表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

18/29

奇跡じゃない奇跡

 スタール男爵がトモエを引き取りの手続きの為にシスターと席を外す。教会の応接室の空気が、張り詰める。


「疫病の話をしよう。」


 ブラッドの一言で、トモエの表情が完全に切り替わった。


「で? どうするつもり? この世界、医療なんてほぼ存在しないのよ。対症療法すら怪しいレベルよ。」


「ああ、だから作ったんだ。」


 間髪入れず、ブラッドは言い切った。


「薬を。」


 沈黙。トモエがゆっくりと目を細める。


「…何を言ってるのか分かってる?」


 低い声で、確認ではなく否定するかのように呟く。


「分かってるよ。」


「この世界は魔法はないの。神に祈って奇跡が起こる世界でもない。これから起きる疫病は、普通に人が死ぬ病気なのよ?」


「だからだよ。」


 ブラッドは懐に手を入れ、小さな瓶を取り出した。机の上に、コトリと置く。中には、白く濁った液体。不気味なほど静かに揺れている。


「“魔法や奇跡じゃない方法”で止める。」


「何それ。」


 トモエの声が低くなる。試すような響き。


「抗生物質だよ。」


 この世界には、まだ存在しない薬品に、トモエの眉が動く。


「…説明して。」


 ブラッドは机の上に瓶を置いた。


「疫病としか【恋密こいみつ】では触れられない。ただ、この作品を手掛けていた時、当時のトモが観ていたドラマを思い出した。」


「…ペニシリンを作り出す?」


「そう。この世界は前世の広岡巴(ヒロオカ トモエ)の頭の中が反映されている。」


 トモエの目がわずかに見開かれる。


「トモ、茄子をナスビって言ってだろ?この世界の茄子の名称は『ナスビ』だ。そういう些細なトモの癖みたいなものがこの世界にあったんだ。」


(そこまで再現してるの…?)


 トモエの呼吸が止まる。


 ブラッドは指を折るように数えながら続ける。


「それだけじゃない料理の偏りや言葉の選び方とか、あと―…。」


 ブラッドは、少し笑った。


「設定の“穴の開け方”とかな。」


「…。」


 トモエは何も言えなくなる。ブラッドは静かに言った。


「“再現できる知識”は、そのまま使えるってな。」


 トモエの指が、わずかに震える。


「…そんなの、反則でしょ。」


「そうかもな。」


 あっさり肯定する。


「俺達が持っている情報を使わなきゃ、多くの人が死ぬ。」


 その一言で、空気がまた変わった。逃げ場がなくなる。トモエはゆっくりと瓶を手に取り、光にかざす。濁った液体が、鈍く揺れる。


「…これ、本当に効くの?」


「人体実験はしたさ。」


 トモエの目が跳ねる。


「ちょっと…誰に使ったのよ。」


 ブラッドは少しだけ間を置いた。


「俺。」


 空気が凍る。


「軽い感染症になった時に試した。」


「バカなの!?」


 思わず声が跳ねた。


「失敗したら、死ぬかもしれなかったのよ!?」


「でも、生きてる。」


「結果論でしょ、それ!!」


 怒りと恐怖が混ざった顔でトモエが立ち上がる。ブラッドは視線をまっすぐ向けて静かに言った。


「トモが作った世界にいるのは分かったけど、トモがここに存在しているかは知らなかったからさ…。」


 トモエの動きが止まる。


「…。」


 ブラッドは一歩、近づく。逃げられる距離じゃない。でも、トモエは動かなかった。次の瞬間、そっと、ブラッドは腕を伸ばす。前世で喧嘩した時と同じ距離感で、トモエを抱き寄せる。拒まれないのを確かめるみたいに、ゆっくりと頭に手を置いた。撫でる動きも、昔と同じだった。


「トモを見つけた。」


 ブラッドは、静かに言い切る。


「トモがいるって分かった。」


 トモエの肩が、わずかに震える。


「もう、そんな危険なことはしないよ。」


ほんの少しだけ、言葉を選ぶブラッド。


「今度こそ、二人で…じいさんばあさんになるまで生きよう。」


 冗談みたいな台詞だが、声は真剣だった。

 トモエは顔を上げない。返事の代わりに、服の裾をぎゅっと掴んだ。


 その日のうちに、トモエはスタール男爵家に引き取られることが決まった。あまりにも早い決定だった。

 応接室の空気がまだ冷めきらないうちに、すべてが動いた。


「…随分と話が早いのですね。」


 シスターが戸惑いを隠せずに呟く。スタール男爵は穏やかに頷いた。


「事情は理解しました。あの様子を見れば、これ以上引き離す理由もありません。」


 視線の先。―まだ距離の近いままの二人。

 トモエは、はっとして一歩離れるがすでに遅い。

 男爵は小さく咳払いをした。


「本来であれば、トリー…いや、トモエ嬢には我が家へ嫁いでいただくつもりでしたが…。」


 わずかに間を置く。


「その前に、守るべき節度があるな。」


 ブラッドが肩をすくめる。


「…分かっています。」


「本当に分かっているかは怪しいがね。」


 淡々とした声だが、どこか呆れを含んでいる。そして、はっきりと言い渡した。


「トモエ嬢が16歳になるまで、節度ある交際を。これは命令だ。」


「…はい。」


 珍しく、ブラッドが素直に頷いた。

 トモエは何も言わない。ただ、少しだけ視線を逸らして小さく呟いた。


「…守ります。」


 その言葉に、男爵は満足そうに頷いた。


 こうして、トモエの居場所は、その日のうちに決まった。物語の設定通りでも、すべては流れ通りではない。二人が選んだ場所だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