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ママじゃない~攻略対象の母に転生したので、破滅エンドを潰します~  作者: めそこここ
恋蜜《こいみつ》は乙女ゲームより奇なり

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第2話 嵐の夜の訪問者

 その夜は、屋敷中が落ち着きを失っていた。


「まだ旦那様は戻られないのですか?」

「王都の城門はすでに閉まっています……。」


 使用人達の不安そうな声が廊下に響く。


 湖で記憶を失ってから、数か月。

 私はルフェラン侯爵家で静かな日々を送っていた。

 婚約者候補を辞退したことで、アイゼン王太子からは見舞いの花や手紙が何度か届いたが、記憶喪失を理由に断り続けるうちに、それも途絶えた。


 お父様――エイデン・ルフェラン侯爵は、フォレスト国の外務大臣として王城へ通っている。

 普段なら、どれだけ仕事が長引いても必ず連絡を寄越す人だ。

 だからこそ、連絡もないまま帰宅時間を過ぎている今夜は、誰もが胸騒ぎを覚えていた。


 窓の外では暴風雨が木々を揺らし、雷鳴が夜空を裂いている。


 お母様は何度も玄関へ向かっては外を眺め、落ち着かない様子で部屋を行き来していた。

 そんな姿を見るのは初めてだった。

 普段のお母様なら、お父様が休日を書斎へ籠もれば、自分も本を持って隣に座るような人だ。


 二人は恋愛結婚で結ばれた、誰もが羨むおしどり夫婦。

 だからこそ、この沈黙が恐ろしかった。


 屋敷の時計の鐘が深夜十二時を知らせたと同時に、屋敷の前に馬車が止まる音が聞こえた。


 雨粒を払いながら、家の中に入ってきたお父様は、こんな時間に玄関口で待つ家族と使用人達がいるとは思わなかったようで少し驚いていた。


 しかし、それ以上に驚いたのは、お父様の帰宅を待っていた私達だった。


 お父様の背後から現れたのは、褐色の肌に、ミルクティー色の柔らかそうな髪、アメジストのような瞳の色に整った顔をした異国の雰囲気の漂う三歳くらいの幼児だった。


 その容姿はフォレスト国の民ではないと分かった。


 お母様も異国人ということもあり、脳裏によぎったのは、『お父様の隠し子』という言葉だった。


 きっと、そこにいた全員がそう思ったに違いない。


「この子に着替えと食事の用意を頼む。」


 お父様の言葉に、脳裏に過った言葉を口に出すまいと『お父様の隠し子』疑惑のある幼児の世話の準備を始める使用人達。


 お母様は、その子を一瞥(いちべつ)すると無言のまま部屋に戻り、その後を追うように、お父様が部屋に入って行った。


 ◇


 その日の夜は、お父様もお母様も部屋から出てくることはなく、幼児を客間に案内した後、客間には夜番を置き、他の使用人達を下がらせた。


 私は、自室に戻ると前世の【恋蜜(こいみつ)】の内容を思い出していた。


 ゲーム内では、攻略対象の母親である私は立ち絵すらなく、「アンソニーの外見は母親似」という一文しかなかった。ルフェラン家についても、ファンブックには家系図程度の情報しか載っていない。


 エリカ・ルフェランとしての知識では、この世界の出産は今より危険だった。母子ともに命を落とすことも珍しくなく、跡継ぎを残すため、夫人の了承を得て婚外子を迎える貴族もいる。

 お父様の実妹も、かつて死産で心を病んだ過去があった。

 もし、お母様一筋のお父様がルフェラン家の未来を考えたのなら、婚外子という選択もあり得なくはない。


 でも、お母様の立場なら、それは浮気ではなくても裏切りに感じるだろう。

 

 ベッドに寝転び、天蓋を眺めながら物思いにふけっていると、部屋の扉が開き、廊下の明かりが差し込んだ。


「誰?」


 恐る恐る扉を見ると、小さな影が立っていた。

 客間から持ち出したのであろうブランケットを引きずり、大きな瞳いっぱいに涙をためている。


「……一人で来たの?」


 幼児は答えず、ただ私を見つめていた。

 ああ、この目。

 保育士時代、何度も見てきた。


『怖い。』


 まだ言葉にできない子どもが、一番最初に向ける目だった。


「大丈夫。」


 私はゆっくり膝をつき、両腕を広げる。


「おいで。」


 その一言だけで十分だった。

 幼児は堰を切ったように駆け寄り、私へしがみつく。

 小さな身体が震えている。


「怖かったね。」


 背中を一定のリズムで撫でる。

 泣き止ませようとはしない。

 まずは『大丈夫』と身体で覚えてもらう。

 それが乳幼児には何より大切だった。


 言葉が通じない以上、まず確認する。


「お腹?」

「トイレ?」

「寒い?」

「痛いところは?」


 ジェスチャーを交えながら、一つずつ表情を見ながら確かめる。


 保育士時代は、このぐらいの子供は片手でも余裕で抱えられたのに、貴族の女性の体力のなさに愕然とする。

 客間まで連れて行く体力がなかったため、私の部屋で寝かせることにした。


 私はベッドへ腰掛け、小さな背中を一定の速さで優しく叩く。


 トン……トン……トン……。


 保育士として十年間。

 昼寝の時間だけでも、何人もの子どもを寝かせてきた。

 抱き方も、叩く速さも、呼吸を合わせるタイミングも身体が覚えている。

 幼児の震えが少しずつ収まり、呼吸が深くなっていく。


 やがて安心しきったように、胸元へ顔を埋めたまま眠ってしまった。


「おやすみ。」


 私は思わず微笑む。


(この匂い……久しぶり。)


