第97話 あの日のそれぞれの答え
誘拐事件から、一週間が経った。
マーガレットが、父親に呼ばれたのは、その日の午後だった。
ハーデン公爵邸の応接室。
テーブルにコーヒーカップが二客用意されていた。
マーガレットは、父親の向かいに座った。
ハーデン公爵は、コーヒーを一口飲んでから、口を開いた。
「テオドア・ブラストと話をした」
「……え?」
「ルフェラン家の執事見習い辞退の件もエイデン……ルフェラン侯爵に直接話を通した」
マーガレットは、声を失った。
「お前が何も言わなかったから、こちらで勝手に動いた」
「いつの間に……」
「私は、テオドアを婿養子に迎え入れる決断に間違いないと思っている」
ハーデン公爵は、静かに続けた。
「学力だけではなく政治の目の付け所も申し分ない。剣の腕も優れている。マーガレットを見る目が……まあ、分かりやすかった」
「お父様……」
「エイデン・ルフェランの執事になるという話を聞いた時は、少し驚いたがな」
ハーデン公爵は、コーヒーカップを置いた。
「あの男から有望な執事を奪えたというのも、気分が良い」
その声が、わずかに高くなった。
マーガレットは、一瞬、父親の言葉に引っかかりを覚えた。
(奪えた、というのは……ルフェラン侯爵様に対して、何か因縁でもあるのかしら?)
けれど、それ以上聞くのは、踏み込みすぎな気がした。
「……あの男が関係していなくても、悪くない縁談だ」
「……はい」
「一つだけ聞く」
「はい」
「お前は、後悔はないか?」
「はい。私が決めました」
「……そうか」
ハーデン公爵は、少し黙った。
「お前の母親も、何でも自分で決める人だった」
「……」
「誰かに言われるのでもなく、誰かのためでもなく、自分で選んだ」
父親の声は、淡々としていた。
「私は長い間、誰かに選ばれるのを待っていた。だから……自分で動ける人間を見ると、少し眩しい」
その一言が、どこか痛そうだった。
マーガレットは、何も言えなかった。
父親がどれだけ待ち続けた人かを、この年になってようやく、少しだけ分かる気がした。
「テオドア・ブラストには、追って連絡する。下がりなさい」
「……はい」
マーガレットは、頭を下げた。
扉に手をかけた瞬間、父親の声がした。
「マーガレット」
「はい」
「お前が友人を守ったことは……悪くなかった」
振り返ると、ハーデン公爵はもうコーヒーカップを手に取っていた。
マーガレットは、何も言わずに部屋を出た。
廊下に出て、一度だけ、静かに息を吐いた。
(お父様は、私のこともずっと見ていてくれていたのね……)
マーガレットは、ゆっくりと歩き出した。
◇
パメラは、事件の後、少し静かになっていた。
妊娠安定期に入り復学した際、もっとはしゃぐかと思っていたが、廊下で私が声をかけても落ち着いた様子だった。
「パメラ、久しぶり」
「エリカ様、体調は?」
「おかげさまで落ち着いてるわ。あの夜、来てくれてありがとう」
「……別に」
「ルナエクリプスの教えに反した行動だったでしょう」
パメラは、しばらく黙った。
廊下の窓に目を向ける。
「……生まれてから、ずっとルナエクリプスだった。誰かのためになんて、なかったんだ」
「うん」
「でも、あの夜は……マーガレット様が怖い思いをしているかもしれないって思ったら、嫌だった」
「パメラは友達思いだね」
「……それが、友達ってことなの?」
「そうだと思うわ」
パメラは、少し間を置いた。
「……慣れない」
「これからよ。私たちはずっと友達なんだから」
パメラは、エリカを見た。
「……うん!」
その一言が、精一杯だった。
◇
一方、マリアは事件の翌日から元気がなかった。ルフェラン邸にお見舞いに来た時のことだった。
「私、何もできなかったんです。マーガレット様が連れていかれて、皆が動いて……私だけ、安全な場所にいて」
「マリア……」
「力になりたかったのに、役に立てなくて」
「マリアがいたから、ヘンリーは来てくれたんだよ」
「え?」
「マリアに良いところを見せたくて、ヘンリーは動いていたわ。マリアの代わりに、あの場まで来たの。それは、マリアがいなければ起きなかったことよ」
マリアは、目を瞬かせた。
「私……ヘンリー様に、お礼を言いに行こうと思います」
「行ってらっしゃい」
マリアは、照れながら頷いた。
その足取りが、軽くなっているように見えた。
◇
