第96話 家族のかたち
私は妊娠安定期に入るまで、王立学園を休学することになった。
リュンヌが生まれてから、ルフェラン邸は慌ただしかった。
朝から赤ちゃんの泣き声が響き、誰かが走り回り、誰かが慌てて、誰かが笑っている。
お兄ちゃんの自覚が出てきたセザールとラウルモンドはリュンヌの世話を焼くのが日課となっていた。
「リュンヌー!起きたー!」
セザールが、朝一番に産室——今はリュンヌの部屋になった部屋へ駆け込む。
「セザール様、足音が大きいです」
「でも起きてる!目が開いてる!」
「それは今しがた、セザール様が起こしたからです」
ラウルモンドが、淡々と言った。
「関係ない!リュンヌ、おはよう!」
リュンヌは、セザールの声に反応して、小さな手をぱたぱたと動かした。
「見て見て、ラウル!私のこと分かってる!」
「……赤ちゃんは誰に対してもああいう動きをします」
(朝から元気ね、二人とも)
私は、リュンヌの部屋の入り口から、その様子を眺めていた。
◇
しばらくすると、ラウルモンドがリュンヌを抱き上げた。
最初の頃は、おっかなびっくりだったが、今は少し慣れてきていた。
「……首、ちゃんと支えてますよ」
「偉いわ、ラウルモンド」
お母様が、満足そうに頷いた。
「セザールも、やってみる?」
「やる!」
「ゆっくりね」
おそるおそる、セザールがリュンヌを受け取った。
「……重い。リュンヌは頭が重いから天才になるかも!」
「ふふ、赤ちゃんはそういうものよ」
「リュンヌ、温かい」
セザールは、目を丸くした。
「ねえさまの赤ちゃんも、こんな感じ?」
「多分ね」
「……じゃあ、ねえさまの赤ちゃんも、ちゃんと抱けるようになる」
セザールは、真剣な顔でリュンヌを見下ろした。
「私も叔父として、しっかり面倒みます!」
ラウルモンドが胸を張る。
(お兄ちゃんたちは頼りになるわね)
私はそっとお腹に触れる。まだ胎動を感じるわけではないのに、胸の奥が、じわりと温かくなった。
◇
「エリカ様、少しよろしいですか?」
その日の昼過ぎ、ルフェラン邸を訪れたマーガレットが、真剣な表情で言った。
「どうしたの、マーガレット?」
「実は、気になっていたことがありまして……」
マーガレットは、少し声を落とした。
「王家のお子様の育て方について、お伝えしようと思って……」
「王家の子育て方針?」
「はい。エリカ様のご両親は珍しいというか、フォレスト国の貴族のほとんどは生まれてすぐに乳母や家庭教師に預けられる慣習があります……私もそうでしたが、ご両親が日常的に関わることが珍しいことなんです」
「……」
「王家に関しては前例もありません……」
「自分では、育てられないの?」
「エリカ様のお腹のお子様のこともありますから、念のためお伝えしておこうと思って」
私は、しばらく黙っていた。
(生まれてすぐに、乳母に預けて、親が日常的に関わらない。それが、フォレスト国の王家の当たり前なの?)
「……ありがとう、マーガレット。調べてくれて」
「エリカ様!先王が一夫一妻制を作りました。時代は変わるものです」
(先王アンソニー・フォレストが時代を変えた……)
「アイゼンと話あってみるね」
マーガレットを見送って一人になった途端、急に不安が押し寄せてきた。
(……ルーカス、アンソニー)
お腹に手を当てた。
(あなたたちを、ゲームの通りにはしたくない)
(でも……私に、できるの?)
その時、廊下から声がした。
「エリカ。何か考え込んでいるな」
振り返ると、お祖父様が立っていた。
「じいじ……」
「どうした?不安そうな顔をして」
お祖父様は、私の隣に来て、同じように窓の外を見た。
「話してみろ」
「……フォレスト国の王家は、子供を乳母に預ける慣習があるそうです」
「知っている……」
「お腹の双子のことを考えると……私がちゃんとそばにいられるか、不安で」
お祖父様は、しばらく黙っていた。
「エリカ」
「はい」
「フォレスト国の王家がガタガタ言うようなら、リップル王国で育てれば良い」
「……え?」
「私は、リップル王国では辺境伯だぞ。お前が望むなら、リップル王国で育てる環境を整える」
「でも、それではアイゼン殿下が——」
「殿下も、最近はルフェラン邸に通い詰めておるだろう。どこで育てようと、付いてくるだろうな」
お祖父様は、少し口角を上げた。
「……じいじ」
その時、廊下から別の足音が近づいてきた。
「……娘と孫のためなら、移住も致し方ないな」
「お父様!」
お父様は、至って真顔だった。
「婿殿は、子煩悩を越して親馬鹿だな」
お祖父様が、呆れたように言った。
「義父上に言われたくありません」
私は、思わず笑い出してしまった。
「……何がおかしいんだ、エリカ」
「いいえ。ありがとうございます、お父様。じいじも」
「礼などいい。家族を守るのは当然だ」
お父様は、言った。
「誰と家庭を築こうとエリカは私たちの娘だ、遠慮なく頼りなさい」
その言葉が、胸の奥まで届いた。
(一人じゃない。ゲーム設定の私にはなかった心強い味方が傍にいる)
◇
夕方、ルフェラン邸にアイゼンが来た。
アイゼンは私の体調を案じて、ほぼ毎日来るようになっていた。
「アイゼン、少し話せる?」
