嵐の夜の訪問者
湖で起きた記憶喪失の件から、数カ月という時が流れた。あの日の発言も事故の後遺症として、不敬と罰せられることはなかった。王太子としてのマナーなのか、失言を繰り返した私に気遣い、お見舞いという名目の花が度々届けられ、面会の申し出の手紙が送られてきたそうだが、記憶喪失を理由に断っている間に、形式上の花も手紙も届かなくなった。
私の父親であるエイデン・ルフェラン侯爵は、フォレスト国の外務大臣として王城で勤務している。ルフェラン領は王都に隣接している為、他貴族のように王都のタウンハウスではなく自宅から馬車通勤している。ルフェラン領主としての仕事も家令に押し付けず、休日はほとんど書斎で仕事をしているオーバーワーカー。母親のルアーナ・ルフェランは、隣国リップル王国のイクシード辺境伯家出身。お父様がリップル王国に留学中に二人は出会い、国境と身分差を超えた大恋愛の末で結ばれた夫婦。お母様が嫁いできた時も、国境地に咲く花や木を取り寄せ、敷地内に使用人達の住まいを作り、用水路や畑まで完備させ敷地内に故郷を再現したそうだ。今も仲睦まじい二人は、家にいる時はほとんど同じ部屋で過ごしている。両親の貴族らしくないところは他にもあり、娘に対しても政略結婚も望んでおらず、アイゼンお父様の婚約者候補辞退もあっさり了承してくれた。
転生後の生活は、前世の生活との違いに戸惑いもあったが、堅苦しい貴族ではないルフェラン家の環境が馴染みやすかった事と『エリカ・ルフェラン』に染みついた習慣や知識のおかげで違和感になく過ごせた。ここが『恋蜜』の世界だという事も忘れてしまいそうなくらい…。
或る嵐の夜。
お父様が伝言もなく、帰宅時間過ぎても戻らなかった。ルフェラン邸宅は王都のすぐそばだったが、激しく揺れる木々の音と窓を叩く暴風雨が良くない事を想像させた。お母様は、時間が経てば経つほど落ち着きをなくし、エントランスで右往左往する。主人であるお母様がその場で待つ以上、使用人達も持ち場や帰宅する事もできず、黙って見守っていた。屋敷の時計の鐘が0時を知らせたと同時に、屋敷の前に馬車が止まる音が聞こえた。雨粒を払いながら、家の中に入ってきたお父様は、こんな時間に玄関口で待つ家族と使用人達がいるとは思わなかったようで少し驚いていた。しかし、それ以上に驚いたのは、お父様の帰宅を待っていた私達だった。
お父様の背後から現れたのは、褐色の肌に、ミルクティー色の柔らかそうな髪、アメジストのような瞳の色に整った顔をした異国の雰囲気の漂う三才くらいの幼児だった。その容姿はフォレスト国の民ではないと分かった。お母様も異国人という事もあり、脳裏によぎったのは『お父様の隠し子』という言葉だった。きっと、そこにいた全員がそう思ったに違いない。
「この子に着替えと食事の用意を頼む。」
お父様の言葉に、脳裏に過った言葉を口に出すまいと『お父様の隠し子』疑惑のある幼児の世話の準備を始める使用人達。お母様は、その子を一瞥すると無言のまま部屋に戻り、その後を追うように、お父様が部屋に入って行った。その日の夜は、お父様もお母様も部屋から出てくることなく、幼児を客間に案内した後、使用人達を下がらせた。
私は、自室に戻ると前世の【恋蜜】の内容を思い出していた。ゲーム内では、攻略対象の母親である私は立ち絵すらなく「アンソニーの外見は母親似」という一文でしか出てこなかった。ファンブックでも、家系図に添えられた一言メモには「皇妃の実家ルフェラン侯爵家は、王都近くに巨大な所有地を持ち、フォレスト王国最大のランドン商会に並ぶ高額納税者」という情報しかなく、ルフェラン家の庶子に関する事など記されていなかった。
エリカ・ルフェランとしての知識や情報では、この世界では医学という分野はなく、医師は薬学者・研究員等を経た人を医師という名称で呼んでいる。その為、赤ちゃんを取り上げるのは侍女や出産経験がある者が普通であり、出産時に母親が亡くなるケースや流産も少なくなかった。貴族の中では、跡継ぎ目的で夫人も了承の上、婚外子を迎える事も珍しくない。ルフェランの血筋では、お父様の実妹でハドウィン家に嫁いだ叔母様が、娘を死産で亡くし心を病んでしまった過去がある。叔父様が献身的に支えてくれたおかげで、今では笑顔もみられるが、お父様にとっても忘れられない辛い過去だろう。もし、お母様一筋のお父様がルフェラン家の今後を考えたなら、婚外子というのも考えられないわけではい。でも、お母様の立場で言えば、浮気ではなくても不貞行為と感じられるだろう。
ベッドに寝転び、天蓋を眺めながら物思いにふけっていると、部屋の扉が開き廊下の明かりが差し込んだ。
「誰?」