事件の正式な処分が出たのは、それから間もなくのことだった。
実行犯の男たちには、王太子婚約者への危害企図として重い刑が言い渡された。
依頼主のロイドについては、過去にセザール第二王子誘拐への関与という前歴があった。今回は王太子婚約者への危害企図への共謀として、前歴と合わせ、終身投獄の処分が下された。
「事件は、正式に決着したよ」
アイゼンが、私に報告した。
「……そうですか」
「マーガレット嬢への配慮も、王家として行うつもりだ」
「ありがとうございます」
しばらく、間が空いた。
「ロイドという少年のことが、少し気になっています」
「恨まれたことへの怒りはないのか?」
「……正直、整理できていない部分があって」
私は、少し間を置いた。
「ドレアス教授に利用された部分は、同情できます。それに……あの少年が影響を受けた本を書いたのが、私の友人だと知っているから」
「……作家のヒロオカトモエか?」
「トモエのせいとは思っていません。本が誰かを動かすとしても、最後に選んだのは本人だから」
アイゼンは、黙って聞いていた。
「でも、同じドレアス教授に関わった生徒の中で、ロイドだけが変われなかった。他の子は自分の過ちを認めて立ち直れたのに」
「ああ」
「環境や出会いで、人の運命は変わると思っています」
(私たちはそれを信じて、物語を変えてきた)
私は、手首のブレスレットに触れた。
「だから、ロイドが変われなかった理由も、どこかにあるんだろうとは思います。でも……『自分は悪くない』と言い続ける限り、誰も手が差し伸べられない。それは、自業自得だと思っています」
アイゼンは、しばらく黙っていた。
「処分については、王家として下した」
「はい」
「お前が気にする必要はない」
「……分かっています。ただ」
「なんだ?」
「子供が生まれる前に、決着がついて良かったと思っています」
アイゼンは、私を見た。
「私たちの子供には、できるだけ穏やかな世界を見せてあげたいから」
アイゼンは、少し目を伏せた。
「……そうだな」
その声は、静かだったが、確かだった。
◇
リアンとエディにも改めてお礼を言った。
「二人とも、ありがとう」
「お嬢の護衛ですから」
「自分もラウルモンドの時のお礼参りみたいなものです」
兄弟揃って不器用なところは、そっくりだ。
「それでも、嬉しかったわ。ありがとう」
「……そうですか」
二人は照れて目を逸らした。
「そうだ、リアン。ガブリエルは素敵な人よ」
リアンは、少しだけ目を細めた。
「……一人で生きてきた子ですから、あの子が決めることです」
「それでも、父親として二人を見守ってあげて」
リアンは、何も言わなかった。
ただ、いつもより少しだけ、表情が柔らかかった。
◇
ガブリエルへの礼は、コーちゃん珈琲で行われた。
「あの夜の依頼のこと、ありがとう」
「友人と、大切な方のためですから」
「大切な方、というのはパムのこと?」
「ええ」
今度は、視線を逸らさなかった。
「……私が言うことではないけど、あの子の置かれている状況や不器用なところも分かってあげて欲しいの」
「仕掛けられたコイン。あの時から、彼女には一生振り回される予感がしていましたから」
「仕掛けられたコイン?」
「いえ、こちらの話です」
「パメラを、よろしくお願いします」
ガブリエルは、コーヒーカップを持ったまま、少し黙った。
「……エリカ様もご存知でしたか?」
私は、少し目を瞬かせた。
(もしかして、二人だけの秘密の方が良かった?)
「ごめんなさい。知っていました」
「いや、安心しました。彼女にも心開ける友人がいて」
ガブリエルは、穏やかに笑った。
◇
夜、縁側でアイゼンと並んでいた。
「久しぶりの学園で疲れてないか?」
「大丈夫です。実は、みんなにお礼を言って回りました」
「そうか」
「みんな、それぞれの理由で来てくれていたんですね」
「ああ」
私は、夜空を見上げた。
「みんな、それぞれ違う理由で同じ場所に集まるなんて。奇跡みたい」
「それだけの人間が、お前の周りにいるということだ」
「……そうですね」
しばらく、二人で黙っていた。
「アイゼン」
「なんだ?」
「奇跡の中には、あなたもいます」
「ああ」
短かった。
それだけだった。
私は、ブレスレットを静かに触れた。
(みんながいて、この人がいる。それだけで、十分すぎるくらいだった)
夜風が、二人の間を、静かに吹き抜けていった。




