第43話 納豆フィーバー
ルフェラン領で開催された“納豆フェスティバル”から数週間後。
フォレスト国内では、ちょっとした異変が起きていた。
「最近、お肌の調子が良いのよ。」
「分かりますわ!」
「やっぱり毎朝の納豆かしら?」
王都の貴族夫人達が、昼下がりのお茶会でそんな会話をしている。
納豆を食べ続けたことで便秘の改善や美肌効果が出たという声が広まり、特に女性達を中心に人気が爆発していたのだ。
「納豆は美容に良いらしい。」
「ショーユーを少しかけると食べやすい。」
「混ぜるほど美味しい。」
そんな噂まで飛び交い始め、今や王都では“納豆フィーバー”とも呼ばれていた。
ルフェラン領から出荷される納豆は、連日完売。
商人達は嬉しい悲鳴を上げている。
「納豆追加だ!」
「次の便はまだか!?」
「ショーユーも一緒に積め!」
特にショーユーは納豆と相性が良かったことで、一緒に売り上げを伸ばしていた。
さらに、フォレスト国では米の消費量も増え始めている。
納豆ご飯という新たな食文化が浸透し始めていたのだ。
◇
一方――。
ブリーズ王国でも、納豆人気は予想以上の広がりを見せていた。
「また追加注文だと!?」
「樽が足りません!」
「職人を増やせ!今すぐだ!」
港町では怒号が飛び交っている。
だが、その顔に悲壮感はない。むしろ誰もが興奮していた。
今まで、ブリーズ王国の主な輸出品といえば穀物中心だった。寒冷地である以上、作物の種類には限界がある。
だからこそ、納豆という“新たな名産”の誕生は、国にとって大きな希望だった。
しかも納豆だけではない。
フォレスト国から格安で輸入される米によって、今年の冬は備蓄不足に怯えずに済みそうだった。
さらに――。
「今年は指の感覚が残ってる……。」
「見てくれ!服も凍ってない。」
「長靴のお陰で濡れないし、滑りにくい!」
雪かきを終えた男が、感動したように呟く。
その手には、フォレスト国から輸入されたゴム手袋があった。
防水性に優れ、冷気を遮断するゴム製品は、寒冷地で暮らすブリーズ王国の人々にとって、まさに奇跡の品だったのである。
冬の除雪作業は毎年、凍傷と隣り合わせだった。だが今年は違う。
「これなら長時間の作業もできるぞ!」
「なんだこの素材は!?」
「うちの母ちゃんなんて、洗濯物が減ったって喜んでる!」
歓喜の声が次々に上がっていた。
「しかも、これすごいよなー。」
ポケットから出したのは温めた小豆だった。 鉄鍋で弱火で炒った小豆を布袋に入れた物で、その温かさはしばらく続く。ブリーズ王国にとって魔法道具のようだった。
「家畜のエサだったなんて信じられないよなー。」
「あんこも旨いし!」
「でも、これって考えたのフォレスト国の貴族のお嬢さんなんだろう?」
◇
その頃、フォレスト国では。
「くっしゅん!」
私は身震いをした。季節はもうすぐ冬になる。
暖炉の側で近隣国から届いた釣書を眺めていた。下は五歳から上は五十歳まで子爵から公爵家まで幅が広い。本当に顔合わせするとなったら身構えるけど、釣書を見てるだけなら面白い。
「ターニャは誰がタイプ?」
「えー私、既婚者ですよ。」
こう寒いと動きたくないので、暇潰しにはちょうど良い。
「この方なんて、素敵じゃないですか?」
ターニャが選んだのは銀髪にアイスブルーの瞳のイケメンだった。
「どれどれ、ブリーズ王国侯爵家次男。十九歳。フォレスト国に留学経験あり。趣味は香道だってー。」
「エリカお嬢様、次男ならお婿さんにピッタリですよ!セシル様というらしいです。」
そんな話をしていたのが昨日。
今、そのセシル様が目の前にいる。
昨日、釣書で見たからか芸能人と会った気分だ。釣書の絵なんて美化して描いていると思っていたが、本当にイケメンだった。銀髪は透き通るように美しくて、アイスブルーの瞳は見ているだけで吸い込まれそうになる。しかも、セシル様、服の上からでも分かる程度には鍛えられている。香道のせいか白檀の良い匂いがする。
「……コホン。」
アイゼン王太子が咳払いをする。
「こちらがブリーズ王国の外交担当のバーンド侯爵子息だ。」
「はじめまして。エリカ•ルフェランと申します。」
「はじめまして。セシル•バーンドです。」
「本当にフォレスト語、慣れているんですね。」
「去年までこちらの王立学園に通っていました。」
はにかみながら、話す姿はキュート。帰ったら、ターニャに教えないと。
「……随分楽しそうだな。」
鋭い目つきでこちらを見ているアイゼン王太子。
「ブリーズ王国では香道が盛んなのですか?」
「はい。寒冷地なので室内文化が発展しているんです。お茶会などでも香を焚くことが多いですね。」
「へぇ……。」
面白い。
フォレスト国では花を使った香油や香水はあるが、“香りを楽しむ文化”そのものはそこまで発展していない。
「実は、フォレスト国の調味料にも興味がありまして。」
「調味料ですか?」
「ええ。留学していた時に調味料の多さに何をかけたら良いか迷いました。ブリーズ王国でも研究が進んでいるんですよ。」