縁側に並んで座り、私は切り出した。
「どうした?」
「王家では、子供は生まれてすぐに乳母に預けると聞きました。本当ですか?」
アイゼンは、少し間を置いてから答えた。
「……そうだ」
「アイゼンも?」
「ああ。母上とは、公式の場で顔を合わせることが多かった。日常の場で、長く話したことは……あまりなかったな」
私は、何も言えなかった。
「父上も同じだ。王としての姿は見ていた。だが、家族として過ごした記憶は……多くない」
アイゼンは、庭を見ながら言った。
「それが当たり前だと思っていた。王族とはそういうものだと」
「……アイゼン」
「なんだ?」
「私の結婚条件を覚えていますか?」
アイゼンは、少し考えてから、静かに言った。
「……恋愛結婚がしたい、と言っていたな」
「覚えていてくれたんですね」
「忘れるわけがない」
私は、膝の上で手を組んだ。
「私の理想の結婚は、ただ隣にいるだけじゃないんです」
「……聞かせてくれないか?」
「本気で思い合って、相手を尊重して」
私は、言葉を選びながら続けた。
「一緒に笑えて、一緒に悩んで……家族みたいな夫婦でいたいんです」
(子供にも、そういう両親でいたい)
「子育ても乳母に任せきりじゃなくて、ちゃんと傍にいて、名前を呼んで、抱きしめて……そういう家族を作りたいんです」
庭に、夕風が吹いた。
アイゼンは、しばらく黙っていた。
「……私には、そういう経験がない」
「……」
「だから、正直なところ……どうすれば良いか、分からない」
「……」
アイゼンは、私を見た。
「だが、お前の望みは叶えたい」
その言葉は、静かだったが、確かだった。
(二人なら乗り越えていける)
◇
翌日から、アイゼンの行動が変わった。
ルフェラン邸に来ると、必ずリュンヌの部屋に顔を出すようになった。
「……リュンヌ嬢。私のことは気軽に兄さまとでも呼んで欲しい」
アイゼンが、リュンヌの傍にしゃがんだ。
「まだ返せるわけないだろう……」
お父様が、小声でツッコんだ。
リュンヌが、アイゼンの指を握った。
「……っ」
アイゼンが、息を止めた。
「どうしましたか?」
「……いや、リュンヌは外交向きかも知れない。握手で挨拶してきた」
「赤ちゃんはよく手を握るんですよ」
ラウルモンドが、隣で説明した。
「……そうかもしれないが、これは軍用コードの『兄上』だった」
「……仮に兄上なら私ですが?」
「……実際に握られたのは私だ」
アイゼンは、リュンヌの小さな手を、じっと見ていた。
「慣れないが……悪くない」
その顔が、いつもの涼しげな表情ではなく、どこか柔らかかった。
◇
数日後、アイゼンが本を持ってきた。
「何を読んでいるんですか?」
「育児書だ」
「……どこで手に入れたんですか?」
「この本は、義父上のおすすめの一冊だ。エリカが生まれた時に一番役に立ったそうだ」
私は、その本の表紙を見た。
『乳幼児の発育と親の関わり方』という、分厚い本だった。
「王太子教育に、子育てに関する項目はなかったからな。学ぶことが山のようにある」
「……アイゼン」
「なんだ?」
「ありがとう」
「二人のことだ。礼を言われることではない」
「いいえ」
私は、首を振った。
「あなたがアイゼンで、本当に良かったと思っています」
アイゼンは、少し目を伏せた。
「……大げさだな」
「大げさになるくらい、嬉しかったんです」
◇
アイゼンはリュンヌの世話の練習として、ウレタンで出来た人形を作らせた。
また、私の妊娠中の危険性を予知するために防弾チョッキを改造した妊婦体験ジャケットまで用意した。
(これ、昔に見た記憶がある)
「この先、お腹の子供が成長したら腰が痛くなるな。足も浮腫みも出る」
(双子だと腰痛も浮腫みも二倍なのかしら……)
私は思わず苦笑いした。
「物も拾えないし、足元が見えない……王宮にスロープを作ろう」
「マッサージは私が行う!」
「義父上から勧められた肌着も早めに用意しておかないと!」
アイゼンとお父様は育児を通して、距離が縮まっているようだ。
(お父様は、殿下は王太子を辞めて乳母を目指しているのか……と溜め息ついていたけど)
「あ、リュンヌ、笑ったー!!」
窓の外から子供たちの声がする。
リュンヌが外気浴が始まり、リュンヌの護衛を自称する小さなお兄ちゃんたちは、毎日付き添っている。
「リュンヌはゲップしただけです」
「ラウル……夢がないなー!」
「事実を言っているだけです」
私とアイゼンは、思わず顔を見合わせた。
そして、二人で、小さく笑った。
(幸せだ、と思った。静かで、温かい、小さな幸せ……この人と家族がいる私は、ゲームにはなかった『未来』を築いていける)
窓の外に、夕焼けが広がっていた。
フォレスト国の、穏やかな夕暮れだった。
あとがき
第96話をご覧いただき、ありがとうございます!
今回は事件や陰謀ではなく、「家族」をテーマにした一話でした。
王族として育ったアイゼンにとって、子どもと過ごす時間は未知の世界です。一方で、ルフェラン家の温かな日常に触れたエリカは、自分が築きたい「家族のかたち」を改めて見つめ直します。
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