結び直された縁
レインの養子お披露目の日。
ロベッタ男爵家一行が到着したのは、昼下がりだった。
玄関前に停まった馬車から降りてきたのは、まず一人の男性―柔らかなベージュ色の髪に、穏やかな眼差し。派手さはないが、落ち着いた品のある佇まい。
ロベッタ男爵、その人だった。
そして、その後ろからゆっくりと降りてきた女性に、私は思わず息を呑んだ。
―セリーナ叔母様。藤色のドレスに身を包んだその姿は、上品で美しい。けれど同時に、どこか“静かすぎる”。
感情を閉じ込めたまま、時間だけが止まっているような―そんな印象。
(…やっぱり、そう簡単じゃない。)
分かっていたことだ。でも、実際に目の前にすると、その“止まったままの時間”の重さがよく分かる。
「ようこそお越しくださいました。叔父様、叔母様。」
私は一歩前に出て、淑女らしく一礼する。
ロベッタ男爵はすぐに柔らかく笑った。
「これはこれは、エリカ嬢。噂以上にしっかりしたご令嬢だ。」
軽やかな口調。場を和ませるのが上手い人だとすぐに分かる。一方で、セリーナ叔母様は、ほんの少しだけ微笑んだ。
「…久しぶりね、エリカ。」
優しい声。けれど、その奥にある感情は薄い。
まだ、“時が動いていない”のだろう。だからこそ―ここからだ。
◇
応接室で一通りの挨拶と形式的な会話を終えたあと、私は自然な流れで話題を切り替えた。
「実は今日、お二人にぜひ見ていただきたいものがあるのです。」
お父様の視線が一瞬だけこちらに向く。
「ほう?」
ロベッタ男爵が興味を示す。
「私が任されたマグノリア教会をぜひ見ていただきたくて…。私がデザインした新素材を使ったドレスもお披露目させてください。」
セリーナ叔母様の指先が、わずかに止まった。
私は何事もないように続ける。
「最近、マグノリア教会にピアノを寄付して、孤児院の子供達が歌の練習をしているのです。まだ拙いですが、とても綺麗な歌声で。ぜひ叔母様にもお聞きいただきたくて。」
ロベッタ男爵が穏やかに頷く。
「それは素晴らしい。セリーナは音楽が好きでね。」
その言葉に、セリーナ叔母様の視線がわずかに揺れた。
◇
マグノリア教会。
白い壁に反射する午後の光。中から聞こえてくるのは、子供達の合唱。まだ不揃いで、けれど一生懸命な声。その中に一人、はっきりと芯のある声が混ざっている。
(マリア。)
視線を向けなくても分かる。
私はあえて何も言わず、ただ扉を開いた。
歌声が、広がる。その瞬間、セリーナ叔母様の足が、止まった。
「…。」
言葉はない。けれど、その目は確実に“何か”を見ていた。
ロベッタ男爵が、そっと隣に立つ。
「…セリーナ。」
優しく名前を呼び、肩を抱く。
それ以上は何も言わない。
◇
歌が終わる。
ぱらぱらと拍手が起こる中、一人の少女がこちらに気づいた。
ブロンドがかった淡いベージュの髪。澄んだ瞳。
―マリアだ。
視線が合うと、一瞬、戸惑い。でもすぐに、きちんと頭を下げた。
私は小さく頷く。
「とても素敵だったわ。」
あえて軽く声をかける。その流れで自然に、セリーナ叔母様の方へと視線を誘導する。
マリアが、そちらを見る。
―止まる。ほんの一瞬。理由は分からないはずなのに、目が離せなくなる“何か”。言葉にできない感覚の中に、確かにあるもの。
◇
「…あなた、名前は?」
セリーナ叔母様が、初めて自分から言葉を発した。
「…マリア、です。」
マリアはきちんと答える。
その名前を聞いた瞬間―
セリーナ叔母様の呼吸が、わずかに乱れた。
「大丈夫だ。」
肩に置かれたロベッタ男爵の手は先ほどよりも力強く支えている。
セリーナ叔母様は、しばらく何も言わなかった。
ただ、マリアを見ていた。―長く。深く。まるで、何かを確かめるように。そして、自分の中にあった何かを思い出すように。
後ろから、ケイトがドレスを抱えて現れた。
「お嬢様、ご用意しておりましたドレスでございます。」
淡いラベンダーと、やわらかなクリームベージュのパフスリーブのワンピース。
同じ形、違う色。私はそれを受け取る。
「マリア、少しこちらへ来て。」
戸惑いながらも、近づいてくる。
「これ、着てみてくれる?」
驚く、マリア。
「これは二人で着るデザインなの。」
マリアは小さく頷いた。
先に姿を見せたのは、マリアだった。
淡いラベンダーのドレス。
肩の部分を丸く膨らませた袖に、身体に自然に沿う柔らかなライン。動くたびに、空気を含むように揺れる。
その後に、私が続く。デザインは同じだが、色はクリームベージュ。
二人で並ぶ。
違う髪色、違う色のドレスのはずなのに。身分も何もかも違う存在のはずなのに。並んだ瞬間、それは“対”として成立する。
セリーナ叔母様が、息を呑む。視線は、ドレスからマリアへ移る。そして、もう一度、全体を見ていた。それは、理解ではなく、“感覚”で。
「どうして…あの子に、見えるの…?」
小さくこぼれた声。問いでも確認でもない。
ただ―セリーナ・ロベッタの止まっていた何かが、動いた音。
ロベッタ男爵が、ゆっくりと口を開く。
「…セリーナ。」
静かに。けれど、はっきりと。
「どうしたい?」
答えは、彼女に委ねる。
長い沈黙。
セリーナ叔母様は、マリアを見る。
過去ではなく。“今、ここにいる存在”として。
「…私のところに、来ませんか?」
静かな言葉。押し付けではなく、マリアに選択肢を与える。
「…。」
マリアは戸惑いながらも私の方をちらりと見た後、頷いた。
「…うん。」
ロベッタ男爵が、小さく息を吐く。
「セリーナが、笑うのであれば。それが答えです。」
柔らかく、けれど揺るがない声。その一言で、この話は“ロベッタ家の決定”になる。
少し離れた場所で、私は息を吐いた。―運命は、もう“書き換えられている”。