使用人達も家に戻ったし、お父様やお母様がこんな時間に部屋を訪れた事なんて今までなかった。前世では三十路でも、今は年頃の貴族の女性の部屋に夜更けにくるなんて。恐る恐る明かりの方を見ると小さな影が伸びていた。そこには、ブランケットを引きずり、大きな瞳に涙をため込んだ幼児がいた。私は、慌てて体を起こし、駆け寄った。
「もしかして、トイレ?それとも、怖い夢でも見た?」
言葉が通じないようで、上目遣いでじっと見上げている。前世の保育士の感覚で、そのまま抱っこしてトイレに連れて行った。保育士時代は、このぐらいの子供は片手でも余裕で抱えられたのに、貴族の女性の体力のなさに愕然とする。客間まで連れて行く体力がなかった為、私の部屋で寝かせることにした。布団に入ると腕の中に潜り込んできた。私は、久しぶりに寝かしつけトントンをやってみた。寝かしつけトントンキャリア十年の技法は、転生しても落ちていなかったようで、幼児はスヤスヤと寝息に立てた。この匂い、久しぶりに嗅いだなー。保育園時代のお昼寝の時間を思い出しながら、眠りに落ちた。
その夜、夢を見たー。
保育士だった頃、頑張った子を誉めたら差別だと注意され、色々な可能性を伸ばそうとした試みは小学校受験の邪魔をしていると言われ、ネグレクトと思われる子供をトラブルになるから関わるなら辞職を促され、保育園の方針で、赤がいいという子供に青じゃなきゃいけないというルールを押し付ける。親の考え、家庭環境の違い、保育園の組織体制、その子の未来に責任を取れない立場。誰の顔色も窺わず、自分の思い通りに出来たら、私は子供達に何をしてあげたかったのだろう…。
「エリカ様、おはようございます。」
侍女の声に、うっすら目を開ける。昨日は、寝るのも遅かったせいか、いつも以上に起きるのが辛かった。そして、このホカホカな抱き枕が眠りに呼び戻そうとする。胸元を見るとすでに幼児は起きており、私の髪を遊ぶように触っていた。朝の支度を済ませるとダイニングに向かう。侍女には止められたが、筋トレも兼ねて幼児を抱いて入ると、すでにお父様とお母様が席に座っていた。張り詰める空気と使用人達の様子からも、二人は険悪ムードという事は見て取れた。
「おはようございます。」と私の挨拶をきっかけに両親の夫婦喧嘩が始まった。
「エリカ、おはよう。その子の面倒を見ているようだな。君も少しは協力的になって欲しいものだな。」
「まあ、エリカだっていきなり弟がいると言われたら混乱しますわ。」
「エリカの弟とは、どういう事だ?」
「あなたが仰ったではありませんか『あの子のいる意味分かるか?』と。」
「違う!私は『あの子が言う意味分かるか?』と聞いたのに君が勘違いしたのだろう。」
「だとしたら、もっと早く訂正してくださいよ。」
「いる意味」と「言う意味」の聞き間違えから起きた痴話喧嘩。そこから、急なイチャつきは娘としては気まずいが、使用人達は両親の通常運転に安堵したようだった。執事が軽く咳払いをすると、皆を代表するかのように口を開く。
「旦那様、それでは、この子は一体…。」
「昨晩の嵐で、港付近に船舶座礁した船が一隻見つかったが、破損が酷く、どこの国の船か分からなかった。積み荷すらない船内の貨物室に、この子だけがいたのだ。」
お父様の話では、近隣国にも問い合わせをしている最中だが、各国とも昨夜の嵐の被害の対応で連絡を取ることが難しくなっているようだ。目鼻立ちが整い方、褐色の肌色やアメジストの瞳の色は、大陸南部の隣国リップル王国の民の特徴に当てはまる為、取り急ぎ、外国語が堪能な妻を持つお父様が仮の身元引受人になったらしい。
お母様がいくつかの質問を母国語で話しかけると、その子は首を振りながら、ここに来て初めて一言だけ喋り、私に抱きつくようにドレスに顔を埋めた。その様子に慌てて、使用人達が引き離そうとしたが、私はそれを止め、抱き返した。大きな目で私を見上げる姿に、庇護欲がかき立てられる。
「お母様、この子はなんて言ったの?」
「『何も分からない』そうよ。」
数か月前、前世を思い出した私が記憶喪失になったせいか、その場にいた者は幼児に同情した。特に、お母様は同郷の子供が母国語しか分からない状態で、外国に一人でいる事が不憫に思い涙目になっていた。お母様の姿に何かを感じ取ったお父様は決意したようで、ルフェラン家が正式に身元引受人になる事になった。
「身元引受人なる以上、この子に名前が必要になるな。この子はエリカに懐いているし、エリカが決めなさい。」
お父様の問いかけに、幼児の顔をまじまじと見ると、一瞬、【恋蜜】のキャラクターが過ったが、不吉なので別の名前にした。
「雨の日にルフェラン家に来てくれたから『レイン』なんて、どうですか。」
