第32話 政略と恋愛の間~恋となる日には遠すぎて~
王子との婚約――。
貴族なら、断る理由なんてない。家のため、領のため、国のためを考えたら最良の選択。
(それとこれとは、別でしょう?)
前世で、恋愛結婚に憧れていた。
出会って、恋に落ちて、互いを理解して、一緒に生きる未来を選ぶ。それが“当たり前”だと思っていた。
この世界では、それが贅沢だと分かっている。
でも――トモエとブラッドの再会愛を近くで見ていたから、誰かと本気で思い合い、相手を尊重して、家族のような関係に憧れてしまう。
私は、はっきり頷いた。
「お断りします。」
一瞬、空気が止まる。
けれどアイゼンは、驚くどころか――
「やっぱりそう来ると思った。」
むしろ、嬉しそうに笑った。
「……断られる前提だったんですか?」
「半分くらいはね。」
軽い調子でも、視線は外さない。
「君、“そういう顔”してたから。」
この人、ちゃんと私を見ていたんだ。
「貴族なのに、おかしいかもしれませんが…恋愛結婚がしたいんです。」
迷いなく言い切る。
今度こそ、アイゼンは少しだけ目を細めた。
「……なるほど。」
初めて、反応が変わった。
「政略で決められる結婚は、望んでいません。」
即答すると、アイゼンは小さく笑った。
「じゃあ質問を変えよう。」
肘をつき、顎に手を当てる。
「僕を好きになる可能性は?」
直球だった。なんと答えるのが正解なのか。
好きになってはいけない理由なら分かっている。
この物語で、自分の子供達が多くの人を不幸にする未来を知っているから――。
「現時点では、ありません。」
はっきり答える。
――なのに。
「……ゼロではないんだね?」
楽しそうに、そう返してきた。
(え?そこ拾う?!)
「可能性の話をすれば、誰に対してもゼロとは言えません。」
「王太子を十年以上やっているんだ。努力も待つのも得意なんだ。」
にっこり笑う。完全に方向を変えてきた。
「断りましたよね?」
「うん。」
「だから、“婚約”はしない。」
「でも、“好きになってもらう努力”は個人の自由では?」
――詰んだ。
「それ、ずるくないですか?」
「ルール違反はしてないよ。」
さらっと言い切る。
「君が恋愛結婚したいなら、僕はその土俵に上がるだけだ。」
椅子から立ち上がる。
「政略じゃなくて、恋愛で私を選んでもらう。」
軽く微笑み、距離を詰める。
「他の男にも、同じ条件を与えるんだよね?」
空気が変わる。
「……当然です。」
その笑顔が、一瞬だけ消えた。
「じゃあ、負けられないな。」
さっきまでの軽さが消えている。
「君が誰かを好きになる前に――」
視線が絡む。
「僕を選ばせる。」
その言葉は、宣言だった。その言葉は、この物語の“宣告”みたいにも聞こえた。
(……これ、逃げられないやつだ)
私は小さく息を吐いた。
「困ったな。」
そう言いながら、全然困っていない顔で笑う。
「ますます、本気になりそうだ。」
その言葉を最後に、アイゼン王太子は優雅に紅茶を飲み干した。
私はというと――頭の中が混乱している。
(なんなの、この人……。)
婚約者候補とはしない。でも恋愛で落としに来る。しかも本人は、全部正論みたいな顔をしている。
「……もう帰っていいですか?」
「もちろん。ただ、その前に一つ。」
(まだあるの!?)
思わず顔を引きつらせると、アイゼン王太子は静かに微笑んだ。
「交流会の件だ。」
逃がさない気満々だった。
「リップル王国との交流会には、予定通り参加してもらう。」
「今回の交流会は、単なる歓迎会じゃない。向こうは、“米”と“王家の動き”を探りに来る。」
アイゼン王太子は、テーブルの上で指を組んだ。
「だから私は、“フォレスト国は民衆政策で国を強くしている”と見せたい。君が関わった――孤児院支援。衛生改革。地域交流制度。食文化改革。それらが“我が国のブランド戦略”だ。」
その視線が、真っ直ぐこちらへ向く。
「君を前に出すことで、リップル王国側は警戒を緩める。」
アイゼン王太子は、静かに続けた。
「君の行動には、“民のため”という理念が見える。私欲だけで動く貴族とは違う。」
その言葉に、少しだけ息を呑む。
「偽善は、長く続かない。だが君は違う。だから民も動くし、周囲も巻き込まれる。」
真っ直ぐ視線が向けられる。
「今、君の呼び名を知ってるかい?」
(まさか、米炊き女では……。)
「ルフェランの聖女だ。」
「初耳です…。」
実際、ルフェラン領での私の扱いは、“気軽に話しかけられる侯爵令嬢”みたいなものだ。前世で言うなら、地下アイドルに近い。
アイゼン王太子は、さらりと続けた。
「君主と聖女。そういう組み合わせは、昔から民に好まれる。――“ルフェランの聖女が王家に重用されている”――その噂は、国民に安心感を与える。」
そして、にこりと笑う。
「民衆は、そういう分かりやすい物語を好むからね。」
「やっぱり利用してません!?」
「有効活用と言って欲しいな。」
にこやかに返された。
この男、本当に性格が悪い。
「それに君にとっても悪い話ばかりではない。“王家はルフェラン家を重視している”と示せば、ルフェランに続く貴族も出てくる。現に医療に関して、いくつかの領が導入を検討している。」
(……医療が、領地単位じゃなく国に広がり始めてる。)
私は一瞬、言葉に詰まった。
利用している。でも、それだけじゃない。
ちゃんと国の意識を変える計算も入っている。利益だけで動いているように見せて、ちゃんと人の意思を尊重する。
(ずるい……。)
「…という訳で、交流会用のドレスは、後日こちらから送る。」
「待ってください、まだ参加するって――」
「恋愛結婚したいんだろう?」
「は?」
「なら、まずは“交流”を深めないと。」
爽やかな笑顔だった。
(この人、“交流”を便利な言葉だと思ってない!?)




