第25話 黄金の穂
翌日、レインに稲穂のある場所を案内してもらった。
「お庭のはしっこ!りょう(ロウ)と剣の練習でバシャバシャするの!」
(こ……米が雑草のように試し切りされている?!)
おにぎり・丼もの・寿司・雑炊・炊き込みご飯・炒飯・ピラフ・リゾット……。私は、米に飢えていたらしい。頭の中は、米料理一色だった。
屋敷の裏手。普段は誰も気にしない、手入れも最低限の場所。子供が剣を振るにはちょうどいい『空き地』。
「ここ!」
レインが指さす。
――その瞬間、私は足を止めた。
(なぜか……田園風景がある)
レイン達が剣の練習をするたび、稲穂が刈り飛ばされ、黄金色の穂が不規則に散らばっている。
細く伸びた茎。風に揺れる穂。見間違えるはずがない。――米だ。
炊き立ての湯気。白い粒がほどける感触。口に入れた瞬間の、あの甘み。一瞬で、記憶が引きずり出される。
「姉しゃま?」
レインが不思議そうに見上げてくる。
私はしゃがみ込み、一本、そっと手に取る。指先に伝わる感触。重み。
「姉しゃま、それ食べれるの?」
「え?」
思考が一瞬止まる。
レインは、私の手の中の稲をじっと見つめている。
「姉しゃま、美味しいご飯の時の顔してる。これって、美味しいの?」
「……」
(そんな顔してた?)
いや、確かに……米断ちして、ずいぶん経つ。転生しようと関係ない。米文化は、魂に刻まれているのだ。
「ええ、まあ……とても」
正直に答えると、ぱあっと顔が明るくなる。
「やっぱり!じゃあ焼く?ゆでる?」
「待って、どっちも違う」
(いや、間違ってはいないけど!)
「えっとね……これは、そのままじゃ食べられないの」
「えー」
露骨にしょんぼりするレイン。
――だが、問題はそこではない。
この世界に、『米がある』という事実の方が、遥かに重大だ。
私はもう一度、手にした稲穂を見る。指先で軽く撫でると、乾いた感触が返ってくる。粒は小さいが、確かに詰まっている。これが、あの白い粒になる。
(精米……どうする?)
前世で保育園の体験学習で、手作り精米をやったことがある。
あの時は、牛乳パックで脱穀し、すり鉢で籾摺りをして、すりこぎ棒でついて糠を落とした。
……その前に、量が足りない。 この程度では、試すことすらできない。
「レイン」
「なあに?」
「この草、他にも生えてる?」
レインはぱっと顔を上げて、嬉しそうに頷いた。
「いっぱいあるよ!りょう(ロウ)達とばしゃばしゃしてると、すぐ増えるの!」
(増えるのか。完全に雑草なみの繁殖力……)
思わず、遠くを見る。
農業としては破格だ。いや、異常だ。普通は、品種改良だの環境だの、水管理だのと、手間と時間をかけてようやく成立するものなのに。なのに、これは――完全に、雑草扱いだ。
「……全部、刈られてる?」
「うん!じゃまだもん!」
思わず額を押さえた。
(主食が、雑草として処分されている……)
軽く眩暈がする。価値観の差が、あまりにも大きすぎる。私はゆっくりと立ち上がった。
「レイン、この草……全部集めるの、手伝ってくれる?」
「いいよ!」
即答だった。迷いがない。こういうところが本当に助かる。
「なにやら面白そうですね」
背後から声がしたので振り返ると、そこにいたのはルナエクリプスのリーダー兼私の護衛のリアンだった。
(気配消すの、本当にやめて欲しい。)
「ラウル達も呼んでくる!」
戦力は多い方がいい。どうせなら、一気に集めたい。
レインはパタパタと駆けていく。その背中を見送りながら、私はもう一度、足元に広がる稲を見た。
風に揺れる黄金色。踏み荒らされ、切り飛ばされ、それでもなお残っている。
――食料は、安定してこそ意味がある。どこでも生える。勝手に増える。多少雑に扱っても残る。それはつまり――飢饉に強いということ。胸の奥で、何かが静かに噛み合う。
これは、領地を変える。いや――国すら、変えかねない。
「穂を落とさないで!」
「姉しゃま、怖い!」
「エリカ様、レイン様が稲を振り回しています!」
ラウルモンドが冷静に報告する。
「あああっ!駄目!それ食料!」
「雑草でしょう?」
騎士のロウが普通に言った。
私はゆっくり真顔で振り返る。
「米ね」
「はい……(旦那様のような圧だ)」
騎士のロウが若干引いた顔をした。
「それで、これは本当に食えるんですか?」
リアンの質問は単純な疑問なのか、情報収集なのか分からない。
「食べられるわ」
「草だぞ……」
「米です」
「意味が分かりかねるのですが」
「米は文化です」
私は真顔で頷いた。
「炊き立ての白米は、人類を幸せにします」
「規模が大きいですな……」
騎士のロウがぼそっと呟く。
その間にも、レインは楽しそうに稲をぶんぶん振っていた。
「黄金草いっぱいー!」
「レイン、振り回さないで!!」
「きゃっ!?」
ばさばさばさっ、と穂が飛ぶ。
私は反射的に飛び込んだ。
「あああああっ!!」
「エリカ様ー!?」
ラウルモンドが珍しく声を上げる。
地面に膝をついたまま、私は震える手で穂を拾い集めた。
「一粒たりとも無駄にはできないわ……」
「そんなにですか?」
「そうよ」
真顔で答えると、リアンが微妙な顔になった。
「……お嬢様。目が怖いです」
ルフェラン家の面々が黙々と落穂拾いをする中、リアンが途中で、不意に動きが止まった。
「……リアン?」
「少し、立ちくらみが。でも、護衛対象が草に正気を失っているので、休む訳にもいかず……」
「米ね」
「そこは譲らないんですね……」
ふらり、と身体が傾く。
「リアン!?」
ロウが即座に支えた。
「お前、雑草集めで倒れるなんて、どこの深窓騎士だ?」
「ロウ、米ね」
その横で、ラウルモンドが静かに呟いた。
「……ですが、本当に食べられるのであれば。これだけ雑に育つのは、かなり異常です」
その一言で、少し空気が変わった。
騎士のロウも、地面に広がる黄金色を見下ろす。
「……確かに」
踏まれても、刈られても、また生える。
手間もかからず、増え続ける。
「兵糧向きか」
木陰で休んでいた『深窓騎士』ことリアンが、ぽつりと呟く。
私は思わず、にやりと笑った。
「でしょう?」
風に揺れる黄金色を見つめながら、私は静かに確信する。
――この日、ルフェラン家の『雑草』は、初めて『作物』となった。