 ミルクと石鹸が混ざったような、小さな子ども特有の匂い。

 保育園のお昼寝の時間を思い出しながら、私も静かに目を閉じた。


 その夜、保育士だった頃の夢を見た――。


 頑張った子を褒めたら、差別だと言われた。

 可能性を伸ばす試みは、受験の邪魔だと言われた。

 ネグレクトを疑えば、辞職を促された。


 (誰の顔色も窺わずに出来たなら、私は何をしてあげたかったのだろう。)


 目が覚めた時、腕の中に小さな温もりがあった。


 ◇


「エリカ様、おはようございます。」


 侍女の声に、うっすら目を開ける。

 昨日は、寝るのも遅かったせいか、いつも以上に起きるのが辛かった。そして、このホカホカな抱き枕が眠りに呼び戻そうとする。

 胸元を見るとすでに幼児は起きており、私の髪を遊ぶように触っていた。


 朝の支度を済ませ、ダイニングに向かった。


 侍女には止められたが、筋トレも兼ねて幼児を抱いて入ると、すでにお父様とお母様が席に座っていた。


 張り詰める空気と使用人達の様子からも、二人は険悪ムードだ。


「おはようございます。」と私の挨拶をきっかけに両親の夫婦喧嘩が始まった。


「エリカ、おはよう。その子の面倒を見ているようだな。君も少しは協力的になって欲しいものだな。」


「まあ、エリカだっていきなり弟がいると言われたら混乱しますわ。」


「エリカの弟とは、どういうことだ?」


「あなたが仰ったではありませんか『あの子のいる意味分かるか?』と。」


「違う!私は『あの子が言う意味分かるか』と聞いたのに君が勘違いしたのだろう。」


「だとしたら、もっと早く訂正してくださいよ。」


 『いる意味』と『言う意味』の聞き間違えから起きた痴話喧嘩。

 そこから、急なイチャつきは娘としては気まずいが、使用人達は両親の通常運転に安堵したようだった。


(今のは見なかったことにしようね。)


 こっそり幼児の顔ごとそらすと、不思議そうに私を見上げた。


 執事が軽く咳払いをすると、皆を代表するかのように口を開く。


「旦那様、それでは、この子は一体……。」


「昨晩の嵐で、港付近に座礁した船が一隻見つかったが、破損が酷く、どこの国の船か分からなかった。積み荷すらない船内の貨物室に、この子だけがいたのだ。」


 お父様の話では、近隣国にも問い合わせをしている最中だが、各国とも昨夜の嵐の被害の対応で連絡を取ることが難しくなっているようだ。


 目鼻立ちの整い方、褐色の肌色やアメジストの瞳の色は、大陸南部の隣国リップル王国の民の特徴に当てはまるため、取り急ぎ、外国語が堪能な妻を持つお父様が仮の身元引受人になったらしい。


