閑話 ~欠けていた運命のピース~
※閑話です。
マリアが“家族”になるまでのお話。
妻セリーナが、あの少女に惹かれたのは一目で分かった。
子供を亡くしてから、彼女は変わってしまった。
セリーナは活発で、少し男勝りで、よく笑う女性だった。
私より家格の高い生まれで、結婚が決まった時には「尻に敷かれるぞ」と散々からかわれたものだ。
――それでも、構わなかった。
そういう彼女を、好きになったのだから。
子供を授かった時、彼女は誰よりも幸せそうに笑っていた。
まだ見ぬ我が子に話しかける姿を、今でも鮮明に覚えている。
だからこそ、子供を亡くした日の彼女が忘れられない。
泣き崩れ、取り乱し、涙が枯れると、今度は何かがすっと抜け落ちたように静かになる。
そんな日々が、何度も繰り返された。
慰めの言葉は意味を持たず、時間が解決するのだと分かっていても、その"時間"がいつ訪れるのかは誰にも分からない。
私は、ただ待つことしかできなかった。
◇
義兄から養子を迎えたと聞いた時も、正直どこか遠い出来事のように思っていた。
姪のエリカが教会や孤児院の運営に関わっていることは耳にしていたが、踏み込む理由もなければ、踏み込むべきでもないと思っていた。
――あの日までは。
◇
教会へ足を踏み入れた瞬間、歌声が聞こえた。
子供たちの澄んだ歌声。
その中に、一人だけ心を揺さぶる声が混ざっている。
自然と視線が向く。
そこにいたのは、一人の少女だった。
私に似たブロンドがかったベージュ色の髪。出会った頃のセリーナを思わせる、柔らかな面差し。
――もし、あの子が生きていたなら。
そんな考えが、頭をよぎる。
口には出せない。
出してはいけない。
隣を見ると、セリーナの足が止まっていた。
何も言わない。
だが、その横顔を見れば分かる。
あの子に何かを感じたのは、私だけではなかった。
彼女の瞳が、確かに揺れていた。
◇
「……あなた、名前は?」
あれほど長く、自分から何かを求める言葉を発しなかったセリーナが声をかけた。
「……マリア、です」
その名前を聞いた瞬間――
心臓を、鷲掴みにされたような感覚がした。
――“マリア”。
偶然だ。分かっている。
それでも、亡くした子に付けようとしていた名を聞かされて、何も思わないほど、私は出来た人間ではない。
都合の良い白昼夢だと、理解している。
でも、夢見てしまう。
セリーナも、同じだった。
私は、そっと肩に手を置く。
「大丈夫だ」
それ以上は言わない。
ここから先は――彼女自身の問題だ。
彼女が望むなら、私はこの“夢”に付き合うつもりだ。
◇
藤色のドレスを纏ったセリーナ。
淡いラベンダーのドレスを着たマリア。
二人が並んだ瞬間、私は思わず息を呑んだ。
血の繋がりはない。
それなのに、他人とは思えない。
そこに並ぶ理由があると、誰もが納得してしまう光景だった。
姪のエリカが並べば、まるで姉妹のようにも見える。
――なるほど。
私は心の中で小さく頷いた。
言葉よりも、形の方が人の心を動かす。
あの子は、それを分かっている。
◇
「お兄様が養子を迎える発表をするのだから、私たちもそこで発表しましょう!」
セリーナが言った。
かつての彼女だ。
人を振り回しながらも、真っ直ぐに決断する女性。
ならば、答えは一つしかない。
私は小さく息を吐いた。
「君が決めたのなら、私は従うよ」
そう告げると、彼女はほんの少しだけ口元を緩めた。
その笑顔は、昔の彼女そのものだった。
――それで十分だ。
セリーナが笑うのなら。
私は、いくらでも尻に敷かれよう。
それが、私の役目なのだから。
◇
私に出来ることは、多くない。
孤児院での手続きを進めるくらいだろう。
シスターに案内され、書類へ目を通す。
マリアは、生まれて間もなく孤児院の前で保護されたらしい。
何気なく視線を落とした日付に、指が止まった。
――私たちの子供を亡くした日。
思わず目を閉じる。
あまりにも出来すぎている。
神の悪戯か。
それとも、運命が用意した巡り合わせなのか。
答えは分からない。
だが、不思議と胸の奥で何かが静かに繋がった。
失われたはずのものが、形を変えて戻ってきたような感覚。
都合のいい解釈だ。
そうだとしても――それでも、構わない。
「……マリア」
小さく、その名を口にする。
誰かが仕組んだ偶然でもいい。
神の導きでもいい。
理由など、もうどうでもよかった。
ただ一つだけ、確かなことがある。
私は静かに結論を出した。
――あの子は、私たちの娘だ。
【あとがき】
「失った悲しみ」を長く抱え続けていたからこそ、マリアとの出会いは“救い”でもありました。
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