっかり見慣れた王家の紋章だった。
「さあ、エリカ。フォレスト国に帰ろう。ルフェラン侯爵も心配しているよ。」
そう言って馬車から体を乗りだし、手を差し出したのはアイゼン王太子だった。
(何しにきたの?)
――その答えを、私はこの後すぐに思い知ることになる。
あとがき
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
馬車で爆走しながら登場したアイゼン王太子。 その目的とは――?
暴走特急アイゼン号、次回、発車!!
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