第5話 これが恋蜜の世界 2
聖マグノリア教会は、ルフェラン領最古の建築物としてフォレスト国でも歴史的建造物の一つに指定されている。
老朽化も進んでおり、美しいステンドグラスにはヒビが入っていた。灯りの代わりに献灯キャンドルが祭壇で揺らめいている。
箱に硬貨を入れ、ろうそくを一本取り出し、火を灯す。信仰の象徴とされる女神像は近くで見ると摩耗が見られ、表情は失われ、能面のようで恐怖すら感じる。目を閉じ、祈るように手を組んだ。
『女神様、ご先祖のマグノリア様、どうか私を……あと、ターニャを……まだ会った事のないマリアも!とにかく、攻略対象の母親をお救い下さい!』
必死に女神頼みしていたので、誰かが近づいてきた気配すら感じなかった。
「ルフェラン侯爵家のご令嬢とお見受けします。」
声のする背後に振り返ると、そこには年老いた神父が立っていた。
黒衣は色褪せダークグレーのような色合いだったが神父自身の風格のせいか、古びた服でも厳かな雰囲気があった。
「突然、お邪魔してごめんなさい。」
貴族がこのような場に来る際は表敬訪問として事前に知らせる事がマナーである。護衛騎士は隣の店にいるので大丈夫かと思ったが考えが甘かったようだ。
「いえ、女神の前で祈る者に身分は関係ありません。こちらこそ、急にお声がけして申し訳ありません。ただ、以前よりお礼をお伝えしたかったもので。いつも我が教会孤児院を気にかけて頂きありがとうございます。」
神父はそういうと深々と頭を下げる。その姿に私は動揺した。
私の記憶では、ここに来たのが初めてだった。
神父は私がエリカ・ルフェランだと認識しており、以前からということは何度かこの教会に足を運んでいるらしい。
ターニャも護衛騎士もそのことについて誰も触れなかった。
戸惑う私の姿を神職に頭を下げさせたことに恐縮していると勘違いした神父は微笑む。
「エリカ様は謙虚なお方ですね。堅苦しいのはここまでにして、どうぞ子供達に会ってあげて下さい。」
神父はそういうと祭壇近くの扉を開けてくれた。
長い廊下は告解室の裏側や教会の書斎等があり、関係者しか通らない場所だということが分かった。
廊下の軋む音と二人分の靴音が、妙に緊張感を際立たせ、息が詰まりそうになる。
廊下の突き当たりにある出口の扉が開かれた瞬間、外へ出られた解放感と田舎のような緑溢れる風景に安堵を覚えた。
芝生が広がる中に木造の建物、木々同士を結んだ紐に干された沢山の子供服、家畜と畑の土の匂い、子供達の声。
記憶にはないが、私はこの場所に愛着があるようだ。
「エリカ様だ!」
一人の子供がこちらに気がつく。次々と子供達が私の姿を確認しようと出てきた。
もちろん、その子供達に見覚えはない。だが、子供が着ている服や抱えているぬいぐるみや本には見覚えがあった。
私が無くしたと思っていた物ばかりだ。
ワンピースだった服は上下にカットされ、シャツとスカートに分けられていたが、落ちなかったソースのシミの位置からみても私の服だったことには間違いない。
なぜ?という疑問は次の瞬間、解消された。
「トモエ姉ちゃん、エリカ様だよ。」
トモエ。記憶のない空白の期間の日記に度々出てきた名前。日記というより貢帳のようだったが、子供達に渡っていたことは理解できた。
記憶がないとはいえ、子供達から取り返そうという気持ちは毛頭ない。
ただ、『トモエ』には一言物申したい気持ちはあった。
「エリカ様、久しぶり……。」
トモエは私と同じくらいの年頃で、栗毛を三つ編みに結い、ハの字眉毛にタレ目気味の大きな瞳をした少女だった。
「トモエね。あなたから勧められた湖に行って頭を打って、ここ数ヵ月の記憶がないのよ。だから、正直、久しぶりか分からないわ。」
皮肉を込めた物の言い方をしてしまったと一瞬思ったが、次のトモエの発言でその気持ちはなくなった。
「やっぱり、死ななかったのね……。」
その言葉で思わずカッとなった。
「殺すつもりだったの?あなた、私に何の恨みがあるの……」
予想以上に声を荒げたせいか、トモエが周囲を気にして私の口を塞ぐ。
「物騒な事言わないで!侯爵令嬢様にそんな事する訳ないでしょ!物語の強制力上、あなたが死ぬことはないと思ったからあの湖を勧めたのよ。」
侯爵令嬢の口を塞ぐ行為は許されるのかとも思ったが、それより気になったのは『物語の強制力』という発言だった。
「物語の強制力って【恋蜜】の事?」
「エリカ様!今、【恋蜜】って言った?」
私が尋ねる前にトモエが興奮気味に言葉を被せてきた。
そこからは、トモエの質問が続いた。
前世を思い出した時のことや【恋蜜】をどのくらい知っているかなど。
トモエの口振りからもトモエも【恋蜜】についてかなり詳しいことが分かった。
「エリカ様、まずは自己紹介するわ。私は前世で乙女ゲーム『人の恋は蜜の味』のシナリオライターを担当していた広岡巴。現在は【恋蜜】の主人公の母親であるトリー。ここでは前世でも馴染みのあるトモエという名前を名乗っているわ。」
広岡巴という名前はエンドロールで何度も見た名前だ。【恋蜜】以外の作品にもゲームシナリオライターを担当されていた。
でも、【恋蜜】の世界にいるってことは……
「広岡さん、亡くなったんですか!?」