穏やかに微笑む。国を思う時のセシル様の優しい目……良き。
しかも、知的好奇心が高いタイプだ。
(これは加算点……。)
私が感心していると。
「エリカ。」
隣から低い声がした。
「はい?」
「お茶が冷めてしまうよ。」
アイゼン王太子が無表情でカップを指した。
「あ、本当ですね。」
慌ててカップを持つ。
するとセシル様が小さく笑った。
「殿下はエリカ様を大切にされているのですね。」
「……。」
一瞬、空気が止まる。
だがアイゼン王太子は表情一つ変えなかった。
「当然だ。」
短い返答。
けれど、その声音は妙に静かだった。
(……なんか、今日のアイゼン王太子、変。)
私はそっと視線を逸らした。
そんな空気など気づいていないのか、セシル様は楽しそうに話を続ける。
「フォレスト国の王立学園は素晴らしかったですよ。特に図書館の蔵書量には驚きました。」
「そんなにですか?おすすめの本があったら教えてください。」
「もちろん。ブリーズ王国では手に入らない文献も多かったので、つい入り浸ってしまって。」
「分かります!本の世界に没頭してしまいますよね。」
思わず身を乗り出す。
すると。
カチャン。隣からティーカップの音がした。
「……殿下?」
アイゼン王太子は静かに紅茶を飲む。
(これ絶対機嫌悪い。)
表情は変わらないが、微妙に圧が増していた。アイゼン王太子くらいなると圧を操れそうだ。
そんな中、セシル様がふと思い出したように言った。
「そういえば、もうすぐ学園の入学準備期間ですね。」
「あ。」
その言葉に、私は小さく目を見開いた。
王立学園――。乙女ゲーム『人の恋は蜜の味』の舞台。
そして――。私の運命が、大きく動き始める場所だった。
◇
お茶会が終わり、廊下を歩いていた時だった。
「エリカ。」
後ろから低い声がする。
振り返ると、アイゼン王太子がこちらを見ていた。
「はい?」
「少し話がある。」
そのまま人気のない廊下へ連れて行かれる。
(なんか機嫌悪い?)
表情はいつも通りだ。だから余計に気になる。
「お前は、なぜあの男のことを知っていた?」
「え?」
「フォレスト語。香道。留学経験……随分詳しかったな。」
淡々と並べられる。
「えっと……釣書を見たので。」
一瞬、沈黙が流れる。
「……釣書?」
「はい。最近いっぱい届くんですよ。近隣国から。」
そう説明すると、アイゼン王太子の眉がぴくりと動いた。
すると突然、手を掴まれる。
「へ?」
そのまま指を絡められた。
ぎゅっと。
互いの指を交互に絡める、完全な恋人繋ぎ。
(急に……なんで!?)
頭が真っ白になる。
「……嫌か?」
「そ、そういう問題ではなくてですね!?」
距離が近い。しかも手が熱い。
混乱していると、後ろから穏やかな声がした。
「仲がよろしいのですね。」
振り返ると、セシル様がにこやかに立っていた。
(見られてたー!!)
羞恥で死にそうになる私とは対照的に、セシル様はまったく気にした様子がない。
「それより、エリカ様。」
「は、はい!」
「ブリーズ王国の相談を聞いて頂けませんか?我が国の新しい輸出品について、ご教授頂きたいのです。」
「輸出品?」
「はい。現在、納豆とショーユーは、フォレスト国内で大変な人気になっていますが、我が国の輸出がそれらに依存し過ぎるのは危険なのです。」
セシル様は少し悲しそうに笑った。
「一時的な流行だけに国の経済を委ねる訳にはいきません。我がブリーズ王国に安定した輸出品が欲しいのです。」
(期待値が重い……!)
「なぜ、フォレスト国がそこまでしなければならない?」
隣で、アイゼン王太子が未だに手を離してくれない。
(何なの!?)
「ここだけの話ですが――。」
セシル様は静かに声を落とした。
「ブリーズ王国では、王女殿下とアイゼン王太子殿下との婚姻を望む声が上がっています。」
そう言いながら、セシル様は私達の繋がれた手へ視線を落とした。
「ですが、その婚姻が必ずしも幸福を約束するものではありません。」
そして懐から、一通の封筒を取り出す。
中に入っていたのは釣書だった。
しかも、先日私が見た家名が並んでいる。
「……ご覧になられたようですね。」
セシル様は苦笑した。
「私も、お二人の仲を邪魔するつもりはありません。」
その瞬間、アイゼン王太子が目を細める。
「つまり、貴国は輸出の安定を望んでいる。だが、それが叶わぬ場合は――。」
アイゼン王太子は私と繋いでいた手に力を入れる。
「私か、エリカとの婚姻によって両国を結びたいということか?」
「……殿下の仰る通りです。」
(……どうしてこう、私の人生は平穏から遠ざかっていくのだろう。)
王立学園への入学を前にして――。
恋愛も、外交も、私の運命も、大きく動き始めていた。
【あとがき】
香道とは違いますが、デパートの化粧品売場の匂いって、つい深呼吸したくなります。
読んで頂きありがとうございます。
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