 お母様がいくつかの質問を母国語で話しかけると、レインはしばらく黙っていた。それから小さく首を振り、ただ一言答えた。そして——私のドレスに顔を埋めた。


 その様子に慌てて、使用人達が引き離そうとしたが、私はそれを止め、抱き返した。

 小動物みたいに大きな目で私を見上げる姿に、庇護欲がかき立てられる。


「お母様、この子はなんて言ったの?」


「『何も分からない』そうよ。」


 数か月前、前世を思い出した私が記憶喪失になったせいか、その場にいた者は幼児に同情した。


 特に、お母様は同郷の子供が母国語しか分からない状態で、外国に一人でいる事が不憫に思い涙目になっていた。

 お母様の姿に何かを感じ取ったお父様は決意したようで、ルフェラン家が正式に身元引受人になることになった。


「身元引受人になる以上、この子に名前が必要になるな。この子はエリカに懐いているし、エリカが決めなさい。」


 お父様の問いかけに、幼児の顔をまじまじと見ると、一瞬、【恋蜜(こいみつ)】のキャラクターが過ったが、不吉なので別の名前にした。


「雨の日にルフェラン家に来てくれたから『レイン』なんて、どうですか?」


 この世界では、昨晩の嵐のような日の方が珍しく、通常、雨は『恵の雨』とされている。


 この子には、雨の日に悲しいことを思い出すのではなく、雨がルフェランという新しい家族と巡り合わせてくれたと思えるようになって欲しい。


 そういう意味でも『レイン』という名前を提案した。


「素敵です!」


 一番先に称賛してくれたのは侍女のターニャだった。


 ターニャは、お母様がリップル王国から嫁いだ際、一緒に来てくれた侍女だ。異国で暮らす苦労を知る彼女だからこそ、「レイン」という名前を誰よりも喜んでくれたのだろう。


「うちの子なんて、私が逢ったこともない人の名前を掛け合わせですよ。産んだのは私なのに。夫にもエリカ様のようなセンスが欲しかったです。」


 お母様が、その子に再び話しかける。何を話しているのかは分からなかったが『レイン』という言葉だけは分かった。


 レインは小さく笑った。その笑顔を見たのは、それが初めてだった。


(ああ、この子は笑えるんだ。)


 胸の奥が、じんわりと温かくなった。



 幼いレインの順応性が高く、ルフェラン家にもすぐに馴染んだ。


 フォレスト国の言葉が話せない分、目で訴えるような仕草が多く、子供らしからぬ無口さと庇護欲を高めるような上目遣いに大人達はメロメロになり可愛がった。


 船の事故のトラウマなのか一人でいる事を怖がり、レインは私の側から離れようとしない。レインの問題はそれだけではなく、食が細く体幹が安定していなかった。


 保育士だった私には、栄養不足と長く不安定な環境で育った子どもの特徴に見えた。

 焦る必要はない。

 少しずつ、この子のペースで育てていけばいい。

 レインの発育記録をつけ始めた。



 ふと、湖の事故以来開いていなかった日記帳を手に取った。そこに記そうとページを開くと、前世の記憶を取り戻す前日までの様子が(つづ)られていた。


 転生後、ある程度のエリカ・ルフェランとしての記憶が戻っていたが、事故以前の記憶だけがどうしても思い出せなかった。

 日記には、その空白の時の様子があった。


 〇月×日

 今日もトモエに会った。

 ブローチをプレゼントした。


 〇月×日

 今日も会った。

 洋服を欲しいと言われたので渡した。


 〇月×日

 今日も会った。

 また欲しい物があると言っていた。


 ページをめくっても、同じような記述ばかり。


「……これ、日記じゃない。まるで、貢ぎ物帳簿だわ!」


 楽しかったことも。

 嬉しかったことも。

 悲しかったことも。

 何一つ書かれていない。


 あるのは……


『トモエが欲しいと言った。』

『トモエに渡した。』


 それだけだった。


 私は部屋を見回した。

 前世の記憶を思い出した時、


「あれ?」


 と思った物がいくつもあった。

 お気に入りだったはずのブローチ。

 ドレス。

 髪飾り。

 全部、

 日記の中では

 トモエにあげたことになっている。


 最後の日記。

 〇月×日

 明日は殿下との顔合わせ。

 トモエの言う通り、

 王家所有の湖を希望した。

 ボートに何があるのかな?


「……待って。」


 背中が冷えた。

 湖へ行くと言い出したのは、

 私じゃない、トモエだった。


(偶然?それとも——。)


 私は事故だと思っていた。

 でも、もし違うなら……。

 私は急いで、お見舞いの手紙を入れていた箱を開いた。


 アイゼン王太子。

 王宮。

 ルフェラン家の親戚。

 友人。


 何度確認しても、トモエだけが存在しない。


 ターニャに聞いても、


「そのようなお名前のお友達はいらっしゃいませんでした。」


 と首を傾げられた。


「……トモエ。」


(誰なの……?)


 あなたは、本当に私の友達だったの?


 それとも——。


 私は静かに日記を閉じた。

 この世界で、一番警戒しなければならない相手の名前を目に焼きつけながら。


(もし、あの事故が偶然じゃなかったとしたら……。)


 私は、そっと日記を元の位置に戻し、新しいノートにレインの成長記録を残すことにした。



 月日は流れ、レインと名付けた幼児は、リップル王国出身のお母様やターニャからフォレスト国の言葉を学び、簡単なフォレスト国の言葉が話せるようになった。


 一緒に聞いていた私もリップル王国の日常会話程度が話せるようになり、レインとは二つの言語を混ぜ合わせながらコミュニケーションを取れるようになった。


 公の場では、レインの身元引受人という立場のルフェラン家だったが、両親はこのまま身寄りが見つからない場合は養子も視野に入れているようで、使用人達もそのように接するようになっていた。


 前世の年齢を合わせれば、お母様より年上になってしまう私は、レインに対して弟というより我が子という感覚が近かった。


 まだ正式な養子ではないため、レインには世話係がおらず、私は保育士時代の知識を活かしながらレインの子育てに奮闘した。


 ぐずる日が続いたり熱を出す日もあったり、育児の大変さを実感したが、使用人達が代わる代わる世話をしてくれたおかげで、レインを可愛いという気持ちだけで毎日が過ごせた。


 あの時の私はまだ知らなかった。


 レインとの穏やかな日々の裏で、トモエとの再会が、平穏な日常を壊すまでは――。

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