乙女ゲームストーリーも最高だったが、女性心理を掴むキャラクターのセリフも良くて、キャラクターの立ち姿である立ち絵がさらに魅力的になった。
(もう広岡さんのゲームが出来ないなんて……)
ショックを受けたが私もこの世界にいる以上、もう乙女ゲームは出来ないんだった。
「納期に追われて過労死よ。でも、まさか転生先が自分の描いた世界だとは思わなかったわ。」
「前世を思い出したのはいつなんですか?」
「産まれた時よ。これが【恋蜜】の世界で、自分が主人公の母親って気づいたのは、父親が王城で殉職して母親が病で倒れた時だったわ。自分が描いたせいで、この世界で生きている人達が物語の背景になる為に死んでいく……最初はショックで自責の念に駆られてたけど、今は物語を変えようと画策しているところよ。」
トモエは現在十二歳。転生してから親を亡くし、その後も一人でこの世界を変えようとしてきたらしい。
ゲームのキャラクターは貴族や王族ばかりの為、孤児のトモエには接近するのが難しく、レオナルド・シャーウッドの母親であるマリアに狙いを定めて聖マグノリア教会にたどり着いたら、記憶を無くす前のエリカ・ルフェランに出会えたらしい。
「エリカ様が前世を思い出した王家所有の湖は、攻略対象の一人である隣国の王弟セザール・リップルの実姉であるアデライトがアイゼン王太子との見合いの席で訪れる場所なの。
アデライトは、ゲームのストーリー背景上、あの湖で溺死する。
水草の生い茂る湖での遺体捜索は難攻し、この事故は両国の友好関係を築く上では都合が悪かったこともあり、抗争を避ける為に行方不明として処理される。
しかし、血の繋がった弟のセザールだけは姉の行方を探し続け、身分を隠してリップル王国に潜入するの。」
トモエの説明を頭の中で整理する。
「フォレスト国内では生活困窮する民を中心に移民に対する差別があり、身分を詐称していたセザールも外国人差別の対象になったの。
主人公は愛国心がない為、セザールを差別せず、気まぐれからアデライト捜索の手助けを行った。
セザールの攻略ルートでアデライトの亡骸を見つける事となるけど、エンド後は、隠蔽されていた姉アデライトの死を公にした事をきっかけにリップル王国内で反フォレスト国感情が高まり戦争が始まってしまう。」
「つまり、アデライトを助ければ……セザールはフォレスト国へ来る理由がなくなるんですね。」
私の言葉に、トモエは静かに頷いた。
「そういう事。エリカ様には悪いけど、あなたを湖へ向かわせたのは、その未来を変えたかったからなの。」
「確かにセザールルートは消えるかもしれません。でも……私が死ぬ可能性だってありましたよね?」
死亡事故が起きる場所へ向かわせた事だけは、どうしても納得できなかった。
「物語の強制力って言ったでしょう?」
トモエは少し寂しそうに笑う。
「私自身、主人公さえいなければって思った事があった。だから何度も死のうとしたわ。でも、どうやっても無理だった。この世界はメインキャラクターを中心に作られている。動かせない運命があるのよ。」
そう言って、トモエは孤児院で遊ぶ子供たちへ視線を向けた。
「あそこにいる女の子。あの子がレオナルド・シャーウッドの母親になるマリアよ。」
トモエに言われた方向を見ると、子供達の中にひときわ美しい少女がいた――。
ブロンドがかったベージュ色の髪が陽の光を受けて揺れている。
年齢はトモエくらいだろうか。
質素なワンピース姿なのに、不思議と目を引いた。
確かに、将来のレオナルドに似ている。
整った目元も、儚げな雰囲気も、そのままだ。
マリアは小さな子供達に囲まれながら、洗濯物を畳んでいた。
幼い子がうまく畳めずに困っていると、隣にしゃがみ込み、一緒に手を動かしている。子供達はそんなマリアに懐いているようで、次々と話しかけていた。
その光景は、どこにでもある孤児院の日常だった。
けれど、私は知っている――。
あの少女が、未来では社交界の悪意に晒され、心を壊し――そして、レオナルドを残して死ぬことを。
陽だまりの中で笑うマリアの姿が、逆に胸を締めつけた。
「でも……そんなに簡単なら、もう運命は変わっているはずですよね。」
私がそう言うと、トモエが苦笑する。
「そう。だから私は、一番最初に試したの。マリアに手を掛けようとした。」
私は息を呑んだ。
「私が制作者だから死ねないと推測したことがあってね。でも、見ての通りマリアは無事に生きてる。残ったのは絶望感とマリアに対しての罪悪感だけ。だから、逆に死亡するエキストラを生かす方法を考えることにしたのよ。」
たった一人で運命を変えようと倫理的ジレンマの中で模索していたトモエをこれ以上責める気持ちにはなれなかった。
私自身、家族が不幸になるのも戦争が起きるのも嫌だ。
この世界に転生した以上、不幸な結末なんて迎えたくない気持ちもある。
この教会に来たのも物語を変えたかったからだ。
「私も協力します。広岡さん。」
「トモエでいいわ。侯爵令嬢が孤児に敬語はやめてちょうだい。」
「それなら、二人の時は私の事もエリカで。」
こうして、【恋蜜】の制作者であり、主人公の母親として転生したトモエと協力して運命を変えていく事になった。