この世界では、昨晩の嵐のような日の方が珍しく、通常、雨は『恵の雨』とされている。この子には、雨の日に悲しいことを思い出すのではなく、雨がルフェランという新しい家族と巡り合わせてくれたと思えるようになって欲しい。そういう意味でも『レイン』という名前を提案した。
「素敵です!」
一番先に、称賛してくれたのは侍女のターニャだった。侍女のターニャはお母様がルフェラン家に嫁ぐ際に一緒に隣国リップル王国から来てくれたメイドだ。お母様の乳母の娘で二人は幼少期は姉妹のように育ったらしい。祖国では貴族の姓もあったのにお母様の為に一緒にフォレスト国に移り住み、ルフェラン家に仕えている。異国から移り住んだターニャも同じ気持ちだったのだろう。
「うちの子なんて、私が逢ったこともない人の名前を掛け合わせですよ。産んだのは、私なのに。夫にもエリカ様のようなセンスが欲しかったです。」
お母様が、その子に再び話しかける。何を話しているのかは分からなかったが『レイン』という言葉だけは分かった。お母様の話が終わると、ニコリと笑顔を見せ頷く。どうやら、気に入ってくれたようだ。
幼いレインの順応性が高く、ルフェラン家にもすぐに馴染んだ。フォレスト国の言葉が話せない分、目で訴えるような仕草が多く、子供らしからぬ無口さと庇護欲を高めるような上目遣いに大人達はメロメロになり可愛がった。船の事故のトラウマなのか一人でいることを怖がり、レインは私の側から離れようとしない。レインの問題はそれだけではなく、食が細く体幹が安定していなかった。日中は外で遊ばせて、食事は少しずつ食べられる物を増やすために育計画も立てなくちゃ。私はレインの発育記録をつけていく事にした。
湖の事故以来、書かなくなっていた日記帳が部屋にあるのを思い出したので、そこに記そうとページを開くと、前世の記憶を取り戻す前日までの様子が綴られていた。転生後、ある程度のエリカ・ルフェランとしての記憶が戻っていたが、事故以前の記憶だけがどうしても思い出せなかった。日記には、その空白の時の様子があった。
〇月×日
今日、屋敷を抜け出してトモエに会いに行った。トモエが私のつけていたブローチが欲しいと言ったので、プレゼントした。
〇月×日
今日、トモエに会いに行った。トモエが着る洋服がないと言っていたから私の服をプレゼントした。
〇月×日
今日、トモエと買い物に出かけた。ターニャも護衛も付けずに街に出かけるなんて他のご令嬢は経験できない事。すごくドキドキした。トモエが欲しいと言っていたものを内緒で買ってプレゼントした。
〇月×日…(前世の記憶を取り戻す前日)
明日は、殿下と婚約者候補として初の顔合わせの日。トモエの言う通りに、王家所有の湖をお見合い場所に希望したけれど、ボートに何があるのかな。
日記には『トモエ』という人物がよく出てきた。そして、日記というよりも貢ぎ物帳簿のような内容。前世の記憶とエリカとしての記憶が一つになっていく中で、あれがない、これがないという物がいくつかあった。私は記憶の混在として片づけていたが、記録によると『トモエ』に貢いでいたようだ。一体、『トモエ』とは誰だろう?何より気になったのが日記の最後の日付の内容だ。湖に行きたがった理由は『トモエ』が勧めたからだった。ヒモ関係の間柄でも、自分の進めた場所で事故にあったら、心配するふりくらいするのでは?
しかし、この数カ月届いていた手紙の差出人に『トモエ』という名前に該当する者はなく、訪問者もいなかった。ターニャに聞いても、そのような友人の名前は知らないようだった。もしかして、アイゼンお父様と婚約しないように向けられた刺客かも…王子様の婚約者を暗殺するシーンが頭に浮かんだ。
「やっぱり、アイゼンお父様に近づかないのが身の為だわ。」
私は、そっと日記を元の位置に戻し、新しいノートにレインの成長記録を残すことにした。
月日は流れ、レインと名付けた幼児は、リップル王国出身のお母様やターニャからフォレスト国の言葉を学び、簡単なフォレスト国の言葉が話せるようになった。一緒に聞いていた私もリップル王国の日常会話程度が話せるようになり、レインとは二つの言語を混ぜ合わせながらコミュニケーションを取れるようなった。
公の場では、レインの身元引受人という立場のルフェラン家だったが、両親はこのまま身寄りが見つからない場合は養子も視野に入れているようで、使用人達もそのように接するようになっていた。前世の記憶を思い出した私は、前世+実年齢ではお母様より年上になってしまい、レインに対して弟というより我が子という感覚が近かった。まだ正式な養子ではない為、レインには世話係がおらず、私は保育士時代の知識を活かしながらレインの子育てに奮闘した。ぐずる日が続いたり熱を出す日もあったり、育児の大変さを実感したが、使用人達が代わる代わる世話をしてくれたおかげで、レインを可愛いという気持ちだけで毎日が過ごせた。




