閑話~間に合わなかったもの、間に合ったもの~
子供の成長は早いー。
その言葉の通り、私の息子ブラッド・スタールは大人びていた。いや、違う。私の記憶の中に、“子供だったブラッド”がいないのだ。
ブラッドが生まれた日。私は医師として急患の元へ駆けつけていた。その後もあの子の顔を見るのは寝顔ばかり。いつ歩けるようになったのかも知らない。気づけば歩いていて、見慣れない私の姿を見てこう言った。
「…お父様?」
その一言に何も返せなかった。
妻から聞く話では素直で優しい子らしい。
仕事が落ち着いたら、いつか時間をとって向き合おう。そう思いながら、私は“そのいつか”を先延ばしにして、月日ばかりが流れていった。
王妃殿下毒殺事件。
担当医に命じられた私は、命を狙われる立場となった。家に戻れば、家族も巻き込む。だから、私は王城に留まった。
ー長い月日の間、家に戻ることはなかった。
王城での時間。唯一、家族を思い出せる時間は、護衛の騎士と酒を酌み交わす時だけだった。彼は平民の娘と恋に落ち、家族に反対されながらも結婚し、娘がいるという。真っすぐで愚直で良い男だった。いつからか私達は冗談を言い合うようになる。子供同士を許婚にしようという話もしていた。互いの家族が顔を合わせる日を笑いながら想像した。
ーそんな未来がいつか来ると、本気で思っていた。
あの日までは。
王妃殿下の容態が寛解に向かい始めた頃。
私は奇襲を受けた。彼は私を庇いながら戦った。援軍が来た時には、彼は致命傷を負っていた。
「死ぬな!今、助けてやるから!」
私は叫び、必死に傷口を止血をする。
「…妻と…娘を…頼む…。」
それが最後の言葉だった。
彼の亡骸は彼の実家に引き取られた。葬儀は私も参列した。彼の家は、彼の心残りすべてを拒絶した。
私は、彼が遺したものを探すことにした。…それが、私にできる唯一の償いだと思ったからだ。仕事の合間や休日を使って、友人の遺族を探し出すことに憑りつかれるようになっていた。家庭を顧みず、家庭内が冷え切っていた事にも気がつかなかった。
ある日、やっと掴めた情報で友人の妻の行方が分かった。彼の妻は、すでに亡くなっていて、娘は施設に出された後だった。すでに、どこにいるのかも分からない。遅すぎた。
「父上。」
その時、声をかけてきたのはブラッドだった。いつの間にか、背は伸び、私の呼び方も“お父様”から変わっていた。
「あなたのやっている事は立派です。でも、失ってから気づいても、取り返しのつかないことがあるんですよ。」
その言葉で、私は初めて知った。私が遺族探しに夢中になっている間に、妻が病に伏せていた事を…気づけなかったのだ。家にいながら、いなかったのと同じだった。
私は心を入れ替えた。友人の娘は探すのは変わらない。ただ、家族を見失わないと決めた。妻と再び話すようになり、妻を治療したのが息子であるブラッドだと知った。ブラッドは独学で医学を習得しただけではなく、我が家の貯蔵庫だった地下室を研究室に変え、「手洗い、うがい、換気」という新しい習慣を根付かせていた。
私が知らない間に、あの子は、すでに“医師”になっていた。
ブラッドが王立学園に通い始めてからは、私はブラッドを現場に連れて行くようになった。息子としてではなく、医療従事者として扱った。ブラッドは父親として立ててくれるが、実際は同僚のような関係だった。新しい知識や既存に囚われない発想は、医師としても学びがあった。
私が親としてあの子にしてやれることは、もうなかった。
ブラッドがルフェラン侯爵家と協力し、民間にも医療を広げたいと言い出した時―
私は、思った。まだ、父親として出来ることが残っているのではないかと。
息子の夢を実現させるために、私は動いた。
かつて共に学び、共に命を救ってきた医師達へ連絡を取る。事情を話し、協力を要請する。彼らは一様に驚き、そして、笑いながら言った。
「お前がそこまで言うならな。」
誇りを持った医師達だった。だからこそ、“救える命が増える”という話を断る者はいなかった。
気づけば、私は走り回っていた。
かつて、仕事を理由に家族から逃げていた私が、今は“家族のために”動いている。
少しは。ほんの少しは――
父親として、役に立てただろうか。
ある日、友人の忘れ形見である娘がようやく、見つかった。灯台下暗し、とはこのことだろう。マグノリア教会の孤児院にいた。
ブラッドは以前から、その娘―トリーを見つけても結婚はしないと頑なに拒否していた。だから、私も妻も見つけたなら、養子として迎える事にして、ブラッドに無理強いはすまいと決めていた。
だが、マグノリア教会へ向かうその日、ブラッドが言った。
「…私も行きます。」
少し、意外だった。義妹ができることを喜んでいるのかと、その時は思った。
対面した瞬間、その認識は、音を立てて崩れた。
ただ、引き寄せられるように抱き合う二人、
まるで、今生の別れを越えて、ようやく再会した恋人のようだった。
その光景を見て、私は理解した。養子ではなく、この二人は―夫婦になる。
教会関係者が慌ただしく書類を用意する中。
私は静かに、内ポケットへ手を入れた。取り出したのは、ひとつのロケットペンダント。亡き友から預かったものだ。
「…どうやら、約束が叶いそうだ。」
誰に届くわけでもない言葉を、空へ向ける。
当然、返事はない。
視線の先、教会の女神像が―どこか、穏やかに微笑んでいるように見えた。




